本棚5

□Something Borrowed
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「まじちょーーーーーめんどくせーーーーんですけどーーーーー」

そうやってなんとも間延びして気の抜けた声で執務室のソファーに横たわっているのは職場の直属の先輩。
仕事を教わったことは一つもないのに、命を救われたことは山ほどあるという不思議な先輩。
反面教師という点で教わったことはむしろ多いぐらいだから、ザップさんは結果的に僕にいろいろなことを教えてくれたのかもしれない。
ただ一点、職場のソファーで、現在ザップさんが横たわっているソファーに引き倒されて無理やり下半身を剥かれ強制フェラされて挙句そのまま童貞を奪われそうになったことは全力で除く。
あれはもう記憶から消してしまいたい出来事ナンバーワンだ。
嫌なことに、強烈な快楽の記憶はなかなか抜けないもので、一人寂しく掌の恋人に慰めている最中のフラッシュバックしてきたときは動揺してそのまま果ててしまったからどうしようもない。
現在、職場の上司とそこの先輩と年上の後輩に好意を寄せられてしまっている僕なのだけど、ザップさんからかけられるアプローチは露骨だ。
口を開けばセックスしようぜ、というあからさまな口ぶり。
子供には絶対に言わせられない台詞をまるで、子供のように、馬鹿の一つ覚えのように繰り返してくるのだ。
セックスしようぜ、ヤろうぜ、ヤらせろよ等々と言い方に多少の違いはあれど、意味はいつだってたった一つ。
真実はいつだって一つ。
好きですとか、愛してるとか、そういうのじゃないところがらしいといえばらしいけど。
そして平時のザップさんを思えば、僕が心配するべきなのは童貞ではなく処女だと思うだろう。
なんとも不思議なことに、あの人は僕に抱かれたいとのたまうのだ。
女の人に不自由しない、性欲処理という観点で見れば何の不自由もしないザップさんが。
特別扱いに優越感を感じそうになるけど、蓋を開ければセックスしたいという下世話な内容だからすぐに冷静になれた。
僕の良い所は適応能力があるところだが、同時に流されやすいところだ、自覚がある。
そんな話題の人物であるソファーに横たわったザップさんはというと、いつもの黒いタートルネックに白の裾が短いジャケット、ではなく黒のワイシャツに淡い水色のジャケットを着ていた。
どことなく見覚えがあるのは先日、スティーブンさんに連れて行かれたブティックで見たものと似ているからだろうか。

「あーーーーーくそーーー…こんなことなら今日はバックれておけばよかったーーー…」
「そんな事したって、どうせここに呼びつけられるんだから諦めろ」

給湯室から戻ってきたスティーブンさんに窘められてようやく体を起こしたザップさんは、まだ気分が晴れないのか頭をがしがしとかいて不機嫌さ丸出しの顔をしている。
ギルベルトさんが入れてくれたコーヒーを飲みながら僕は事の成り行きを見つめる。
珍しい恰好をしているザップさんは、これからカジノへ潜入をする。
ヘルサレムズ・ロットにカジノが存在すること自体はそんなに珍しいことではない。
ただ、そのチップとして使われているのが寿命だというから問題だった。
参加者はお金が減らないからと寿命をかけて、結果的に負けに負けてそこで寿命を迎えて死んでしまうものが後を絶たず、その死体も臓器売買や食人ルートに流されているために世間的には行方不明だ。
勝てばお金に換金できるために、借金を抱えた人がいくのも物騒なカジノだという噂があれど訪れる人が後を絶たない理由だろう。
と、全部が資料で聞きかじった話なのだけど、確認とルート先の業者を探って来いと白羽の矢が立ったのがザップさんだった。
最初、毎月の活動資金を賭博で消している浪費の魔法使いなザップさんに行かせて大丈夫かと思ったけれど、どうやらディーラー側としていく入り込むらしい。
顔でバレないかとも思ったが、すでに書類や情報改ざんはできていて、保険で顔には軽い幻覚をかけていくという。
そんなことまで出来ることに驚き、改めて僕が所属しているのが普通の会社ではなく秘密結社ライブラであることを思い知る。

「でも、なんでそんなに嫌なんスか?カジノとかザップさん好きそうなのに」

素朴でまっとうな疑問を投げかけると、思いっきり睨みつけられた。
そんな親の仇って目で見られるような質問だっただろうか。
肩口に乗っていたソニックがその眼光の鋭さに思わず移動したのがわかった。
瞬間的に移動した先はスティーブンさんの肩で、骨格の脆さがある音速猿らしい賢明な判断だと思う。
ザップさんが勝てないのはクラウスさんとスティーブンさん、あとあのお師匠さんぐらいだろうから。
あれ、それって僕ではかなわないって思われてる。
実際そうだけど、友人に頼りにされていないのが露骨にわかってしまったのはなかなか切ない。
非戦闘要員だから仕方ないだろう。
あからさまにため息を吹き付けてきたザップさんは、大仰にソファーへ持たれかかるとわかってねぇなぁと口を開く。

「俺はカジノは好きだけど、そりゃあ客としてだ。賭け事もできねー身分でカゾノなんか拷問以外の何物でもねぇだろ馬鹿かお前よぉーーーよぉよぉーーーー」
「謎のラッパーみたいに主張されても困りますザップさん。でも、今回のカジノってお金じゃないんすよ?寿命なんすよ?」

お金をかけるのならまだしも、寿命を賭けるということは命をかけるということだ。
実際、負ければそこで死んでしまうのだから。
命をかけてまでギャンブルをするという精神が僕には理解できなくて、自然と責めるような口調になってしまった。
ギャンブルですっからかんな先輩に日々たかられている後輩としての恨み言でもあったかもしれない。

「でもなあ……今日を生きるために食う飯を買う金もねーんなら、寿命なんかねーのと一緒だろ」

ギャンブルはやったことがほとんどない。
学生時代に、学生の小さなグループでやった真似事、最近で言えば非合法の闘技場、それと簡単な次に入ってくるのが男か女かぐらいのもの。
毎日をその時の感情で行動して、気のままにギャンブルのように生きているザップさんが言うと重みが違う。
しかし、その中身はクズでしかないから僕は騙されない。
なまじ顔がいいからそうやって真面目そうなことを言うと女性は勘違いするんだろうけど、スティーブンさんが曰く、度し難い人間のクズだとよく知っている僕だから。
たとえ、好意を寄せられていようがこれっぽっちも思わないんだ。

「おいザップ、ちゃんとタイはしていけよ」
「へーい」

スティーブンさんのため息交じりの苦言にも物ともしない態度には恐れ入る。
付き合いが長いからというのもあるのだろうけど、見ているこちらが冷や冷やするような態度はどうにかしてほしい気もする。
ポケットに突っこまれていたであろう白いタイを出すと、襟を立てて首に通していく。
普段の恰好がラフだから勝手にネクタイとか結べないんだろうなと思っていたけど、存外器用に結んでいくのはモルツォグァッツァでだ。
まあ、その感嘆に対する返事が、スーツが好きだって女がいたからな、だったので株価はマイナスをたたき出したわけだけど。

「わぁーってますよぉ…あ、そういやー報告忘れてたんすけど、マディソン・スクエアで待ってるって言伝もらってますよ」
「は?……女性で待ち合わせをするような人はいないはずだが」
「ほら、えーっと…警部?警部補?」

目つきわりーあのHLPDの、というザップさんの説明を聞いたスティーブンさんの目元が険しくなっていくのが如実にわかった。
のんきな顔をしてネクタイを結ぼうとしているザップさんの後ろにいるから気づかないのかもしれない。
殺気や敵意にはあんなにも敏いのに、どうして今真後ろからの冷気に気づかないでいれるのだろうか。
大慌てでソニックが窓から飛び出し、執務室から退避していくのを追いかけたくなったけど難しい。
ソニックと違って僕は窓から飛び出しても着地などできなくて即死は必至。
ただ、今目の前で起こる事を思えばそちらの方がひと思いで楽かもしれないと夢想する。

「ザァーップ。それ聞いたのはいったい何時だ?」
「は?あーっと、ここ来る前でしょ?えーっと、二時?ぐらいっすかね?」
「今何時だ?」
「六時っすね。そういや、今日の日の入りって六時半らしいっすよー」

ケラケラ笑いながらネクタイをねじって通していくけど、そろそろ後ろ見た方がいいんじゃないだろうかザップさん。
ねえザップさん、心の声が奇跡的に聞こえることを願ってるんすよザップさん。
俺の為には早く後ろ向いて謝ってザップさん。
そんな僕の願いも空しく、スティーブンさんはがっちりとザップさんの頭をわしづかみにすると、指先が赤くなるほど思い切り力を込めた。

「いっでーーーーっ!?な、なんで?!」
「あの人待たせるとそれを理由に厭味ったらしく、あっちばっかり優位な取引持ち出されて面倒だってお前知ってるだろう。それなのに……ああ、もういい。実害分を計算して来月のお前の活動資金から差し引くからな。よし少年、その金で二人でご飯に行こうか。優しい先輩の奢りだよ」
「俺の金なのに?!俺のお金なのに?!」
「いいじゃないか、毎月三分で無一文になるぐらいの無意味な金なら、僕と少年のデートの為に使った方がよっぽど有意義だよ」

なんで僕まで巻き込まれてるんだろうすげー居づらいんですけど。
とは口が裂けても言えないので曖昧な笑みを浮かべるしかない。
しかも、デートという単語を聞いたザップさんの表情があからさまに変わった。
わざとらしく、にやつくように目元を細めて、下卑た声でしゃべりだす。

「へぇ〜?やめたほうがいーんじゃねぇっすかぁ?援交してるって噂たてられますよスターフェイズさんが」
「……ふぅん?一人前に俺に楯突く気なのか、ザップ」
「別にそーゆーわけじゃねーっすけど、てめぇのもんに唾つけられても困るっつーか」
「は?」

冷たいけれど笑っていたスティーブンさんの表情が、聞き返す声と一緒に失われて危険だと脳内のアラームが鳴りっぱなし。
これ以上は流血沙汰か、そうじゃなくても僕にとって何か恐ろしいことが起こるのは明らかだ。
死を覚悟して、怖気づく喉を震わせる。

「あ、あの!!あんまり待たせると、また、その…面倒になるんじゃ、ない、っすか…?」

銀灰色なのに炎が燃える視線と赤銅色なのに冷たく凍える視線にさらされて、胃の中身がせりあがってくる気配。
対照的な視線はしばらく僕を見ていたが、二人そろってため息を吐いてその空気を霧散させた。
ビリビリと臓腑を震わせるような空気が、なかったように消えていく。

「まったく、お前と話してると知能が低くなった気がして嫌だ……」
「うへーそれって俺のせいっすかー馬鹿ってことっすかひでー」
「子供みたいだって話。Says the little boy to the little girl,I will kiss you.なんてマザーグースみたいな可愛いことが言えないだけでさ。欲しい玩具を欲しがって、二人でひっぱりあって、腕をもいじゃあ意味がないだろ?……さて、少年の言う事はもっともだ。僕は出かけてくる。ザップ、ちゃんと仕事しろよ」
「わかってますって!ちぇ…信用ねーなぁ」
「信頼してるからね」

まーた上手いこと言って、と平時と変わらない口ぶりの会話を見守っているうちに、自分が自然と息を潜めていたのがわかった。
しかし、なんであんなに一気に険悪になったのかよくわからなかったな。
そんなに嫌な相手ではないはずだけどな、警部補って多分あの人だろうし。
遠くから陣頭指揮をとっているのを見たことあるし、ライブラに来る前は生存率低めの通りを行きそうになって襟首掴まれたこともある。
そこはかとなく、浮気現場を掴まれた旦那みたいな気持ちになったのはどうか気のせいだと思いたいんだ。
だって僕、まだ誰の物でもないんですけど。
僕、ザップさんの物になったつもりも、スティーブンさんの物になったつもりもないんですけど、今のところ。
正面の扉から出て行ったスティーブンさんを見送ってから、僕はようやく深呼吸をした。

「はあぁぁ…」
「なんだよその溜息」
「深呼吸ですよ。二人が喧嘩するとおっかないっす…」
「別に喧嘩じゃねーよ」
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