本棚5

□未来予想なんかできなくっていい
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「………なんだこりゃ」

夜勤から帰ってみると、見慣れないメモ用紙が茶卓の上へ置いてあった。
猫の形をしたファンシーなそれは、小児科でよく見かけるタイプのメモだ。
女性が好みそうなかわいらしいデザインのそれ。
ポストイットになっているメモは特別珍しいデザインではない。
が、何も置かれていないテーブルの上にあればそれはそれはよく目立つ。
薄手で買い替えを考えているコートを脱いで、座布団に腰掛ける。
円形の茶卓の真ん中にぽつんと置かれたそれは、メモ用紙の役割をしっかりとはたしているようで字が書かれていた。

「あしたになったら帰ります」

メモをそのまま読み上げて、なるほどと思う。
一人暮らしではない部屋に置かれたメモだから、誰が書いたのか名前がなくてもわかる。
夏野君が書いたメモだ。
外場村であれば本来、こうやって彼が俺にメモを残す必要はない。
しかし村が燃えて、生き残って、そしてまた出会ってしまった。
俺は放っておくこともできず、半ば贖罪に近い気持ちで彼を家に招き入れた。
弱り切って真っ青な顔をした夏野君は明らかに食事をしていなくて、まず真っ先に思ったのは、どうして、だった。
人狼である彼は普通の食事でも生きていける。
それはあの災禍の真っただ中で夏野君が言ったことだ。
血液を飲むこともせず、食事もしていない彼は自殺志願者そのものだった。
彼が死にたいというのなら止められないとも思った。
なにせ、彼は本当だったら死んでいるはずだった。
それを無理やり生かされている。
誰が何のためにかわからないが、彼岸から無理やり引き戻された。
あの村での俺だったら、今度こそちゃんと死なせてやろうと思っただろう。
だが、村を出て、すっかり牙が抜け落ちてしまった俺にはそんな事はできなかった。
そうして、なんとか生きてもらうことになった夏野君と、あれよあれよと恋人関係などになって、こうして日々を過ごしている。
一回りも年下の男の子に手を出してるなんてバレたらやばいだろうなと思うが、夏野君は今年で二十二歳だ。
見た目こそ高校生のままだけど、中身は随分と落ち着いてきている。
死線を越えかけた事や友人の死に加えて、転々とアルバイトを経験しているのも理由だろうか。
正職員として働くには彼の見た目が変わらない事は残念ながら大きな欠点だ。
高校生の見た目ですっかり時間が止まっている彼は、どうしても外見年齢の制約を受けた。
中身は随分と大人びて、高校生にはさせられないことも許してきた。
だがどうしようもない。
こればっかりは。

「さて、風呂にでもはいるか」

誰に言うわけでもなくひとりごちて、メモを机の上に置いたまま風呂場へ向かった。
その日、メモの通りに夏野君は帰ってこなかった。


***


「いちど戻ってから出かけました」

翌日、仕事から戻ってきたら机の上のメモが増えていた。
紙がよれていない、真新しい方を手にとって読み上げる。
これもまた誰に言い聞かすわけじゃないが、独り暮らしが長い故の癖みたいなものだ。
洗濯物がなくなって、ベランダへ並んでいたから夏野君がしてくれたのだろう。
悪いなと思いつつ、忙しい時は家事をおろそかにしがちなので助かった。
今日のメモにはいつ戻るとは書かれていないから、日付をまたぐということはないだろう。
夕飯は食べるかわからないけど残しておくか。
机の端にメモを寄せて、冷蔵庫の中を確認しに向かう。
しかし、一度、が平仮名なのはなんだか可愛いな。
漢字をど忘れでもしたのだろうか。
食材も足してくれたようで、買った覚えのない豚肉と人参、トマト、卵が増えていた。
そろそろしんなりとして元気がなくなってきた四つ切のキャベツを片付ける必要がある。
人参とトマト、どちらを使うか迷ったけれどトマトにした。
野菜炒めにするならばそちらの方が楽だ。
チチチッ、コンロに火をかけるとその音を合図にしたみたいに玄関の鍵が開く音が聞こえた。
そんなに広くもないリビング一つ、寝室一つ、キッチン、風呂付。
コンロに油をひいて、玄関へと視線を向ければ夏野君と目があった。

「おかえり」

豚こま切れを投下して適当に火が通ってきたら、塩コショウを振りかけて放置。
キャベツとトマトを適当な大きさに切ったら、まずはキャベツ追加で入れて油が回る様にフライパンを振る。
学生時代に喫茶店でしたバイトが今も役に立っている。
あのころは、こんなことになるなんて想像したことなかった。
あんなSFまがいのこと、予想なんかできるわけもない。

「ただいま、せんせい」

背後から抱き疲れて、肩に顔を埋められた。
外は随分気温が下がったようで、コートを着ている夏野くんの手が冷たい。
腹に回された手が、服越しにひんやりしているのを感じたからだ。
抱きしめられるのをそのままに、フライパンを振って肉に火が通っているのを確認。
トマトを追加してさらに炒めて、一口味見。
調理の手元をじっと視線が追いかけるのを感じて、猫みたいだなと思う。
動くものを追いかける様子もそうだけど、鋭い視線や、無言ですり寄ってきて好きに行動するところが、そう思う。
我儘だったり、我が強いやつが好きなのかもしれないし、恭子も静信がそうだったから、慣れているだけかもしれない。

「美味しい?」
「ん、少し醤油が欲しいな」
「はい」
「おお、ありがとう夏野くん」

背後からかけられる声はやはり高校生のそれで、もたれかかる様に覗き込んでくるのは子供らしい。
俺の唯一の安心は、夏野君に身長を抜かされないことかもしれない。
それ以外は全部追い抜かれていくしかない。
いつか追い抜かれる年齢を思うと寂しさはあるが、それもまだ三十年は先の話だ。
出来る限り健康に長生きをして、この子が長い長い時間を一人で生きていけるようにさせてあげないと。
そのために協力してくれる理解者を探さないとと思うが、オカルトめいた話をすぐさま打ち明けるわけにもいかない。
ままならないなぁと思うのと同時に、胸腔がちりちり痛む。
勝手に感傷に浸るのは大人の悪い特権だと思う。
腹に回されていた夏野君の手が、器用にキッチンの端に置いてあったしょうゆを取ってくれた。
身長の悪いに手足が長いので、恐らく夏野君はまだまだ身長が伸びるだろう。
それが十年、二十年、もしくは何百年になる成長かわからないがきっと。
夏野君の将来を考えるほどに、俺も起き上がることが出来ればあるいはと一瞬でも脳裏に浮かぶのはまだ秘密だ。


***


「し定の買物は済ませてあります」

今日もまた、帰宅すると机の上にはメモだけ残されていて夏野君の姿はなかった。
連日どこへ出かけているのかと思うが、特に心配もいらないだろう。
補導されるような容姿なのを本人も自覚しているから表通りを歩かずに行動するのも慣れている。
時折、ベランダから帰ってくることもあるのは勘弁してほしいが。

「しかし……なんだ? このメモ、なんだか妙な文章だな」

咥え煙草で首を傾げる。
昨日のうちにお願いした買物の件なのはわかる。
時間があったら歯磨き粉と食器洗剤を買ってきてくれと言った。
洗面所には新しい未開封のものと台所の食器洗剤のボトルは詰め替えられてなみなみ満たされている。
おかしいことはないが、伝言ならば買い物はしてあります、でも意味は伝わる。
わざわざ指定、という単語を付けたのはなぜだろうか。
ガチャン。
鍵が回る音だ。
夏野君が帰ってきた音だ。
灰皿を探して、そうだベランダだと思い出して向かうが、小さな家では夏野君はすぐにリビングへやってきて煙草の煙を逃がすことは叶わなかった。
咥え煙草のまま振り返ると、ただいま、と言おうとした顔の夏野君が一瞬目を丸くして、それからじとりと眇めた。
おっとこれは機嫌を損ねたぞ、と思ったけどそれも遅かった。
靴下のままフローリングを歩く音が、いつもよりどすが効いているように感じた。

「先生」

なんだい、と返事をしようと口を薄く開けたら咥えていた煙草を奪われた。
文句を言うより早く、夏野君は煙草を奪うとそのまま自分で吸い出した。
深く、深く、凄い肺活量だなと言いたくなるほど深く吸いこんで、あっという間に火はフィルターを焦がすほど。

「はぁ」

ぽかりと煙を吐いて、こちらを見つめる夏野君にぎくりと肩を揺らす。
どうやら煙草の煙を気遣ったのが子ども扱いだと思ったらしい。
そういう所が年下らしく、結局可愛いと思ってしまうのだと本人が気づくのはきっとまだまだ先だろう。
夏野君はすたすたとベランダへ向かい煙草をもみ消した。

「先生、おれもう二十歳超えてんだよ」
「わかってる。灰皿、探してただけなんだ」
「わかってる。おれも……ちょっと子供っぽかった」

ごめん、と謝るけど声には僅かに拗ねたような響きが滲んでいた。
カラカラと引き戸を閉じてベランダへつながる窓の鍵を閉めるのを見ながら、俺は夏野君へ甘いなぁと胸の内で笑う。
子供扱いされたくないって思うのに、彼の行動は俺からすればまだまだ子供だ。
大人へ背伸びする、子供らしい強がり。
自覚があるってことはそのうちに可愛げがなくなってくるんだろうな。
そういえば、さっきのメモについて聞いてしまおうか。
今なら聞いても許されるだろう。

「このメモ、なんでわざわざ指定って付けたんだい? 頼んだのは覚えているから畏まった言い方しなくてもいいのに」

テーブルの上に置かれたメモを持ち上げて見せる。
夏野君は一瞬、わかりやすく動きを止めて視線を逸らした。
おや、これはなにかあるなと思うには十分すぎる態度だった。
彼の返事を待とうと黙ったままでいれば、ゆっくりと息を吐いて観念したって顔でコートのポケットをあさり始めた。
紫色にチェック柄のコートのポケットから紙を取り出して、夏野君は机の上に置いたままだったメモと一緒に並べ始める。
その様子を見つめて考える。
考えて、並んだ文字の頭を見て合点がいった。

「……あと二回分あったのに」
「くっくっ…なるほどなぁ」
「笑わないでよ。ちょっとした、遊びっていうか……なんていうか…」

メモはポケットから取り出された二つを足して全部で五つ。
あしたになったら帰ります。
いちど戻ってから出かけます。
し定の買い物はすませてあります。
てい刻通りに帰ります。
る。
なるほど、縦に並べて見ればかわいいメッセージが隠れている。
悪戯を見つけてしまったような気持ちで、可愛いと思う。
クールで達観したような顔をした夏野君の年相応なそれは、口元がだらしなく緩むほど愛おしさを生んだ。
対して夏野君は、まさしく悪戯を仕掛けている最中に見つかったばつの悪い顔だ。

「いいや、嬉しいよ。メモを見るのが楽しみだったし、文通みたいで」
「文通って古いよ」
「おっさんなんだから仕方ないだろう。俺も、君が好きだよ。夏野君」
「……うん」

好きだよ、と口にすると僅かに唇が震えるような感覚があった。
言葉にして放たれた瞬間の気恥ずかしさと情愛が揺らしているのかもしれない。
可愛いと言いながら、俺は夏野くんに愛されたいと考えている。
いつだって俺を抱くのは彼だ。
そして、彼に抱かれたいと願うのはなにより俺の方だ。
まさか自分がこんなに、愛されたがりだとは思ってもいなかった。
血みどろの副産物かもしれないが、それでもこんなに穏やかに愛される日々が送れるのならば明日に死んでもいいかもしれない。
死にたい、などと積極的には考えない。
でも、明日死んでも文句はないと思えるほどの幸福がある。

「先にお風呂、一緒に入るかい?」
「…………それって、やらしい意味で受け取ってもいいの?」
「もちろん」

じゃあ行く、と返事をした彼はこれから行われる事とは真逆の幼いキスを頬へしてコートをかけに寝室へと向かっていった。
穏やかな日々の終わりはまだ先でもいいし、すぐそばでもいい。







未来予想なんかできなくっていい





五回は愛してるのサインですもんね。
ベジ様
遅くなってしまったのですが甘々の夏敏でした
夏野さんが遊び心を出すと夏敏って甘くなるのかなと思いました。

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