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□デイジーを買いに
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いつも嵐のようにやってくるから、俺はこっそりと台風のようだと思っている。
そんな事を言えばそれは雷のように怒るから絶対に口にしたりしないが。
結婚当初、同期に鬼嫁だったりしてなと笑われたのを思い出す。
鬼嫁ってわけじゃあないが、お袋ともう少し円滑にやれないものかとは思わずにいられない。
どちらも怒りの矛先を俺に向けてくるから面倒で仕方ないんだ。
しかしそんな喧噪も多くて半年に一度。
盆の頃は忙しいからそれを外した八月と年の瀬も迫った年末。
時折思い出したようにやってくるが、一晩泊まったらすぐに帰った。
本当に夫婦なのかと言われたらかなり怪しいところだが、お互いの安寧の為に選んだ選択だ。
俺は親が選んだ結婚相手と結婚しないために、恭子は医者の妻という体裁のために。
一応、結婚をしようと思う程度には恭子の事は特別な位置づけにあると思う。
女の中では、というだけであってそれが家族としてなのかは自分でもはっきりしない。
それでも書類の上や町民にとって、恭子は俺の妻なのだ。

「ねえ、なんでクーラーついてないの?」

低く唸るような扇風機の音に紛れて、記憶の中の女の声がする。
その日は春にしては暑く、初夏と言っても良いぐらいの晴れ日だった。
咥え煙草のまま振り返ると、記憶通りの姿が院長室のドアを開けて立っている。
前に会ったのは確か年末だったなと思い、軽く煙草を吸ってから口から離した。
窓の外へ向かって煙を吐き出してから、肩をすくめて見せる。

「生憎、経営がカツカツなもんでな」
「はーあ、やだやだ。なんで大学病院辞めちゃったのよ。こんなにあっつい日にクーラーも付けられない村医者なんてたかがしれてるじゃない」
「それは親父に言ってくれよ。こんなに早く死ぬなって」
「それはあなたが言ってよ。嫌よ、私。お父様怖いんだもの」

すでに死んでいるんだから誰が言っても変わりはないが、親父の幽霊が聞いたら枕にでも立って大声で怒鳴り散らすかもしれない。
ありえないとわかっているが、それは嫌だなと真面目に思う。
まだ半分ほど残っている煙草を灰皿に押し付けて、窓を大きく開ける。
風が通って書類をはためかせた。
吹き飛びそうな書類を押さえつける。
恭子は煙草の匂いが服につくのを嫌がるからだ。
俺はようやく椅子から腰を上げて恭子を見る。

「それで、どうした。また急だな」

キツイ目元に皺が寄って、不機嫌を隠さない顔をする。
恭子を好ましいと感じるのは、顔に表情が出るからかもしれないと、ふと思う。
扱いやすいと言えばそれだけだが、素直にあれが欲しい、あれをしたいと言うのは対応しやすい。
都合がいい、と言うと怒るだろうな。

「……夫婦が同じ家にいるのはおかしな事じゃないでしょ」
「そりゃあそうだけど」

俺たちは世間一般で言う夫婦とはちょっと違うじゃないか、とは言わなかった。
喉まで出かけたのは押し込んだ。
わざわざ来た恭子に喧嘩をふるほど野暮なことはない。
不機嫌そのままに家を回ればお袋と喧嘩は必須。
巡り巡って俺の所に怒りの矛先が来るのはわかってるんだ。
分かっている災厄を回避しない手はない。


今日、日曜日よ?なんで仕事してるのよ」
「カルテは医者にしか書けんだろう」
「効率悪いんじゃない」
「放っておけ。お袋のご機嫌取りなら適当にしてやってくれよ」

特に用事があるわけでもなく、ただなんとなく顔を出しに来たのだろう。
そう判断して立ち上がった腰を下ろして机に向かう。
義理を立てるために顔を出しにきたに違いない。
俺が勝手に何かされるのを嫌がるのを恭子は理解している。
それは、夫婦としてよりもお互いの利害を一致させる手段の一つだ。
恭子も長居する気はないだろうから、さっきまでの吸いさしにもう一度火をつけた。
焦げた先が再び赤くなる。
どんっ、低い音がして動きを止めた。
首だけで振り返ると、診察用のベッドに恭子が腰を下ろしていた。
何故わざわざ腰を下ろしたのかわからなくて、恭子の顔を見ているとまた不機嫌そうに眉をひそめた。

「なによ」
「いや、どうした?何か話でもあるのか?」
「……今日って何の日?」
「今日?日曜日だが…別に祝日でもないだろ?親父の命日でもないし…そっちの両親まだ死んでないよな?」
「……あっ、そうっ!なんでもないわよ!もう!」

なに怒ってるんだ、と聞き返すよりも恭子が踵を返す方が速かった。
ヒールの音をさせながら、院長室から出ていく後ろ姿を見送りながら考える。
恭子の考えている事がわからないのはいつものことだが、今日は一層わけがわからない。
カレンダーを見ても特に予定が入っているわけでもないし、祝日でもない。
ごく普通の休診日だ。
コン、コン。
ノックの音は後ろではなくもっと近くからした。

「若先生、今大丈夫ですか?」
「律っちゃん。どうしたんだ?急患か?」

窓からひょっこりと顔を出したのは、毎日のように顔を合わせている律子。
見知った顔に安心するよりも先に警戒心が沸き起こる。
しかし、律子はにこりと笑って首を振った。

「いえ。ロッカーの中に忘れ物しちゃったんで、開ける前に一応声をかけてからと思って」
「そうかい。ご苦労様、鍵は持ってるだろう?」
「はい。若先生も休日出勤ですか…お疲れ様です。そういえば、若奥さんいらっしゃってるんですね」
「会ったか?」
「いえ、表に見慣れない車がありましたので…そっか、今日ですもんね」
「ん?」

すっかり把握している律子の顔に首をかしげる。
やはり女の問題は女の方がわかるだろうか。
それとも、女の間では今日は何か特別な日にでもなっているのだろうか。
俺がよくわかっていないのが顔にも出ていたのだろう。
律子は仕方ないと言わんばかりの苦笑を滲ませて教えてくれた。

「今日、結婚記念日でしょう?」

すっかり、というか、さっぱり。
記憶から消えていたその日に、心臓が飛び出すかと思った。
そんな日もそういやあったなという思いと、恭子がその日をちゃんと覚えていた事にも驚いた。
あの恭子が。
するとあの態度も納得がいく。

「あー…律っちゃん」
「はい、なんでしょう」
「機嫌を直してもらうには、何がいいだろうね」
「そうですね…とりあえず、お花じゃないでしょうか?」

にこにこと笑顔で答える律子は何から何までお見通しのようだった。
女の勘なのか。
俺がわかりやすいという可能性は除外しよう。
書類を畳んで乱雑に仕舞い込み、つっかけのまま窓から出る。

「若先生もお出かけですか?」

わかっているだろうに聞くあたり、この状況を楽しんでいるのは律子だ。
女はどうして男が狼狽える話が好きなんだか。
恋とか愛とか、そんな綺麗な物じゃあないが。
不機嫌の理由が俺なのなら、殊勝な態度を取ってやるんだ。
それぐらいには恭子は特別な位置づけに居る。
共犯と言うには生ぬるく、恋人だというには遥か遠くに来てしまっているからな。

「ちょっと、花屋へいかんとな」





デイジーを買いに




デイジー
花言葉「純潔」「美人」「平和」「希望」
ほー様
大変遅くなってしまって申し訳ないです…
なんだかんだ結婚記念日は理由をつけて帰ってくる恭子さんとか可愛いなって思っております
リクエストありがとうございました!

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