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□職場内恋愛一夫多妻制度導入法
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正直に白状しよう。
僕は生まれてこの方、女性にモテたためしがない。
見た目はこの通り低身長で、お世辞にも整った顔とは言い難い。
パッチリとした目元でもなければ通った鼻筋でもないし、女性を軽々抱きかかえるだけの腕力もない。
精々小回りが利くだけでバスケットボールやサッカーぐらいでしか役に立たない。
しかもの精度もちょっと、ほんのちょっと小回りが利くだけでエースに成れるわけじゃない。
中途半端で、冴えない男が僕だ。
肝心な時に妹を守れない、哀れな男。
そんな僕に、神々の義眼を得てからというものの、ついにモテ期がやってきたみたいです。
自分で言っていてあれですけど、雑誌の後ろの方の広告に乗っているインチキ商法みたいな言い方だと思う。
このブレスレットを買ってモテるようになりました、みたいな感じの。
余談だけど、この間雑誌の広告でモデルをしたってザップさんが言ってきたので人間のクズだけど顔だけはまともな人みたいだものなと思っていたら、お金のお風呂に浸かって女の人をはべらかしている写真だったので色んな意味で安心した。
この人をまともな人間のように扱われなくってよかったって事と、嗚呼やっぱりそういう広告なんだって事にも安心した。
この人がまともな服を着てまともなモデルなんて扱いをされた日にはきっとエイブラムスさんがやってくるに違いない。
ライブラにとって空から槍が降ってくるのは、エイブラムスさんの突然の訪問と意味合いはかなり近いんじゃないかと思っている。
エイブラムスさんには悪いと思うけど、その効果は自分で体験済だ。
ザップさんの話は本当に余談で、それは大筋と関係はない。
ザップさんの事が関係がないわけなかった事に気づくのはもう少し後の話で、それに今の僕はまるで気づいていないだけなんだが。

「少年ー」

はい、なんですか。
って返事をしようとして開きかけた口は、すっかり埋まってしまった。
んぐぐぐんううう。
口の中で驚愕が暴れている。
言葉にしたいのに口は目の前の人のおかげでひらっきぱなしで閉じているおかしな状態にされている。
高くすらりと筋が通った鼻が当たらないように傾けて寄せられ、深く合わせられた唇と湿った舌に口を舐められる行為はまぎれもないキス。
ただし挨拶代わりにするには明らかにおかしなキス。
さきほど振り返った時に見えたのが間違いじゃなければ、この暴挙の理由はコップを持っていた。
乱暴に引きはがそうとすればこぼすかもしれない。
それで火傷をさせてしまったら悪いし、僕が着る事はきっと一生ない仕立ての良いシャツを汚してしまっても困る。
そうすると、僕は結局スティーブンさんのキスを拒むことが出来ない。
そして、それが全部計算づくめでされていることもわかっていて断れないから、なおの事ふがいなさに拍車をかけるのだ。
ぷはっ、口が離れたのと同時に息を吸い込むと、他人の匂いが肺いっぱいに流れ込んでくる。

「げほっ、ふあっ…すっ…スティーブンさんっ!!!」
「おはよう少年。今日も朝から可愛いね」
「………おはようございます。スターフェイズさんは朝から人の話聞いてませんね」
「ファミリーネームで呼ぶなんてつれないなぁ。君と僕の仲じゃないか」
「どんな仲ですか!!」

情事真っただ中のようなキスをしてきた癖に、まるでなんでもない顔をして笑っているのは職場の上司。
ライブラの参謀役、直属の先輩にあたってしまうザップさんとは比べ物にならない大人の男の人だ。
いつもスーツ姿で、報告書を片手に持っている姿なんてものすごくかっこよく様になっている。
そんな人が、ここ数日ずっとこの調子なのだ。
最初は頭でも打ったのかと思ったし、バイオテロのような薬でも盛られて別人になったのかと思った。
しかし、他のメンバーがいる時は平時と何も変わらないんだ。
誰もいない時だけ、こうやってキスをして、可愛いと言って、好きだよと言う。
大きすぎるギャップが信じられなくて、その言葉の半分も僕は信じ切れていない。
だって、僕は見てしまったんだもの。
新しいバイト先が住民票を提出しろって言うから役所へ行った時、うっかり異界向けの階に入ってしまい戻ろうとしたら職員用階段の踊り場であの人ったら女の人にキスしてたんだもの。
しかも、抱きしめて、手はスカートの中まで入り込んであられもない姿。
あまりの事に呆然としていたら、スティーブンさんは僕に気づいて笑いかけたのだ。
悪戯が見つかったように、女の人にはわからないようにそっと指を立てて、静かにってポーズをして。
そんなシーンを見てしまって、この人の言う好きだを信用できるだろうか。
それが出来るとしたらかなりの善人だと思う。
僕は、善人ではない。
あの後、スティーブンさんと顔を合わせるのが気まずくて仕方なかったんだ。
思い出すのも気まずいのに、どうして思い出してしまうのか。
スティーブンさんは自分の唇を撫でるとしばし考え込んで、また再び僕の方へ顔を寄せた。

「もう一回してもいいかい?」
「え、嫌ですけど…」
「気持ちよくなかったかな」
「そういう事じゃないです!」

嗚呼この人、全然僕の話聞いてないな。
そう思っても口に出すことは憚られて、結局小さくため息を漏らすしかない。
そのうちに機嫌が良さそうに報告書へ視線を移すのだから放っておく。
聞き分けがよく引き下がる所も、僕がこの人の言葉を全部信じられない理由のひとつだ。
これ以上の何かが起きると僕の心臓が朝から破裂してしまいそうなので、早々に退散することにした。
何かあるかなと思って来たのだけど、キスされてその後に何も言われないって事は僕がするような仕事は事は何もないと判断していい。
うん、かなり順応してきている気がする。
今の流れで何もないかって言ったら確実に色々あったんだけど。
ライブラの執務室を抜けて、廊下へと向かう。
長い廊下の数えて五つ目。
ドアを開けると、そこはクラウスさんの管理する温室だ。

「クラウスさーん…いますかー…?」

そうっと草木の陰に声をかける。
あの大きな背中が低木に隠れるとは思わないけれど、屈んでいたらわからない。
それに、急に姿が見えたらクラウスさんもぼくもびっくりする。
ジャングルのようなエリアを超えていくと、広がる一面の薔薇園。
そこだけヨーロッパのような雰囲気がするのが不思議だ。
散水ノズルが付いたホースを片手に持ったクラウスさんの姿が見えて、ほっとする。
最初は強面にびくびくとしてしまったけれど、表情の変化がわかるようになった今は怖くない。
むしろ、何を考えているかわかりやすいぐらいだ。

「クラウスさん、おはようございます!」
「っ!レオナルド…おはよう、早いな」
「バイトが午後からだったので…あ、凄い!咲き始めたんですね!」

小走りに近寄っていく。
遠くからでもよく見えた薔薇の花々が、近づくとよくわかった。
小ぶりな物から大ぶりな物まで、色も白、黄色、赤と色もさまざまだけど、どれも丁寧に手をかけたのがよくわかった。
大切にされていると、義眼を使わなくても。

「ああ…ようやくシーズンだ。満開になったら、お茶会でもしよう」
「いいですね!ぼくも参加させてください!」
「無論、そのつもりだ。……そうだ、レオ」
「はい?」

クラウスさんが屈みこんだ。
その様子を見ていると、腰のあたりに巻かれたウエストポーチから剪定ばさみを取り出すのが見えた。
えっ、そう思うよりも早く、ハサミは入れられる。
チョキンと軽やかな音がして、赤い小ぶりの薔薇がクラウスさんの手の中に落ちてきた。

「えっ、いいんですか?!」
「嗚呼、咲いてきたら少しずつ剪定はしなくてはいけないんだ。それに、一番に君にプレゼントしたかったんだ」

差し出されたそれは、間違いなく薔薇。
真っ赤な薔薇はちょうど整った形で咲いていて、とても綺麗。
さらに溶けたような顔で頬笑みながら差し出してくるクラウスさんの雰囲気にながされて、つい受け取ってしまう。
いやいや、この流れはおかしな流れだぞ。
そう思うよりも早く、クラウスさんはぼくの手を取る。
薔薇を受け取らなかったぼくの左手。
犬歯が覗く唇が寄せられて、小さな音をたてて触れられた。
その光景は、自分が持つ薔薇とクラウスさんの赤毛と、その赤毛から覘く緑の瞳によって絵画の様にも思えた。
全部がそうであると決められたように美しかった。
ぼくの貧困な感性でもそう感じる。
本当に綺麗な物は、直接頭に殴りこんできたような衝撃を受けるんだ。
しかしながら、この流れはラブロマンスや女の子が読む様なコミックだったら問題ないんだけど、僕とクラウスさんでは間違いしかない。
大問題の大間違いだ。
何故なら僕もクラウスさんも男なのだから。
そして、ここで頬を染めてときめくのはぼくのはずなのだが、頬を染めて潤んだ目をするのはクラウスさんの方。
そして、そっと頬へ顔を寄せてキスをして恥じらうのもクラウスさん。
ひとつひとつ、丁寧に落とされるくちづけはスティーブンさんのような情欲の匂いはまったくしないけど、言葉で言わなくたってわかる。
クラウスさんがぼくを好きでいてくれてるなんて、傍目に見ても明らかだ。
愛おしさが滲んでいる。
身体の内側から恥ずかしさに、沸騰する。

「レオ…レオナルド…」
「あ…ありがとう、ございます…」
「…ああ」

辛うじてお礼を絞りだせば、またとろりと融けた様な顔でほほ笑まれた。
いつもきつくつり上がった目元が優しく溶けて行くのは、ドキッとする。
前髪で隠れている目元が、身長が低いぼくからは隠れずによく見えるからだ。
見てはいけないような物を見てしまったような気がして、目を反らしつつ慌てて話題を変えた。
薔薇のひとつひとつに名前が書いてあるようだったので、それを聞いてみたらクラウスさんが説明してくれた。
ぼくから視線が外れたことに、ついほっとしてしまう。
どうやら、僕のモテ期っていうのは上司にモテモテになるってことだったようです。
しかも、今のところ好かれているのは全員男の人でした。
神様、ぼくのモテ期ってまさかこの一回じゃないですよね。
しかし困ったことに、ぼくはそれらに焦って、動揺して、困ってしまうけど嫌ではないんだ。
本当に、困ったことに。
いっそ絆されてしまいそうなほどに。







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後日、先輩に、新しく出来た年上の後輩に、さらには堕落王にまで追い回されるなんて思っていない。

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