本棚5

□マンハッタンハニームーン
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全部終わった後にやっと好きを知る組織壊滅捏造。




端的に事実を述べれば、件の国際犯罪組織を壊滅することができた。
結果だけ伝えようとすればたった一言だというのに、そこへ至るまでの歳月は途方もなかったように思う。
何人、救えなかったのだろうか。
多くを救うために少数を犠牲にすることの是非はもはや連綿とされてきた議論で、今なお明確な答えが出ないのだからこれは永遠の命題だ。
潜入捜査の為だったはずの愛した彼女も、目の前で救えなかった彼も、何もかもが遠い。
それらを尊い犠牲だと言うのは簡単だが、腹の底には一生残るだろう。
飲み込んだ業火が、煉獄が、永遠に。
壊滅まで追い込めたといえど残党を探して拘束することも必要だが、一つの大きな組織が無くなれば他が雲隠れを始める。
麻薬密売に武器商人が揃ってなりを潜め始めるから今摘発しないと探し出すのが困難になることだろう。
今なお迅速な処理が求められているが死亡が確定していた戸籍を戻し、正式に本名で名乗ることが許されるようになったことは大きな意味がある。
ライでも、諸星大でも、沖矢昴でもない。
また、肩の荷が下りたことで雰囲気が変わったと、会う人全員に言われた。
ジョディには、貴方そんな顔で笑えたのね、とまで言われた。
表情に出にくい方である自覚はあるが、元恋人に言われるのはなかなか手痛いところだ。
彼女の前ですら、うまく笑えていなかったということだから。

「はぁー……」

ため息交じりに紫煙を吐いた。
本国より喫煙に厳しくないが、警察庁舎内は当然禁煙であった。
喫煙ルームもあるにはあるが今は人に見つかりたくない気分であったので、屋上に退避している。
上からスコープを覗けばどれほどでも撃ち抜けると自負しているが、自前のライフルはホテルのクローゼットの中だ。
銃火器の携帯に許可が必要な日本で、ホテルに置きっぱなしにするのはどうかと言われそうだがそこは警察庁の根回しがされているホテルなので心配はない。
それに持ち込みの為にも今はバラバラ。
素人が手にしても暴発しない。
それでもやはり、思考が無防備だと思う。
夜の東京は煌びやかなネオンが眩しくて、目を細める。
ホープの明るい茶色のフィルターに再度口付けて吸い込む。
鼻腔に蜂蜜の甘さが抜けて、余計に思考をけだるくさせているようだ。
せめてメンソールにするべきだったかもしれない。
似合わないだろう、きっと彼もそう言う。

「なあ、安室くん」

煙を吐き出す呼気と一緒に名前を呼んだ。
夜景に背を向けて振り返る。
屋上に外灯はないがネオンの光で暗闇ではないから、背後にいる人物の顔をちゃんと確認することができた。
明るい髪色と褐色の肌をした男は、眉間に皺を寄せて唇を噛んでいる。
どうして後ろにいるのにわかったんだ、と言われるかなと思った。
しかし、それよりももっと眉間に皺を作る理由があった。

「嗚呼、すまない。今は、降谷くんだったな」

癖で呼んでしまった苗字はもう使われない名前だ。
バーボンも、安室透も、彼の名前ではない。
ブラウンのスーツに身を包んだ彼は警察庁警備局企画警備課の降谷零。
俺のよく知る彼らは、俺のよく知った俺たちとともに死んでいった。
その言葉を聞いて、開きかけた口をさらにきつく結んで降谷くんはこちらを睨んだ。
失敗したなと思うが、平時よりも随分と、気が抜けていた。
あまり悪いと思っていないで、ぼんやりと彼の表情が変わるのを眺めていたから。

「甘ったるい匂い。貴方に似合いませんよ」
「そうだろうな。ちょうどそう思っていたから、君の名前を呼んだ」
「……いちいち嫌味ですね。それにここ、喫煙場所じゃありませんが」
「だが禁煙でもないだろう?」
「ッ」

ああいえばこういう、と吐き捨てた降谷くんは乱暴に髪を掻き混ぜてから大きく溜息を吐いた。
彼の短所は少々直情的なところだが、切り替えの速い所は長所だ。
フェンスのもたれかかって咥え煙草で彼の動きを見守る。
吹き上げられた砂でざらつく屋上を力強く歩く彼は、真っすぐに俺の方へ向かってくる。
これは煙草を奪われるかもしれないなと思って、まだ少し残っているホープの味を楽しむ。
だが甘い香りがどうしてもいつも通りの赤井秀一にさせない。
すぐ隣に立った降谷くんは、ジャケットの内ポケットに手を入れると煙草を取りだした。
ラッキーストライクの箱を叩いて一本咥えた所までをじっと見つめていると、視線があった。
途端にぐっと苦虫を潰した顔をするから、彼の表情は見ていて飽きない。

「なんですか」
「いや、吸うんだなと」
「だって禁煙じゃない。でしょう?」

予想外の言葉遊びに思わず口元が緩んだ。
降谷くんとは誤解こそ解けているが、元々そんなものがなくても仲がいいとは言い難い。
自分もつい、からかう様な態度を取ってしまうのも原因の一つ。
今ならわかるが、彼の気を引こうとしたからだ。
だから、今でも彼の視線を惹きつけようと無意識に彼を煽ってしまう。

「そうだな。その通りだ、降谷くん」
「……安室、でもいいですよ」
「いや、すまない。さっきのは嫌みではなく本当に間違えてしまってな」
「だから、その……いいんです。降谷でも、安室でも。貴方の前では、結局態度は一緒でしたから。どちらも俺でしたから、どちらで呼んでもらっても構わないんですよ」

ライターを探す彼の横顔を見ながら、言葉を反復してゆっくりと頭に染み込ませる。
特別だと言われているような気がした。
自分の願望が多いに含まれているが、それでもじわじわと幸福感が湧きあがってくる。
やはり俺は、彼を好いているんだ。

「すみません、火を」
「……嗚呼」

言葉の意味を今度は取り違えることなく受け取り、顔を寄せる。
煙草の先が触れたのを見届けてから吸いこめば火が強くなり、彼の咥える煙草の先へと明かりを移す。
まるで口付けをしているようで、満ち足りた。
これでもう何もいらないとすら思えた。
明日死んでもいいとすら思うほど。
ふぅ、と吐きだす彼の紫煙が夜に溶けて消える。
そしてやはり、彼はその呼気を合図にして口を開いて、俺の眉間に銃口を突き付けた。

「好きですよ、赤井」

今度ばかりは、動きが止まった。
その一瞬が敵前では命取りだとよく知っているはずなのに、俺は動揺して完全に動きを止めてしまった。
だから、彼に殺される。
海を閉じ込めた青い瞳がネオンの光を蓄えて光る。
やはり真っすぐに俺を見る目は、勿体ないほどに綺麗だ。
俺が彼を好いている部分の一つは目を逸らさない所。
フィルターを焦がしそうな煙草を携帯用の灰皿に押し付けて、新しいものを咥える。
その間にも、彼の言葉の雨は止まなかった。

「貴方が好きです。散々憎しみ合ったというのに、おかしな話だと思うでしょう? ぼくもそう思います。でも、好きなんですよ。あなたが」
「……」
「もう、貴方じゃなきゃ駄目なんですよ」
「それは……吊り橋効果、という運命の悪戯、では」
「ないです」

冗談だと言わせるための逃げ道が早速一つ潰された。
するといよいよ言葉の意味を考えなくてはならない。
彼が俺を好きになる理由が、思い当たらない。
彼の吸う煙草は吐きだすとぽかりと煙が広がって、彼の呼気を強く感じた。
強い香りと自分の吸うホープの蜂蜜が混ざって思考がまとまらない。
自分で認識しているよりもずっと、動揺している。

「君と、ずっと一緒にいられるかわからない。俺は……百年の恋人にはきっとなれない」

彼に好かれたいと思わなくはないが、降谷くんの真っ当な幸せを考えれば俺などと共に過ごすのは愚策だ。
死ぬまでの永遠を過ごすなら、可愛い女の子であるべきだ。
そして彼に似た可愛い子供と共に一生を幸福に生きるべきだろう。
振りまわされて随分と遠回りをさせられた彼の人生をこれ以上、棒に振ることはさせたくなかった。
ライターの火を付ける指先が、少し揺らいだ。
どんな時でも引き金にかける指は震えなかったのに。
俺は、彼を好いて、彼に愛されることを夢に見ながら、彼の人生を奪う事を恐れている。

「運命の悪戯も、百年の恋もいらないんです」

はっきりとした彼の声に、顔を上げる。
いつのまにか自分が俯いていることすら気付けなかった。
火を付けただけで指先で持て余している煙草を奪われて、消されるかと思ったがそのまま降谷くんの口元へと運ばれた。
深く一息に吸いこんで足元へ落とされ踏みつけられる。
同じように、踏みにじってくれればよかった。
彼に愛されたい浅ましい図々しさを全部殺してくれれば、よかったのに。
やはりディープブルーの瞳が俺を見ていた。
射抜かれて最初から身動きが取れない俺は、無様に逃げ道を探したせいでぼろぼろだ。

「今、貴方がイエスと言ってくれればいい。そうすれば、僕は運命と百年の恋を手にしたも同然なんですから」
「……贅沢だな、君は」
「ええ、知っていたでしょう? 僕は我儘だし、傲慢で…………一途なんです」

右手を取られ、持ち上げられる。
触れる彼の手は夜風で随分と冷えていた。
目を伏せると睫毛が長いのが際立つなと、まるでこの場にそぐわない事を考えた。
彼の口が持ち上げられた手に触れそうなほど近づく。

「イエスと、言って。……赤井」

死刑宣告のようだ。
後は引き金にかかった彼の指を押すだけでいい。
こんなに幸福な死があっていいのだろうか。
幸せになって、いいのだろうか。
囚われた右手をそのままにして、自由な左手で彼の身体を抱いた。
そのまま僅かに下にある肩口へと顔を押しつける。
冷えたスーツの下にある熱い身体を思う。
今すぐにでもこの身体に愛されてしまいたいと思うのは、流石に情緒がないと怒られるだろうか。

「…っ……おい、赤井…?」
「あむろくん」
「…はい」
「……ふるやくん」
「はい」

好きだというのはどうにも性分が合わず、しかしここで伝えなければ機会はないだろう。
未だに残る蜂蜜の匂いは俺なのか、彼が先程吸ったからなのかはよくわからない。

「俺に、永遠を……信じさせてくれ」

喉から絞り出す声は掠れて、風でうまく聞き取れないかもしれない。
イエスと言うのも、君が好きだと言うのも理性を投げ捨ててからにさせてほしい。
泣いて、あられもなく泣き喚いて言うから。
どうか俺に運命も、永遠も、百年続く恋物語も、夢じゃないと思わせて欲しい。
彼の手が背中へ回されて強く、隙間を無くすべく強く引き寄せられる。
顔が見えないけど、きっと嫌な顔はしていないだろう。

「ええ、いいですよ」

そう言う彼の声が、これまで聞いたことがないほど優しく甘い響きをしていたから。
きっと終りがないことを信じられると思った。
柄にもないけど、今はいい。
過去も未来も関係ない。
今、目の前の彼がすべてだ。







マンハッタンハニームーン






ハネムーンはアメリカです。

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