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□長谷部が獅子三日に動揺させられる話
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俺の世界は突如として一変した。
戦国の世が全てであった自分にとって、その世界は奇妙な事象が多々あった。
その最たる事象が、ただの物であった自分が二足歩行をしていることだ。
肉の器を与えられて、言葉を発して訴えることが出来るようになった。
妙な感慨を覚えたものだ。
付喪神としての意識と触れるという行為は別物であったし、一所から動けないのは変わらなかった。
精々動けても一丈半(大体5メートル)ほどの範囲。
その自分が十里も遠くまで自分の意思で動くことができるなど考えられなかったことだ。
そして同時に、思うのは前の主の事であった。
洋装を取り入れて、楽しげに南蛮の物を見る前の主。
直臣でもない男へと下げ渡した、あの男。
真新しい物を好み、天下統一を掲げて、皆に呼ばれた名は大うつけ。
手のひらを強く握る。
肉の感触。

「い、ろ、は、に、ほ、へ、と」

数える声に合わせて指を動かすと、自分が別の存在になっていることを強く実感する。
それでも、思うのは未練がましい事だけだ。
もしも、今のようにしゃべることが出来れば、下げ渡されることはなかっただろうか。
あの男は、こと珍しい物には目を輝かせた。
快活で豪胆に笑う姿は黄金の金などよりももっと尊く、太陽のようであるとさえ思えたのに。
恐らく自分は、この男の手によって折られるまで使われるのだと確信していたのに。
自分が物であることをあれほど恨んだことはなかった。
物でなければあの男の手に握られることもなかったというのに、矛盾だ。
あの男を思い出せば思い出すほど、どんな姿になっても自分は物でしかないのだと強く思う。
新たな主にとってもそれは同じこと。
故に、主命であれば何でもできる。
所詮俺は、物にしかなりえないのだから。
懐に入れた懐中時計を取り出して時刻を見る。
夕餉の支度をする時間が近い。
本丸にも随分と新しい顔ぶれが増えて大所帯になりつつある。
自然と増える部屋は不思議だが、刀の自分たちが肉の身体を得ている時点で不思議とはいったい何かわからなくなるから考えるのはやめた。
審神者の主殿がそういうものだとおっしゃるのなら、そういうものなのだ。
長屋の自室から出ると、ちょうど太刀部屋の方から黄金色の頭髪が見える。
輝く金の頭髪は珍しく、前の主が懇意にしていた南蛮人を彷彿とさせる。
だというのに、生まれは室町だというのだから見た目ではわからない事が多いものだ。
南蛮人は鬼だと言われて迫害されるぐらいの事があってもおかしくないだろうに。

「おぉ、へし切」

火花が散るような音がした。
気がした。
強い光を放つ目とあって、動けなくなったような気がした。
まるで蛇に睨まれた蛙のような反応に、少なからず動揺した。

「なにか?」

胸を打つ音を聞かれないように平静を保ちつつ言葉を返す。
呼ばれたくない名であることも気づかないほど、動揺していたことに気づいたは後になってからだ。
獅子の名前を関する刀は、細身であるがゆえに打刀の自分よりも背丈は小さい。
それなのに、見上げるような気持になるのは、なぜだ。

「今日、確か夕餉の当番だっただろう?わりぃんだけど、三日月の分は部屋に持って行ってやりてぇんだ。俺の分も一緒に持っていくから避けておいてくれ。厨房へ取りに行く」
「ああ、それはいいが…何かわけが?」

片手を上げて喋る姿は、自分よりも幼い顔立ちのせいか年下を相手にしているような気持ちになる。
理性は確かに年上だと叫んでいるが、反射的に扱いを間違えてしまいそうだ。
彼は短刀達とはまた違う。
若々しさは自分より携えているが、自分よりもずっと人の世を見ている。
頷きながら、疑問を口にする。
三日月殿は確か非番であった。
出陣から帰ってきてそのような申し出であったのなら、まだ傷が癒えきっていないのだろうと推測が出来る。
その面倒を見るのが、かの有名な老将軍の刀であった獅子王が見るのも、懐くような風景に慣れたので不思議ではない。
しかし、三日月殿だけではなく獅子王も内番任務のない非番であったはずだ。
どんな理由があってそんな申し出をすることになったのか、ただ純粋に疑問に思っただけだったんだ。

「あぁー…ちょっとな」
「はあ…?}
「うん、ちょっとな。やりすぎた」
「はあ…しかしながら、今日は非番でしたよね…手合せの順番でもなかったような、あ」

黒い洋装、金の模様の入った服を着ている獅子王の首。
歯型が付いていることに気が付いて、思わず声を上げてしまった。
汗ばんだような髪に、歯型、さらによくよく見れば倦怠感のような気だるい雰囲気が漂っている。
そこまで気が付いてしまえば、言われずとも察した。
まさか、あの三日月殿と獅子王が。
老体だと自称する三日月殿を獅子王も前の主である将軍のように慕っているだけだと、それだけだと思っていた。
しかし、俺の考えはどうやら間違いであったようだった。
そもそも俺たちは肉体を得たからと言って、そのような事ができるようになるものだろうか。

「へし切、おい…大丈夫か?」

我に返って、肩が揺れる。
数秒のつもりでいたが、自分が思っているよりも長く黙り込んでしまったようだ。
他人に情事の後であると察せられたというのに、目の前の刀は対して気にする様子はない。
気にするのだったら、その露骨な後は隠してくるだろう。
室町の頃は恋仲になる事と情交はほぼ同義だったと主から借りた本の中にはそのような事もあった気がする。
様々な時代の刀が存在するため、相互理解を図るためにもいろいろな時代の歴史書が書簡にはあった。
知識を持っている事で困ることはないと思っていたが、この時ばかりは知らなければよかったと強く思った。

「あ、ああ…平気だ。わかった、そのように取り計らおう」
「助かる。そういや、あんまりお前と話をしたことないよな」
「え、ええ。そうかもしれませんね。貴方とは最近同じ部隊所属になったばかりですし」
「次に非番の日、よければ話をしよう。前の主を覚えている刀ってのは、そんなに多くないんだ。話をしてみたいんだけどさ…人によっちゃあ、やっぱりよくねぇしな」

快活な顔に、陰りが浮かぶ。
一瞬のそれは、太陽がほんの少し雲に隠されて、空気がひやりとする感覚に似ている。
またすぐに暖かな太陽へと戻っているとわかっているから恐れずに済むのが、唯一の救いだ。
せっかくの申し出だったが、内容が内容だ。
丁重に断ると意外な顔をされた。

「なんだ、よく前の主って聞くから俺はてっきり…」
「下げ渡された事を嫉んでいる、ただそれだけですよ…貴方に話せるような事は、何もありませんから」

少し棘があっただろう。
鋭利なそれらをそぎ落とす事は、俺には出来ない。
何度でも思い出すのは、信長公の手が離れるあの瞬間なのだから。

「そう言うなよ。前の主も、お前の事を大事にしていたんだろう?誉の証として相応しい業物だと、そう思ったんだろう?いらないのなら折るなり鉄にしてしまえたんだ」

見上げる目は笑っているが真剣な色をしていた。
鈍色の瞳が、俺の本体すらも見定めるようだ。

「そう思えばやはり、へし切長谷部よ。お前は、随分愛されていたんだな」

言葉を失う。
愛されていたなど、あの男を知っているものからすれば笑い飛ばすだろう。
あの男に愛などなかったと。
自分でもそう思うのに、どうして何も言えないのか。
俺がそうであればいいのにと望むからなのだろうか。
呼吸が止まってそのまま喉が張り付き潰れてしまいそうになる。
張り付く呼吸を絞り出して答えるが、うまくいきそうにないな。

「そ、……うですか」
「ああ。引き留めてわりぃな、行って大丈夫だぜ」

ひらりと手を振られて促されたのでその言葉に甘えて裾を翻す。
それでは、と言えば、おうと返事をされる。
首だけで振り返って軽く会釈をすると獅子王も振り返って歩き出すところだった。
心の臓が壊れたようにうるさい。
動揺が人の身体にかような影響を及ぼすのか。
速足になっていたようで、遠くもない厨房にすぐにたどり着く。
共に夕餉の当番であった光忠がすでにいて、見知った顔に安心したのがわかった。
緊張していたのか、俺は。

「あれ、長谷部君。どうしたの?顔、赤い…というか、青い、というか…?」
「赤いのか青いのか、はっきりしろ」
「百面相している、って感じかな…幽霊でも見たの?」
「物の怪の類の方がまだましだ…いや、鵺であれば物の怪か…」
「えーっと…よくわかんないんだけど」

ぶつぶつと返事になっていない事を呟く。
光忠は慣れた顔で肩をすくめると、まな板に向き直った。
鵺であれば物の怪であることに間違いはない。
猿の顔、狸の胴体、虎の手足を持ち、尾は蛇。

「嗚呼、納得した」
「今度はなんだい、長谷部君」
「百獣の、王か」

君疲れているのかい、という光忠の言葉は聞き流す。
獅子の前では全ては等しく、無力であるのだ。






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