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□終焉に至る始まりの日々
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八月の夏の一番暑い日から、十一月の一番寒い日まで。
短ければ4カ月、長ければ5ヶ月、俺は定期的に夢を見る。
それは、外場が燃える夢のような記憶であったり、高校生の記憶であったり、小さい頃の虫送りの様子であったり。
見る夢全てが悪夢ではないけれど、失われてしまった輝かしい過去の記憶は、外場が燃え尽きた今になっては悪夢と大差がない。
それを毎年、半年弱の間、週に一度ぐらいの頻度で見続ける。
最初こそは汗びっしょりで跳ね起きることばかりで、さすがに応えた。
けれど、何の因果か。
街中で見かけた間違えようもない奇抜な髪形の男を追いかけてしまって、うっかり、本当にうっかり再会してしまった。
あれ以上に無鉄砲な事は、この後の人生では訪れないと思った。




陽が落ちて、太陽が完全に山の端に落ちてしまえばあとは人工的なキラキラ眩しい太陽とその陰に落ちる異形の時間。
自分がただの村医者で、ただの平平凡凡な世界を生きる腑抜けであればよかったのだが、惜しい事に自分は平凡な人生を歩むことはかなわなかった。
悪夢を見始めて、4年目だったので、俺が36歳になった年で、開業医の病院を転々として、ちょうど溝辺の近くにまで戻ってきて、新しい病院に通い始めた11月の頃だった。
夢のせいであまり眠れず、判断力が鈍っていた。
人ごみに消えては現れるそれが、自分に気が付いているなんて考えもしなかった。
結果、見事に人気がない路地まで誘導されてからようやく気付いた。
前にいたはずのそいつは、いつの間にか俺の後ろにいた。
外灯を背負っているせいではっきりと表情は把握できなくても、うそくさい笑顔を浮かべている事だけはわかった。
辰巳は、そういう男だからだ。
笑顔で本心を見せずに、所々に本音を交えて話す、追い詰めるのが得意な、人狼。

「尾崎の先生」
「…気付いてたなら、挨拶ぐらいしてくれてもいいだぞ?」
「や、お久しぶりですから積もる話もあるかと思いまして!」

出来れば二人でゆっくり話がしたいと思ったんです、なんて、人当たりのいい青年そのものの顔をして笑っているのだけど、その顔には老化がまるで見られなかった。
辰巳は二十代そこそこの青年だから、老化というよりはまだ成長かもしれないけれど、写真から抜け出してきたように俺の記憶と何一つ変わらない姿がそこにはあった。
たった三年、されど三年。
何も変わらないその姿は、異形の印。
妻の恭子の首筋に歯をたてたあの時、あの瞬間からわかってはいたのに、時間が経って改めて見るとよりその異端さは際立った。
ざわざわと足元から忍び寄ってくる不穏な気配に、空気に、ビリビリと電流が走るように、雰囲気にのまれていく。
首筋に感じるひやりと冷たい感覚は、死神の鎌でも当てられているんじゃないかと、冗談にもならない事を思う。
冗談にならないのだ。
この男の前で殺されるかもというのは、軽々しい冗談ではない。
わずかに動かした足元から、思ったよりも大きな音がして自分が驚いた。

「どうしました?肩を揺らして、寒いんですか?」
「…チッ…なんでもない」

舌打ちするも、それは強がりにしか見えなかった。
今の俺には、付け入る隙がそこかしこにあった。
水を入れたらあちらこちらから噴水が見られるほどには、ぼろぼろだった。
真正面から見据えているはずなのに、その真正面ですら隙だらけだった。
それに、付け込んで欲しかったのかもしれない。
ぼろぼろなのは例えだけではなく、実際身体の至るところがぼろぼろだった。
眠れないのを無理やりに寝かしつけるために酒を煽り、それと同時に睡眠薬を服用した。
一歩間違えばそのまま死んでしまってもおかしくないのに、俺は何度もそれを繰り返しては目が覚めては落胆する。
今になってようやく、俺は無意識のうちに死にたがっていたのだとわかる。
殺されるかもしれない状況に至って、本当だったら喜ぶことが正しいのかもしれないが、足は素直に逃げ道を探している。
浅ましい。
まだ俺は、生きたがるのか。

「なんでもなくはないでしょう」

視界が陰る。
距離を詰められた。
と、気付くはいくらなんでも遅すぎた。
辰巳はたった数歩しか歩いていないのに、まるでそれは一瞬の瞬きの出来事のように辰巳の手の届く範囲にいる。
そうして確実に逃げ道を塞がれてしまえば、気が緩むのは早かった。
ようやく、俺は夢から覚めるのだ。
そう、思ったのに。
ようやく、死ねると思ったのに。
辰巳はやわらかく、壊れ物を扱うように俺を抱きしめるのだ。

「よかった。生きていらして」
「…殺せ」
「いいえ、殺しません。僕は、あなたが生きていてくれて、とても嬉しいのです」
「ようやく俺を自分の手で殺せるからだろう」
「いいえ…僕は、尾崎の先生ともっと話がしたいと思っているんです。そして、できればあなたと友人になれたらいいと思っています」
「冗談…」
「冗談ではありません。僕が選べない道を選べる方だと、思うのです。先生は僕とは違う道を真っすぐに突き進むことが出来る。そんな貴方に、僕は興味があるのです。だから、探して、今日見つけたんです。姿を見せるのは、今日のつもりじゃなかったんですが…先生から接触していただいて、幸運でした」

嬉しそうに笑う辰巳に、すっかり気が抜けた。
なんだ、一人で勝手に警戒して、馬鹿みたいじゃないか。

「結局…俺はお前に踊らされていたのか」
「や、踊らされていたんですか?」
「…踊らされていたさ…嗚呼、ちくしょう。せっかく死ねると思ったのに」
「死なせませんよ。僕が、まだ貴方を手放すのは惜しいので」
「俺は、お前の物じゃないぞ」
「そうですね…でも、僕の大事な人になってくれたら、嬉しいですよね」
「…好きにしろよ。もう、どうでもいいさ」

ぐったりと脱力した途端に、眠気がこみ上げてくる。
このまま寝てしまうのはいけないと思うのに、久しぶりに感じる他人の体温にかくりと首が折れて、膝笑う。

「好きにさせてもらいます。待ちますよ、貴方が僕に興味を持ってくれるのを」
「…そうかよ…」

まるで犬のような受け答えを夢現に聞きながら、どこか安心している自分を最後に、意識が飛んだ。
これからこの先、どうやって生きていくのか見当がつかないけれど。
恐らく季節のどこかに辰巳の姿を見かけるのだろうなという予感はあった。




◆終焉に至る始まりの日々◆



ただ、辰巳と一緒に住む事になるとは、夢にも思っていなかった。












よいお敏夫。
PIXIVの姫敏企画にて。
本当にぎりぎりだった…



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