本棚5

□朝露の真珠
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ライブラの事務所には、いつも観葉植物が並んでいる。
それは僕がライブラに関わる事件の時から。
最初の事件のあの時は、堕落王によるとまっぷたつカーニバルなんて賑やかな名前の半神召喚に巻き込まれてしまって、そのほとんどの植木鉢が駄目になってしまった。
あの時は怒っているなんてわからなかったけれど、ライブラに出入りするようになってからはその理由がよくわかった。
苗木を買って育てるのではなく、種まきから株分け、植え替えまでの全部をクラウスさんが行っていたんだ。
それは自分の子供を育てている感覚に近いだろう。
まさしく汗水たらして手塩にかけて育てたわが子を無残にも粉々にされてしまって、しかもその後の乱闘で踏みにじられたんだ。
八つ当たりの一つもしたくなるだろう。
乱闘の部分はクラウスさんも加担している気がしたけど、それに関しては口を紡ぐ。
指摘した所で怒る様なひとではないけれど、申し訳なさそうな顔を見たいわけじゃない。

「えーっと…いち、に…さん…よん…ご、っと」

扉の数を数えながら廊下を歩き、指折り確認。
ドアを開けると、特別な音がしたわけじゃないのに空間が入れ替わっている。
室内のはずなのに、繋がっているのは温室だった。
それも広い、広い温室。
クラウスさんの温室だ。
多種多様の植物が植えられているそこは、吹き抜けのように見えるけれどガラス張りの天井があって、一部に葉緑体の働きを促す為にライトを取りつけてあるらしい。
青空に見えるようにするのは、草木が映えるのは青空の下だからだろうな。
エルサレムズ・ロットに来るまで見ていた世界に濃い霧はなく、抜ける様な青空の下で見るポピーの花は美しかった。
思えば、光を受けてより色は濃く見えるのだろう。
ただ、僕の目ではあまり意味は無いだろう。
義眼は霧などお構いなしになんでも映したから。

「あ」

青々とした木々の間に、燃える赤毛を見つけた。
広い背中を小さく丸めて屈みこむ姿は、なんとなく熊を思わせた。
ぼくより年上の男の人に言うのも失礼かもしれないが、可愛い。
大きな身体を一生懸命詰め込んでいるみたいで、可愛い。

「ん…レオナルド」

声が聞こえたんだろう、立ち上がり振り返ったクラウスさんが口元を綻ばせて笑ったのが見えた。
知らない人が見たらきっと笑っているように見えないんだろうけど、クラウスさんの事をそれなりに知った僕には柔らかく笑っているようにしか見えないんだ。
ぼくの、恋人だ。
暇を見てはこの温室に通うようになったのは、クラウスさんが居るって言うのが一番の理由だけどもう一つ理由はある。
二人っきりなのだ。
ギルベルトさんが言うには、クラウスさんが園芸を始めたのは最近ではないらしくラインヘルツ家に庭師いらずと言われるほどらしい。
そのため、温室にはギルベルトさんはいない。
時々、タイミングを見計らってティーセットを持ってくるぐらいで、基本的に園芸は手伝わないらしい。
だから、二人っきり。

「クラウスさん、お疲れ様です」

近づいてみると、腕をまくっていつものベスト姿のクラウスさんの頬には汗が流れていた。
温室は常に暖かく保たれているが、今日は珍しく霧が薄くて温室の外も気温が高い。
結果的にこの中だけ夏のような暑さになっているんだろう。
ぺったりとシャツが二の腕に張り付いていて、かなり集中していたのがうかがえた。

「汗凄いですよ、大丈夫ですか…!?」
「ああ…確かに。見苦しい姿を見せてしまってすまない…」
「あっ、そ…そういう意味じゃないんです!脱水症状とか、心配なだけで…!」
「そうか…ありがとう、レオナルド」

しゅん、と小さくなったかと思うとまた大きくなる。
僕の一言で小さくなったり大きくなったり、まるで風船みたいに思えてきた。
やっぱり、可愛い。
僕よりも男らしい体つきをしていて、顔だってどちらかと言えば精悍なクラウスさんだけど、僕は彼の事が可愛くて仕方ない。
抱きしめたい。
ぼくがクラウスさんを抱きしめると抱きついているようにしか見えないんだけど、僕は断固として抱きしめているつもりなのだ。
たとえ、身長が届かないからクラウスさんに抱っこしてもらっている状態だったとしても。
切ない。
ぼくの成長期はまだまだこれからの予定なんだ。
多分。
もしかしたら。
泥のついた指先が顔に触れないように、手の甲でクラウスさんは汗を拭った。
その仕草に、またきゅうっと胸が締め付けられる。

「クラウスさん…」

手を伸ばして、クラウスさんの腰に手を伸ばす。
抱きつきにいこうと足を勧めると、それに合わせて足を引かれた。
ん、と思うよりも早く、明確に距離を取られた。
まさか距離を取られるなんて思っていなかった僕はフリーズして、動きが止まる。
えっ、もしかして避けられたのぼく。

「れ、レオ…っ…その…違うのだ」
「え…えーっと…?」
「その…さきほどまで樹木の植え替えをしていて、泥に汚れている…それに…」

ショックを受けたぼくの様子がわかりやすかったのだろう。
クラウスさんは手を振って拒絶したわけじゃないと言ってくれる。
しかし、それでも逃げられたのは事実だ。
クラウスさんがしどろもどろになっていくのを見ていると、最後には唇をもごもごとさせてしまった。
そんなに言いにくいことなんだろうか。
言いにくい事実があるなんて、僕はそれを受け止めることができるだろうか。

「それに…その………汗臭い、だろう…今は、その…近づかないでいただきたのだ…」

顔を赤くして視線を反らすクラウスさんは、小さくそう言って口を閉ざした。
その赤い理由は、暑さだけじゃないだろう。
嗚呼やっぱり、なんて可愛い、愛おしい人なんだろう。
ぼくの恋人はこんなにも、こんなにも、可愛い人だ。
思い切り踏み切って、飛びつく。
石畳に飛び込む様にすれば、きっとクラウスさんは僕を受け止めてくれる。
ぼくの目論見通りに、クラウスさんは石畳にぶつからないようにぼくを受け止めてくれた。
少し湿った、熱い身体がぼくを受け止める。
息を吸えば、土の匂いと森の匂い、それとクラウスさんの匂い。
いい匂いだ。
ベッドで嗅ぐ汗とは違う、もっと健康的な。

「レオっ…レオナルド…ッ!」
「へいきですよ…いい匂いです」
「いや、しかし……」
「抱き締めたかったんです。クラウスさんが、好きだなーって思ったので」

そう返事をすればクラウスさんは視線をうろうろさせ、めいいっぱいうろうろさせてからおずおずと背中に手を回してくれた。
土がつかないように控え目に当てられる手の温度が、服越しに伝わってくる。
額をクラウスさんの鳩尾に擦りつけるようにして、ぎゅうっと強く抱きつく。

「クラウスさん」
「…ああ」
「好きです」
「ああ…私もだ、…れお…」

厚めの前髪に隠れた目元が、下から見上げると愛おしさで溶けているのがよく見えるんだ。
それを知っているのは僕だけでいい。
僕だけが知っていればいい。

「汗、流しにいきましょう。お風呂、一緒に入っていいですか?」

悪戯っぽく言えば、顔は赤いままだけど小さく頷かれて、こっちこそ赤くなってしまった。
本当に、大好きです。
貴方の全部が好きで、僕は貴方に恋をしています。





朝露の真珠






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