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□麦刈公一奇譚録第二集
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第二号「六つの鉢植え」


 僕、麦刈公一が通う中学校はごく普通の一般的な中学校だ。
偏差値も部活動記録も抜きん出るものがあるわけじゃない、当たり前の学校。M県S市なので県庁所在地ではあるが、僕らの町はビルが沢山建っているようなところからは離れている。田舎の風景が広がっていてほとんどが一軒家だ。
背の高い建物は精々駅の近くのビジネスホテルや市民ホールのような公共施設にデパートの高層ビルぐらい。その高層ビルだって高くても精々三十階程度だからやはり都会とはいえないのかもしれない。
ビルの多さで判断出来る事じゃないと思うけど、僕の想像する都会というのは窓ガラスがギラギラ光るとてつもなく高いビルが沢山あって、空がほとんど見えないほどあるイメージだ。それと比べるとやっぱり僕らの住んでいる場所は田舎で、テレビで騒がれるような事件もイベントも起こらない普通の場所。
 ごく普通、のはずなのに。
ここ数年で僕は何度も危ない目にあっていて、そのうちのいくつかでは死んでしまいそうになったこともある。犯罪スレスレの出来事や、犯罪そのものであって時効が開けても人に言えない出来事、もう思い出したくないような出来事もある。
 それもこれも、全ては僕の友人が大きな原因だった。いや今もなおこの友人が原因で、僕はまたごく普通の生活から大きく外れようとしている。
「公一、行こうか」
 満面の笑み、にこやかなその顔は整っているから女の子であれば頬を赤く染めて見惚れるぐらいはするだろう。もしくは黄色い悲鳴の一つや二つ、いや三つか四つか五つか六つか七つ。数えきれないほどの女子の歓声があってもおかしくない整った顔立ちの友人の笑みに対して、僕は嫌そうな顔を我慢できなかった。
 目ざとい彼は即座に僕の乗り気でない心境を察し、それなら一人で言ってくるよじゃあね、とは言ってくれない。僕の希望とは真反対、むしろ斜め右上に飛び出した発言が返ってくるんだ。それはあたりまえで、いつも通り。
「酷いぜ、公一。僕がこんなに楽しみにしているのに、なぜこうなるって予測して先に覚悟を決めておかなかったんだい?」
「えッ、まだなにも言ってないよね?」
「だって、朝の朝礼で先生が話をした時点で君はすでに予想していたはずだよ。ビーティーが興味を持ちそうだな、ってね」
 目を細めてニヤリと笑う顔はとてもじゃあないが友人にする顔じゃないと思う。当たっているだろうって顔だ。
 そしてその通り。僕は朝礼の時に先生がした話を聞きながら、これはビーティーが興味を示して、きっと調査してみようと言い出すだろうと思った。
 さてその話というのが、ごく普通である僕らの中学校をほんの少しだけざわつかせている。
 早朝、ガシャン、と思わず肩をすくめてしまう音がして、鍵を開けて回っていた先生が慌てて音の方へ向かってみると鉢植えが粉々にされていた。青色の植木鉢はただ割れただけではなく、土を踏みにじったような痕があり、せっかく咲いた花も同様だったらしい。
 その壊され無残な形になった鉢植えは各教室のベランダに置いてあるものだ。校内美化活動の為、生徒全員で花壇やプランターに種を蒔いて育てた鉢植え。ベランダの中に置いてあるはずのそれが自然に落とされるわけもなく、また靴の痕があることも決定的。悪戯にしては、壊そうとする意志が露骨でなんだか嫌な気持ちになった。
 先生は心当たりのあるものは後で職員室へ来なさい、とお決まりの台詞を言って朝礼は終わった。クラスメイトの噂を小耳に挟んだが、その鉢植えは三年生のクラスのベランダにあるものらしい。事実かどうかはわからないけど、それなら三年生の誰かがやったんじゃないかなと思っていた。
 鉢植えが壊されてしまったのは残念だけど、わざわざ僕たちが見に行くような話じゃないと思う。これが僕たちのクラスが担当した鉢植えとかだったらまだわかるんだけど、そういうわけでもない。僕たちのクラスはプラスチックの細長いプランターに種を植えたんだから。
 思い返してみればみるほど、僕らが勇み足で駆けつけるような事件ではないと思う。そもそも、鉢植えが一つ壊れただけで事件と言えるのだろうか。
「だって、鉢植えが壊されただけだよ」
 全てを言葉にはしなかったけど、敏い君ならすぐに僕の言おうとしていることがわかるだろう。遠回しに、厄介ごとに首を突っ込むのは止めないって言いたいんだけど、それも伝わるだろうか。
 猫を思わせる切れ長の瞳を丸くして、きょとんという音が似合う顔をしたビーティー。伝わらなかった事よりもずっと厄介な事態を招いてしまったとすぐにわかった。
「明確な悪意を持って行われたそれを事件性がないと断言するのは些か早計じゃないかい公一。犯罪の芽っていうのは思い込みや早まった判断が大きな悪の華を咲かせることだってあるわけだ。君の新聞記者のおじさんだって同じような事を言うだろうぜ」
「ああもう! わかった、わかったよ。君の調査に協力するためついていく、それでいいんだろう?」
「いいや、君は正義感に突き動かされて僕に同行してくれるだけさ」
 にっこり。
 女の子だったら思わず見惚れてしまうような完璧な笑みを浮かべたビーティー。けれど、彼の笑みの意味をよくよく知っている僕は小さくため息を吐く。
 お手上げ、という言葉がこれほど似合う状況はなかなかないと思う。すっかりビーティーのペースに巻き込まれているのだけど、そこから抜け出すための手段は思いつかない。彼の言葉に絡め取られて、あったはずの逃げ道を自分で塞いでしまう。蜘蛛の巣にかかった蝶、それかアリジゴクの巣に落ちた蟻。
 どちらにせよ、僕に選択権などあってないようなものだった。
 ビーティー曰く犯行現場である校舎裏へと向かってみたが、すでに植木鉢の破片は片付けられていた。わずかに赤茶色の土が残っているのがわかるだけのそこには、なんの手がかりも残っていない。
 ビーティーも同じことを思ったのか、その日はたったそれだけで帰宅した。帰り道、ホームセンターへと寄ったビーティーはぐるりと園芸コーナーを見たけど、それだけだった。特に何かを購入したわけでも、園芸用品についてコメントしたわけでもない。
 ただなんとなく、園芸用品を見ただけという感じだった。普段は見ることがないコーナーが珍しくて、僕が彼の事を観察していなかったから気づかなかっただけかもしれないけど、なんでもない。いつも通りの顔をしてビーティーとは別れた。
僕は、きっと明日からはなんでもない日常が訪れるのだろうと短絡的に考えていた。偶然にも落ちてしまった鉢植えは、明日にでも皆忘れてしまう。他愛もないちょっとした偶然。
 その考えは、四日間も続けて鉢植えが壊されれば嫌でも改めなければならなかった。
「ど、ど、どうしようビーティー……ッ!」
 四日目の、壊された鉢植えが五個目を数えることになった日のホームルーム直後。
 僕はすっかり血の気が引く思いで彼に話しかけた。その時の僕の心の中は、どうして一番最初のあの時にもっと積極的にビーティーに協力しなかったんだという後悔でいっぱいだった。
 もしもあの時、真剣に協力をしていれば手がかりを見つけることが出来たかもしれないし、五日も続けて朝から先生のお説教を聞くこともなかったかもしれない。もしもを考えればきりがないけど、それでも考えずにいられなかった。
 だって、ビーティーの言葉通りに、彼に従っていれば残りの四日間は未然に防げたのかもしれないんだ。
 ビーティーは不意に僕の方へと手を伸ばしてじっと見つめてきた。行動の意味がわからず、焦る気持ちを抑えて彼が何か言うのを待った。
 すっ、とマジックを好んで披露する長い指先が伸びてきて、ぺちん、と鼻の頭を小突かれた。
「いっ! たぁ……」
「落ち着きなよ公一。君が犯人ってわけじゃないんだから」
 落ち着くようにと宥めてくれるビーティーだけど、なかなか恐ろしい台詞だ。傍から聞いたら、まるでお前が犯人なんだからばれない様に落ち着けよとも聞こえかねない。
 僅かな痛みのおかげで冷静さが戻ってきたので、改めて深呼吸をする。頭の中に風が通ったようにすうっと冷えて、やっと僕は落ち着くことが出来た。
 するり、ビーティーは耳を撫でてニコリと笑った。何かを考えるときにする仕草だけど、表情はすでに考え事が終わった顔をしている。
「種明かしは放課後、帰り道にでもしよう。さあて、一時間目は理科室だよ。いかなきゃ」
 机の中から教科書とノートを取り出した彼は、なんでも知ってるって顔をして立ち上がる。
 しかし、何もわからない僕はぽかんとするしかなくって、部活中も気もそぞろでいるしかなかった。
 毎日一緒の学校に通っていたはずなのに、どうして僕にはわからなくてビーティーにはわかるのだろうか。その謎は永遠に解くことはできない。



「犯人は、土の中に埋もれてしまったあるものを探しているんだよ」
 学生帽を被って、まっすぐ前を向いたまま彼は言う。
 僕は同じように学生帽を被ったまま彼の言葉を待った。
「彼……それとも彼女は、園芸用の鉢植えの底に敷く小さな網のところに何かを隠したんだろう。植込みが終わって、花が咲く前に回収すればいいと。しかし、彼それとも彼女は花が咲くまで隠したことを忘れてしまったんだろう。花が咲いてしまったら、土を掘り返した後がすぐにわかってしまう。そこで思いついたのが、植木鉢を割ってしまうことだ」
「な、なんでまた……」
「鉢ごとぐちゃぐちゃになれば、まさか植木鉢の中に隠し事があるなんて思わないだろう?その証拠に、犯人は割った後に土を混ぜ返している。花をぐちゃぐちゃにするなら、落として割るだけで十分さ」
 すらすらと、まるで見ていたように語る彼の言葉は、確かに納得が出来た。しかし、その植木鉢に隠されていた隠し事とはいったいなんだったのだろうか。
「植木鉢には、いったい何があったって言うのさ」
「犯人が誰かは知らないけれど、僕は犯人の目的を知っているよ。壊れた五つの園芸鉢を覚えているかい?公一」
「ええっと…確か、パンジー…マリーゴールド…ビオラ…」
「ああ、違う違う。植わっていた花ではなくて、植木鉢の鉢の色さ」
「え?」
 学校の各所に置かれた植木鉢は、美化活動の一環で鉢に色を塗っていた。赤と青と黄色とピンクの四色で塗られたそれらは確か、全部で二十三個あった。
 僕は頭の中で火がともるのを感じた。これがひらめくと言う感覚なのだろうか。
「そうか! 犯人は鉢の色を覚えていたんだね!」
「その通り」
「壊れた鉢は…全部、青い鉢植えだ! という事は、学校にあるあと一つの青い鉢植えにその隠し事があるんだね!」
「そう。でも、残念だよ公一。その推理は一つだけ外れている」
「どういうこと?」
「青い鉢植えに植わっている花がね、クロッカスだったんだ。そのクロッカスが、珍しい色合いをしていたんだ」
「うん」
「持って帰っちゃったんだよね」
「…うん?」
 ビーティーはいつも予想していないことを口にするけど、この時もやっぱり僕の予想していないことを口にした。
 もって帰ったって、それって泥棒じゃあないの。
「学校にあるあと一つの青い鉢植えは、残念ながら不正解。正解は、僕の家にある青い鉢植え、だよ」
 教室で耳を撫でながら笑った時の顔で、ビーティーは快活に笑った。
 反対に僕はぐったりと肩から力を抜いて、ため息をゆっくりと吐き出す。
 つまり、一色につき六個の鉢植えで、全部で二十四個あったんだ。ビーティーが一つ持ち帰っていたので、学校で鉢植えを数えた時は二十三個しかなかった。
 つまり、今回の事件の鍵はビーティーがずっと握っていたということだ。
 ビーティーの種明かしを聞いている間に、気づけばビーティーの家だった。庭へ向かうと確かに、学校に置かれている鉢植えと同じ形で、青く塗れたそれが置かれていた。
 ビーティーは慎重に苗を取り出すと、鉢植えをひっくり返して小さな網を取り除く。すると、赤茶色の土の中から銀色の鍵が出てきた。
「ご覧、これが今回の事件の鍵だ。あははっ、比喩じゃなくて本当の鍵だなんて、まったく面白い事件だよね。関係ないけど公一、クロッカスの花言葉って知ってる?私を裏切らないで、っていう意味があるんだよ」
 わざわざその話を今持ち出すってことは、言外に彼が言いたいことはこうだ。学校から鉢植えを持ち出したことを言わないでくれよな、って事だ。
「わかっているよ、だって……」
「君は僕の相棒、だもんな」
「そう、僕は君の一番の親友だし、ね」
 仕方ないなぁって気持ちと友人を庇わなくちゃという気持ちを半分ずつ持って笑えば、ビーティーも笑い返してくれる。
 しかし、こういう時にする彼は華が咲くように、可愛い感じで笑うんだ。思わずドキリとして、視線をそらしてしまうのはどうしてだろうか。
 最後の鉢植えが見つからなかったので、のちの鉢植えバラバラ事件と呼ばれるそれは消えるように終わっていった。
 学校の器物を盗難したことに間違いはないので、僕はまだ公表できないでいる。








六つのナポレオン

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