小咄


□笑わないで
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日も暮れかけた国語準備室。

文献やら資料やらを堆く積み上げた机に向かう影を見付け、乱雑に開いた戸もそのままに声を掛けた。



「芭蕉さん。」
「…そ、か、河合君!?」



彼は僕を見るなり慌てて走り寄ってくる。



「もう曽良君ってば何度言ったらわかるの!?学校では『先生』って呼ばなきゃダメだって…」
「芭蕉さんだって『曽良君』と呼んでいるじゃないですか。」
「ぁ……。」



自分の失態に気が付いたであろう彼は、キョロキョロと廊下を見回し、僕を中へと招き入れた。



「芭蕉さん、迂闊過ぎます。」
「だから…」
「二人きりの時は構わない筈では?」
「それは…そうだけど。」



「…兎に角、こんな時間にどうしたの?」
「晩のオカズは何がいいかと思いまして…。」
「ちょ、そ、曽良君!!」
「気にしなくてもこの棟には残っている人は居ませんでした。まぁ、完全下校もとっくに過ぎてますし当たり前ですが。」



ホントに表情のコロコロ変わる人だ。慌てたり怒ったり、焦ったり目を丸くしたりと忙しない。



「曽良君、見回ってくれたんだ…。」
「僕を誰だと思ってるんですか?」
「んもう…曽良君ってば、素直に感動してるのに。」



先程までの国語教諭の顔を脱ぎ捨て、だらしなく破顔しているのは、
非常に不本意ながら、僕の保護者であり恋人である四十過ぎのオッサン松尾芭蕉である。


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