本棚5

□番頭さんがスペイン語を話すレオスティ
1ページ/1ページ

血界の眷属を前にしての些細なやり取りであったし、三年も前の事だからすっかりわすれていた。

「スティーブンさんって、英語以外に何語が話せるんですか?」

その忘れていた話題を振ってきたのが、最近新たにライブラの一員になった少年だったのは予想していなかった。
書類の山を片付けてひと段落していた。
ソファーの先には同じようにカップを持ったレオナルドがいる。
彼もバイトを終わらせてからやってきた所で、いつもなら中央の机にいるクラウスも、姦しいザップもいない。
チェインは呼び出しで別件にでているからいないはずだろう。
コーヒーを一口啜ってから口を開く。

「クラウスかい?」
「はい。スティーブンさんとクラウスさんで合わせて9カ国語?でしたっけ…」
「本当に、あいつは豆な男だよなぁ……その会話したの、血界の眷属と対峙した時だったし、三年前だぞ?」
「あはは…クラウスさんらしいですね」

少年は両手で持ったカップに口を尖らせて寄せ、小さな音を立てて飲みこんだ。
僅かに香る甘い匂いはココアだろうか。
子供扱いをすると拗ねるくせに、やっぱりまだまだ子供だな。
立ち上がり腰を回し、息を吐く。
座ったままは体に悪い。
身に染みて感じる。

「英語と…なんだったかな?たしか、クラウスはドイツ語が喋れる」
「へえ〜!」
「クラウスの方が話せるのは多いんじゃないかな」
「そうなんですか…あの………もしかして、あんまり聞かれたくない話題でした?」

少しだけ目を開いた。
はぐらかすつもりはなかったのだけど、どうやら無意識に話題を逸らしていたみたいだ。
しかし、自分の無意識に気づいた少年の方に驚いた。
それを指摘出来るようになっている少年にも。
躊躇いがちにドアを開けていた最初の頃を思い出せば、随分とこの空間に慣れてしまったようだ。
益々、普通の生き方が出来なくなってしまったことを喜ぶべきかは疑問が残る所だが。

「いや…悪い癖だ」
「癖…」
「ライブラの存在が明るみに出ないようにね。自分の情報を語らないようにする癖が…だからK.Kにも性格悪いって言われるのかなぁ?」

苦笑いを浮かべてソファーへ向かう。
同じように苦笑する少年は、瞬きをしてまた目を細めた。
義眼の青いひかりが滲む。
宝石が反射するのと、それは似ている気がした。

「英語と、ドイツ語、それと…フランス語も少し」
「クラウスさんですか?」
「いや、僕が」

今度は、青い義眼がはっきり見えた。
そうやって目を見開いてると、本当に子供みたいだな。
可愛い、と思った。
そう思った事に、また驚いた。
自分にそんな感情があることにも驚いたし、少年に対して思ったことにも驚いた。
日々街のいざこざに巻き込まれ、むしろ強くなりつつある少年を可愛いなどというのは本人からしたらたまったものではないだろうな。
ぱち、ぱち、ゆっくり瞬きをした少年は、ぽかりと口を開けてこれまたゆっくり瞼を閉じた。

「びっくりしました…てっきり、教えて貰えないと思ってたんで…」
「俺が話せる言語を知った所で、外部の人間になんの得もないからね。君から漏洩されても困りはしないさ」
「しませんよ!」
「わかってるよ、少年」

慌てて否定する少年にジョークだと返せば、安心したような顔をする。
一挙一動、その全てに色がついているようだ。
豊かな感情表現は、さらに俺と正反対にいるようだ。
そんな少年の、誰にも見せない顔が見たいと思う。
夜、滲む青が淫欲に染まるのが、見たい。
悪い癖だ。
悪い癖しかない。

「凄いなー、僕なんか英語ぐらいしか喋れないし、ほんと凄いですね。…あれ、スティーブンさん?」

少年の目の前で見下ろすと、糸目が見上げる。
丸くて、柔らかい顔。
噛み付いたら流石に怯えるかな。
ココアのカップのふちを撫でて、腰を折る。
返事をしないのに疑問が浮かび、何かが起きる気配を察したのだろう。
少年に焦りが生まれる。
名前を呼ぼうと開いた口を捕まえた。

「!?」

口の中で、言葉のような何かが反響する。
実際は、言葉にもならない衝撃が襲ってるのだろう。
いや、襲ってるのは俺の方か。
合わせを深めて湿った内側も触れるようにすると、視界の端で肩が大きく揺れた。
目元に暖かい光を感じるのは、少年が義眼を見開いてるからだろう。
咄嗟に発動させたって、胸の内まではわからないだろうに。

「っ、ぁ…はあっ…!」

口を離した途端に咳き込むように酸素を吸い込まれた。
鼻で呼吸すればいいのに、それとも息を止めていたのだろうか。

「きゅ、きゅうに…何するんです !!」
「急じゃなければいいのかい?」
「はぐらかさないでください…っ!!」

目元まで真っ赤にした顔の中で、目だけが淡い光を放っている。
そこにキスしてやりたくなったけど、それもまたはぐらかされてると思うんだろうな。
茹だってしまったような赤い耳へ口を寄せる。
びくんっ、と少年の肩がまた揺れる。

「Dame un abrazo. 」
「ッ、…!な、なに…?」
「言ってごらん?」
「え!?」

混乱に混乱を塗り重ねた顔で見上げてくるのがまた可愛く見えてつい調子に乗ってしまう。
はしゃいでしまうのも、俺の悪い癖だ。
耳に触れるギリギリに唇を寄せる。

「言って、少年」
「ひ……ぁ……え…と、だ…だめ、うん?」
「abrazo」
「あ、ぶらそ…?」
「………うん、よく出来たね」

拙い口で繰り返されたそれが、俺の言葉を繰り返す。
情欲が背中から首に手を回しているのを感じた。

「それの意味が答えだよ、少年」

首筋から顔を離して正面から覗き混む。
額まで赤く染めた顔があって、翻弄していることがよくわかった。
その可愛さは、愛おしさに似ている。
そんな感情、あったのか。

「ええ?!教えてくれないんですか!」
「宿題だよ。人に聞いてもいいけど、うちのメンバーに話せるやついたかなぁ」
「英語じゃないんですか!?」
「英語じゃあ君わかるだろ」

コーヒーメーカーのある方へ足を伸ばす。
眠気も消えているが、事務作業中はなにかと口さみしくて困る。
頭を抱えんばかりの混乱を抱えた少年は、ココアの入ったコップをローテーブルに置いて立ち上がった。
その姿はなかなか勇ましい。
気合が義眼を通さなくても見て取れる。
聞いて解決しようとしない所がまたこの少年のいい所だ。

「わっかりましたよ…答えわかったら理由!聞かせてくれるんですよね?」
「嗚呼、いいよ」

子供扱いも嫌なんだろうな、そこが大人からしたら可愛くて仕方ないのに。
ドアへ向かう背中を見送り、ドアを開ける所で呼び止めた。

「少年ー」
「はい」
「スペイン語だよ」
「はい?」

手をひらひら降って笑いかける。
不思議そうな顔もいい。

「さっきの、スペイン語。答えがわかったらちゃんとあげるよ」
「なにをですか…?」
「んー…色々と」

わからないって顔をしたまま、少年はドアの向こうへ消えて行った。
自然に笑みが浮かぶ。
はしゃいでると痛い目を見るってわかってるのになぁ。

「嗚呼…ザップはもしかしたら、知ってるかもしれないな」

女の家をハシゴするザップは、もしかしたら言われたことがあるかもしれない。
ひょっとすると、少年が答えを知って部屋にやってくるのは早いかもしれない。
新しく入れたコーヒーを持ち、椅子に座る。
さっきまで少年が座っていたソファーは、人の体温が残っていて暖かい。
一眠りしてしまおうか。
その間に戻ってきたら、それはそれで面白いしね。

「………Dame un…abrazo…」






私を抱いて





抱いて、ってスペイン語で言うスターフェイズさんはえっち過ぎると思うんだ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ