私とワルツを

お人好しでお節介の多い旅の仲間達との生活に、図らずも馴染みつつある今日この頃。一人で夜更かし決め込もう等とは夢の話で、静かに読書など夢のまた夢。部屋にいればキムラスカのお坊ちゃんにあれこれと声を掛けられ、酒場で酒など煽っているとその幼馴染みから『こんなとこでどうしたんです旦那』なんてあの誰にでも甘い調子で肩を叩かれたりする。
…この人肌に暖められた空気が奇跡のように得難い物だという事を、殺伐とした世界で大人になった人間として、しっかり認識しては…いるのだが。
「それでもたまには一人になりたいと思うのは贅沢ではない筈です。だというのに、どうやら陛下にもお人好しが伝染したらしい」
そう口調を尖らせる親友のグラスに上等のワインを注いでやりながら、ピオニーは薄く笑った。
自分も一口二口と煽りながら隣に腰掛けると、成人男性二人分の重さで寝台が沈む。
憲兵に捕獲されて来たディストを自ら地下牢に放り込み、さすがに疲れた様子で謁見の間に挨拶に来たジェイドを、城の客室に引っ張り込んで三時間。
全く、これだけの口を開かせるためにボトルを何本開けただろう。そっと右手の指を折るが、足りなくなって下ろした。
いつでも冷静でほとんど己を語らない彼がワイン片手に自分にくだをまいているのである。珍しいどころではない光景だ。それを見れば安いぐらいだと思う事にする。

「サフィールに聞かせたら妬くだろうなあ」

意識せず、ぽつりと零した一言に、ジェイドが赤い目をすがめた。サフィールがなんだというのです、と低く唸ると、彼の手の中で硝子がみしりと鳴る。

「ジェイド?」
訝しく思い声を掛けてみるが、返事が無い。
唐突に沈黙が落ち、部屋の中に自分一人の呼吸の音しかしないことに気付く。グラスを握り締めたまま、ジェイドは隣りで息を詰めていた。

「……ジェイド」
宥める声でそっと呼ぶと、睫毛を伏せて床に視線を落とす。ぱらりと額に長い髪が落ちて、ジェイドの横顔を隠した。
静かに拒絶する仕草に見ないふりをして、握られた拳を掴んで引き寄せる。
骨の浮いた、冷たい手の甲に、なぜだか幼い頃の雪の日を思い出した。
ゆっくりと長い手指を解いても抵抗はない。ひび割れたグラスを取り上げて、変わりに自分のものを渡してやる。

「久しぶりのネビリム先生は、どうだった?」

「…ふ」
薄い唇から、詰めていた息を吐きだして。仕方がないという様子でジェイドが顔を上げる。
「久しぶりもなにも、先生とは四半世紀も前に永の別れになったきりです」と。つぶやいた声が、町を流れる水音に溶けて消える。
「私の愛したネビリム先生は、もうとっくにどこかで可憐な美少女に生まれ変わっている予定ですよ」
皮肉な笑みをグラスの中身に映して飲み干す彼を、月の光が照らす。
声色ばかり明るくて、口許は薄く微笑んですらいるのに。自分の吐いた甘い言葉を微塵も信じていない顔だ。
普段から健全とは言いがたい、冷たく整った顔の造作が、いっそう危うく見えた。
薄い二重まぶたの奥の瞳が、瞬く度自ら発光しているように月明りを弾く。
…それが、錯覚と知れていても、泣いているように、みえたから。
考えるより先に、体が動いていた。


「…ッ」
霞んだ視界の中で、ジェイドが笑ってしまうぐらいに目を見開いた。
鳩が豆鉄砲食らったような顔、というのを俺は見たことが無いが。こんな表情をそう評するのだろうな。
焦点の合わない程の距離を詰めて、もう一度額に唇を押しつける。本当は瞼を吸いたかったんだが、眼鏡が邪魔をしたもんだから、仕方なしに。
「……何してるんですか、陛下」
状況からして、過ぎる程に冷静な声だった。
一度目は衝動的にやっていたものの、二度目は拳ないしは蹴りが入ることを覚悟して、背中に腕まで回してみたのだが、抵抗がない。逆にこちらが慌ててしまう。
「ちょっと苦しいですよ。なんのつもりですかこれは?」
「いや。…慰めてやろうかと思って、な」
「………悪趣味な慰め方ですねぇ」
まるで型に嵌めたような、ジェイドにしてはつまらない嫌味だ。
珍しく戸惑っているようだと気付くのに、さほど時間はかからなかった。そして、その理由を思いつくのにも。
(もしかしてこいつ、こんなふうにしっかりだきしめられる事なんかずっと無かったんじゃないか)

俺の知る限り、ジェイドの両親は、早熟過ぎる息子に触れることを最後までためらい続けていた。恩師を自らのために失って、初めてジェイドが狼狽らしき仕草を見せたあの時も、彼の側にいたのは幼いサフィールだったのだ。
程無く彼を引き取っていったカーティス家の養父母も、そう変わらなかったろう。
この男は、誰かの腕の中で安堵を覚える事をとうとうせずに、この歳になったんじゃないだろうか。
彼を抱き締めた人間がいたとして、きっとそれはネビリム先生ぐらいだったろう。
(……。)
自分の想像に堪らなくなり、腕に力を込めると、ちょっと陛下、と焦ったような声で咎められた。
(悔しい)
たまらない。
これでは、俺の方が泣きそうじゃないか。

[TOPへ]
[カスタマイズ]




©フォレストページ