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□Something Old
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三十を超えたおじさんにこんな淡い色のジャケットはないよなぁ、とため息交じりにその人は言う。
実際、僕と彼との間には一回り以上は年齢差があって、僕を少年と呼ぶことに違和感はない。
むしろ呼ばれて当然ぐらいの関係性だ。
ただ一つ断っておきたいのは僕は少年というほど幼いわけではなく、妹が結婚できるぐらいの年なので成人はしているということは明言しておきたい。
話が逸れたけれど、スティーブンさんはスーツや高価なブランド品を着こなしても違和感がない成熟された大人の男性であるということだ。
しかし、本人いわく淡い色だというそのロイヤルブルーのジャケットを着る様は、驚くほど違和感がなく本当に彼が三十代であるのかを疑わしく思っても仕方ないだろう。
常々、伊達男であるとか、かっこいいとか評されているスティーブンさんだから当然の結果なのかもしれないけれど、やはり顔がいいというのはセンスを超越する。
スティーブンさんならば物凄いダサいセーターだって着こなせるんじゃないだろうか。
先日ウィンドウショッピング、というか冷やかし半分で入った量販店で見たハンズケチャップのロゴデザインのセーターだって着こなせてしまうかもしれない。
真っ赤なセーターに綺麗に組み込まれたハンズケチャップの文字は、さながら自分がケチャップにでもなったような気持ちになるのは間違いない。
当ててみたらすぐにでもその可否がわかるのだけど、今の僕らがいるのは僕が服を買うような店ではなく、一目で高級品だとわかるブティックだ。
先日モルツォグァッツァでの食事に同席させてもらえた。
その際に、ほとんど礼服らしい礼服がないことを伝えたら経費で服をいただけることになった。
仕立ての良さが一目瞭然のその服は、そのまま僕の物として良いとのことなのでアパートメントのクローゼットの中に納まっている。
普段着と安物のコートやジャケットにパーカーと並ぶそれは違和感しかない。
しかし、何かの時には確かに必要なものだ。
今のところ思い至る何かがほとんどないのだけど、かしこまった何かの時には必要だろう、きっと。

「ほら、君も見立てて貰っておいで」

ロイヤルブルーのジャケットを脱ぐスティーブンさんは、人好きする笑みを浮かべて僕を促す。
僕の普段の服装の貧相さを唐突に指摘したスティーブンさんに、ライブラ執務室からそのまま強引に拉致されるような形でブティックに連れてこられた。
時刻は帰宅を促されるような時間だったので、そのまま直帰するからとクラウスさんに言う言葉を聞きながら振りほどけない腕によってあれやこれやと。
スティーブンさんの車に押し込まれた時には、このまま連れて行かれるのがブティックじゃなくってホテルだったらどうしようと顔面蒼白だった。
年齢は一回り以上の差があるが、だからと言ってスティーブンさんに筋力で勝てるなんてことはない。
それは夢でしかない。
現在進行形で職場の上司、先輩、年上の後輩に童貞を狙われているようなものである僕は貞操の危機を禁じ得ない。
その心配は杞憂に終わったんだけど、まさか本当に服を買いに来るとは思っていなくて僕は手持無沙汰に見回すしかない。
カジュアルな服もある店ではあるけれど、そのどれもが僕のような二十代のアルバイターが着るには上等すぎる。
こんないい服を着た人間が隣の部屋の騒音は突き抜けの安いアパートから出てきたら変な噂を立てられるのは必至だ。
にこやかに見立ててもらっておいで、と言うスティーブンさんのなんと返事をしていいかわからなかった僕は曖昧に笑うしかなかった。

「あははー……えっと…」
「ん?」

ジャケットを店員へと戻したスティーブンさんは、どうしたって聞きたそうな顔をして首を傾げた。
小さな子供がやるような仕草に、思わず視線をうばれたけど、すぐに考え直す。
騙されてはいけない。
話術に交渉術、人心掌握に一番長けているのはライブラの中ではスティーブンさんだ。
それは嘘つきだという意味ではなく、対人に関する対応がとんでもなくうまくて気づけば乗せられているなんてこともざらにある。
その筆頭がザップさんなのは言わずもがな。
この首を傾げるかわいらしさをついつい感じてしまった仕草だって、僕を油断させようとしているのかも。
と、警戒しようとするんだけど、切れ長の目元から力を抜いて気の抜いた表情をしているとどうにも継続していくのが難しい。

「ああ、支払は任せてくれよ。普段、頑張ってる少年への個人的なボーナスだと思ってくれ」
「はっ、え?!いやいやいやっ、そんなのもったいないですよ!」

カラカラ、ハンガーのぶつかる軽やかな音。
鼻歌でも聞こえてきそうなほど上機嫌のスティーブンさんだけど、そこまでしてもらっては申し訳なさが先だった。
服だってちゃんとした物を買えるほどの活動資金をもらっている。
それは、少しだけミシェーラへの仕送りを減らせばいい。
出来ないのは僕の要領が悪いからで、僕のやり方が悪いだけだ。
こんな風に特別扱いをしてもらえるような人間ではない。
僕は上等な服など着てはいけないんだ。
だって、ミシェーラは自分の目で見て選んだ、自分の好きな服を着れないんだから。

「僕なんかにこんなによくしてもらって…」
「なんか、って言うのはもうやめないかい?」
「え……」

真っ白のシャツを手に取ったスティーブンさんが、やっぱりにこやかに笑っていた。
その表情は執務室で見る何を考えているのか読めない顔でも、有無を言わせない凄みを滲ませて迫る様な顔でもなくて、見たことない顔をしていた。
わかるのは、特別扱いをされているということだけだ。
しかもとびきり甘やかされる形で。
僕の身体にあてるようにシャツをかかげたスティーブンさんが、ふっと力をさらに抜いた顔をして笑う。

「うん、白いシャツもよく似合う。パーカーばっかりじゃなくて、たまにはシャツもいいと思うよ」
「…スティーブンさん」
「ん?なんだい……僕の大好きなレオナルドくん?」

問い掛けたいことの答えは、ものの見事に先回りをされた。
直球で、あからさまな好意はいつも通り。
しかしいつものような性的な雰囲気を匂わせるのではない、まるでティーンが告白する様な雰囲気すらあった。
あまりにも大きすぎるギャップに息が止まり、呼吸が戻った時には喉から変な音がした。

「っ、あ…もう……ッ…人に聞かれたらどうするんですか、それ…!」
「他人にどう思われてもいいさ。君にだけ幻滅されなければね」

どうしてもこうも簡単に歯の浮くような台詞が言えるのだろうか。
好きな相手が自分の事を卑下されて嬉しくないと言いたいんだろうなと、すぐに察することができたのは言葉が真っすぐだったからだ。
比喩や屈折表現にジョークを交える言い回しの多いスティーブンさんにしては珍しいから、余計に。
青い、さきほどスティーブンさんが羽織っていたジャケットに似た帽子を手に取ると、被ってこちらを伺ってくる。
視線は、どうだい、と聞いていた。
僕を想ってくれるのは嫌じゃないし、過剰なボディタッチと貞操を狙う直接的な部分を除けばやっぱりスティーブンさんは魅力的だ。

「……似合ってます。でも、何かアクセントがあってもいいかな、って思います」
「帽子に?」
「ええ、シンプルだし明るい色だから…」
「そうだなぁ……ああ、こんなのはどうだろう?」

ジャケットの内側を探り、スティーブンさんは何か取りだす。
それは一見すればただのロザリオに見えるけど、よくよく見知ったデザインのそれ。
エスメラルダ血凍道の為の靴のギミックデザイン。
被ったままの帽子に当てて、顔を寄せて見せるスティーブンさんの仕草は、女の子がアクセサリーをあてて似合うと聞くのと同じじゃないか。
そして僕は、これがデートのつもりだったことが気がつくんだ。
本当に今さらだけど。

「どう?少年」
「ひゃ、え、あっ…えと、似合ってます…!」
「そうか。なら帰ったらヴェデッドに縫ってもらおう。…なにかひとつ古い物かぁ」
「?…あ、マザーグースですか?」

幼少期、ミシェーラと一緒に眺めたマザーグースの本に似たような歌詞があったので、思わず口に出した。
きょとりと目を丸くしたスティーブンさんは、今度はとろりと目元を溶かして嬉しさを隠しきれないって顔をした。
その表情の変化全てに目を奪われた。
大人の男性で魅力的なかっこいい人だと思っていたスティーブンさんが、すごく、可愛く見えた。

「そう。君は僕を幸せにしてくれるってことだ」

お嫁さんにしてね、という言葉も甘く耳を撫でて、顔を覆い隠さないと恥ずかしくって仕方ない。
油断して絆されるわけにはいかないのに、僕の童貞が脅かされるっていうのに。
でも、スティーブンさんなら、いいかもって思わせるんだから僕も、スティーブンさんの事が嫌いではないんだ。
特別だとは言い切れないけど、ただの上司に対しての感情にしては動悸が激しくて。
ドキドキして、もっとそういう顔が見れたらって思う。
これって恋なのか、まだわからない。






Something Old







何か一つ古い物。

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