本棚5

□清らかな鉱石
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宝石箱のようだと思う。
遠坂家は、まさしくジュエリーボックスのような家だと私は思った。
遠坂の魔術がそもそも鉱石を基盤としていることも理由の一つだが、貴族品格を大事とする時臣師の方針もあって、家の調度品は一級品で揃えていた。
時臣師の幼い娘たちも、年齢にそぐわないようなブランドの子供服を着ていたりと、随所に行き届いた教育結果が見受けられる。
多少、高飛車にも思える凛と内気でおとなしい桜のバランスは、存外悪いものには思えないがここは魔術師の家だ。
恐らく、この姉妹にも近い将来に何らかの不和が起こるだろう。
それは二年後、三年後、四年後と年単位の将来であるかもしれないし、ほんの三日後の話かもしれない。
なんにせよ、私にはあずかり知らぬ所であった。
言峰綺礼という私は、この宝石箱における銀色の鎖でしかない。
宝石を引き立たせる装飾品。
首へと吊るす為だけの付属物。
私は、主役になる人物でないと、私自身が知っている。

「綺礼。ちょっと、いいかな」

正面口の大きな階段を下りている所に、時臣師に呼び止められた。
ちょうど一階へと降りる所だったので、そのまま階下で待つ時臣師の方へと向かう。
自宅だと言うのに、ぴっちりと首元まで閉められたシャツに、リボンタイが結ばれている。
修道着で過ごしている私が言える台詞ではないが、隙がない。
その癖に、この男はどこかが抜けている。
欠落している。
恐らく、ごく普通の人間としての何かが。

「ご用でしょうか」
「いや、暇ならば少し、師匠らしいことをしようかと思ってね。君に遠坂の深淵をのぞかせる事は出来ないが、片鱗ぐらいは伝授しよう」
「ありがたいお言葉、大変恐縮です」
「なに、名ばかりでは君のお父上に叱られてしまう」

朗らかに笑った時臣師が歩き出すので、その後ろを付いていく。
顔にはいつも穏やかな笑みを浮かべているが、実際の所この男の内側は鉱石のように冷たいのだとよくよく知っている。
だからだろうか、詰めが甘く、脆い一面が垣間見えるのは。
地下室へとやってくると、自然にランプに火が灯る。
この館には最小限の電気機器しかなく、この地下室には一切存在しない。
魔術よりも劣っているという概念は、魔術師には根深い。
魔術が世間から追いやられている事を憎んでいるようにも思えるが、それで身を滅ぼす事がないといいが。

「綺礼、君は体術に長けているな」
「人より少し…頑丈なだけです」
「謙遜することはないよ。健全な肉体には、健全な魂が宿るものだ。さて、…君には少し、癒しの術を教えようか」

いくつかある棚の中から、ビロードを張った木箱を取り出してきた時臣師の手元を見つめる。
机の上に置き、蓋をあけると想像通りに中には鉱石が詰まっている。
中にはダイヤモンドなどの高価な装飾品用の物も混じっているようだった。
こぞって大金を出してるものを消耗品にしている。
庶民感覚ではな出来ぬことだ。
遠坂の魔術らしい。

「ご覧、綺礼。カイヤナイトだ。青色の石は水を連想しやすいから、癒しの術には効果的だ。まあ、回復を促すというよりは魔術回路の通りをよくするという術法だ」
「傷を癒す事はできない、ということでしょうか」
「その通りだよ、綺礼。あくまで、魔術回路の通りをよくして、治癒力を上げるというやり方だ。突発的な戦闘の最中でも発動が出来、戦いながら自然治癒を促す」
「軽傷時に有用ということで、間違いはないでしょうか」

君の言うとおりだ、と頷く時臣師から箱から出された石を見る。
空や海の青よりも、宵闇群青に近い青色の石。
神経を研ぎ澄ませば、確かに魔術回路を搭載した鉱石だとわかった。

「口で説明してもいいが、先に使う感覚を知った方がイメージしやすいだろう」
「ええ、理屈はわかりますが。実際にした事はないので、なんとも」
「なら綺礼、こちらに顔を寄せてくれ。君は少し、身長が大きい」

青色の鉱石を手に持って、手招きをする時臣師に、言われるがままに顔を寄せる。
考えていることはわかりやすいが、予測は出来ない人だ。
思い通りに動くのに、理解が出来ない人。
口を塞がれて呼吸を奪われた。
皮膚の薄い内側に、軽く粘膜を触れられる。
突き飛ばすよりも先に魔術回路が繋がる感覚があって、机の上が青く光る。
指先が痺れるような感触が体中を巡っている。
粘膜を介して感じる魔術の動きに、皮膚が泡立つ。
他者が内側で好き勝手に動き回るような、不快感。
不快なざわめきに反して、体内を巡る霊力は清流のようだった。
光がほどなく収束して、魔術の供給が途切れる。
唇を離されたのだと知ったのは、時臣師の顔の焦点があったことでだった。

「どうだい」
「どう…とは」
「大体やり方はわかったと思うんだが、霊力の流れはどうだい?」
「……通りが良くなったと思います。潤滑が早まり、術の発動までのスパンが短くなる感覚があるかと」
「その通りだ。見ての通りに術式は必要ない。感覚だけの初歩的なものだ。このカイヤナイトはまだ使える。君が持つといい」

机の上に置かれた青色の石は、先ほど自発的に光っていたとは思えないほど静かにそこに存在している。
術の方式はわかったが、わからない事が多すぎる。
世界の事を全てわかったなどと傲慢を口にすることはないが、時臣師の考えることは理解がしがたく予想がまるで意味をなさない。

「ありがとうございます。しかし、一つわからない事があるのですが」
「君にわからない事があるとは意外だ」
「買い被りすぎですよ」
「今日はその質問を最後に師匠としての仕事を終えることにしようか。続きはまた後日。そろそろ教会の者が来訪する予定だ」

玉のはめ込まれたステッキを片手に、私の顔を真正面から見る師にからかいも疑念も動揺もない。
特別な感情を持つこともないただの便宜上の同性の弟子に、挨拶ではない口づけをした後の態度には思えないのだ。

「粘膜接触をする必要はあったのでしょうか」

体液での接触ならば、小さな傷から少しばかりの血液を介して伝達することも理論上は可能なはずだ。
些細とはいえ傷を作ることを是とするわけではないが、他のやり方も確実に存在した。
数秒、師は視線を逸らすとにこやかな笑顔を浮かべる。

「君は私の、特別は弟子だからね。特別な弟子に、特別なことをするのは間違っていないだろう」

今時普段使いで持っている人間が少ない懐中時計を取り出し、時間を確認した師が背を向ける。
それ以上の追及はさせないと無言ではあったがわかった。
私は彼の弟子なので、口を閉じるほかない。

「では、戻ろうか。綺礼」







11月4日誕生石
カイヤナイト 
宝石言葉
安らかな時間・適応・清浄

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