本棚5

□兼さんが獅子三日に迷惑被る話
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すっかり宵の口を通り過ぎた夜半。
厠へ立つので布団を抜け出た。
別室で寝ていたはずの国広が引っ付いていたのでひっぺがして、木戸を極力静かに閉めて、春の廊下を歩いていた。
どうせ国広も厠へ行った後に部屋を間違えたのだろう。
起きたついでに追い返してもいいが、居たって問題はない。
互いが呼吸をするように側にいるのが当たり前なのだ。
審神者殿にはいっそのこと同室でもいいと申し出ようか。
まだ人は少ないとはいえ、本丸も無限に部屋があるわけではない。
今はまだ各々の部屋を与えられているが、そのうちに刀派や太刀などで相部屋になっていくのだろうし。
遅かれ早かれ誰かと相部屋になるのなら知っている顔の方が良い。

「…おお、朧月か」

春の夜は少しばかりの肌寒さがあるが、身震いするほどではない。
角を曲がって顔を上げると、満月に薄くかかった雲がぼんやりと光っているのが見えた。
庭の大きな桜も合間見合って、静かな光景は幻想的で、一献しながら見るのもいいかもしれない。
しばらく歩きながら見上げていたせいか、前方に人影があるのを気づくのが遅れた。
黒の襦袢をぞんざいに羽織って、縁側に座っている黄金色の頭髪。
鵺狩りの誉。
ぼうっとしている様子だったが、オレより先に気づいていたのだろう。
さして驚く様子もなくこちらを見た。

「よお、和泉守。厠か?」

軽く手を振って返事をしようとしたが、近づくと獅子王の手元から昇る紫煙が見えて驚いた。
煙管を吹かすようには見えなかったからだ。
刀身の大きさに加えて、どんな基準であるかはわからないが俺たち刀剣の器には差異があった。
持ち主の見た目や要素なども多分に含まれていたが、基本的には短刀は身長は低く、大太刀は高い。
その基本的から外れた、例外的な存在が目の前の刀だ。
太刀だが、その刀身は細くしなやかで、身軽。
持ち主は一生を現役で過ごした老将軍であったと聞いている。

「珍しい」
「夜に俺を見るのがか?」
「いや、煙管を嗜むとは思っていなかった」
「まあ、俺はガキみたいな身長してるからな。これだって、じっちゃんの真似ごとみてぇなもんさ」

そう言って口をつけると、深く吸い込んでゆっくりと煙を吐いた。
肉の器を得てから皆一様に日は経っていないはずだが、その姿は随分と慣れが見えた。
長い時間を過ごすと、こうも人の真似が上手くなるのか。
若輩者なオレは、一週間が立っても自分が一人きりで動けることに違和感を覚えるのに。
薄曇りは月を閉ざすことなく、庭を照らし続けた。
ふいに、獅子王の違和感に気づく。
髪が乱れているのは寝起きゆえにだと勝手に思っていたのだが、どことなく濡れたような色をしている。
肌にまとわりつくようで、汗をかいたのだろうか。
気だるげな様子に、嗚呼と合点がいく。
しかし、獅子王と情事が上手く結びつかなくて違和感が拭えない。
オレよりもずっと早くから存在している相手だが、色事とは疎遠であるように思えたのだ。
前の主をじっちゃんと慕う姿も、孫のように思っていたせいもある。

「………ししおう?」

開け放たれたままだった木戸の奥から、声がする。
掠れて、酷く、爛れた声だ。
月が木戸の間に差し込むと、室内には光の道が出来たように見え、その先の敷布から声がした。
薄衣を肩にかけた裸体が横たわっている。
年長者であり、天下で最も美しい刀の器であった。

「ししおう…」

返事を待つ声に、我に返る。
慌てて目を逸らすが、一瞬見ただけの光景が瞼にこびり付いて取れない。
藍を帯びた黒髪はしっとりと月明かりに光り、泣き腫らしたような身元は紅を差したようで、ため息のような声で獅子王を呼ぶ唇は吉原の太夫よりも淫ら。
布に隠れていない肌には、月明かりでも赤く晴れた小さな印が無数に散らばっていた。
なんとなく、関係はわかってはいたが、出くわすのでは訳が違う。
煙管を手に持ったまま、獅子王はのっそりと立ち上がると部屋の中へ入っていく。
ここで立ち去ればよかったのだが、すっかり機会を逃してしまった。
獅子王は横たわる三日月のそばへ膝を折って、ゆっくりと頬を撫でた。
小さな手が、硝子細工を扱うように。

「悪い、冷えたか?」
「いや…おまえが、どこぞへ行ったのかと、な」
「なんだ、寂しかったのか?三日月」

あ、と思うと獅子王が三日月のひたいへ口づけを落とすのが見えて、どうしようもなく落ち着かなくなる。
全くもって居心地が悪い。
何を好んで、人の情事の隙間を見物せねばならんのだ。
動こうとするが、その僅かな動きにすら邪魔になってしまうのかと思うと動き辛い。
三日月が、一瞬瞳に月を反射させた。
瞬きのせいだろうか。

「ああ………あんなに愛されてしまったら、恋しくもなるだろう…なあ、獅子王」
「はは、そりゃそっか」

額に、頬へ、指先へ。
愛おしいが故に落とされていく口づけは、なんと気恥ずかしいことか。
これ以上巻き込まれるのはごめんなので、息を殺して廊下を歩く。
通りがてらに木戸を閉めた。
これ以上巻き込まれる奴がいないように。
三日月は夢現のようでオレにはきづいてなかったが、獅子王はオレを一度見ると笑ったのだ。
秘密だと言うように唇に指を立てて笑う顔を最後に、木戸を締め切った。

「………こんなん、誰にも言うつもり、ねぇっての………」

他人の情事を振りまく趣味の悪いことをする気はさらさらないが、げんなりする。
無邪気に祖父を慕う孫のようだと思っていたのに、昼間でのやり取りも見方が変わってしまう。
足早へ厠へ向かいながら、遠回りをして帰ろうと誓う。
再びあの部屋の前を通った時に、あれ以上の爛れて淫らな雰囲気の声を聞いたら、それこそ魘される。
勘弁してくれよ。
翌日、三日月の襟元からわずかに見える鬱血に、やはりぐったりと気力が削がれるのはまだ知らないことだ。




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