本棚2

□苺のケーキの甘さを僕はみくびっていた
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昼間はまだ残暑の匂いをさせるのに、陽が落ちると急に肌寒くなってきたので、さっそく箪笥からセーターを引っ張り出してきた。
登校の時は朝練習があるからいいけれど、帰りは汗も冷えて余計に寒く感じる。
風邪をひいたらどうなるかわかっているだろうなという、主将の笑顔の圧力もあってか、バレー部では未だに風邪を引いた者は出ていない。
クラスではそこかしこで風邪を匂わせる咳や、他の学年では早くもインフルエンザも出てきたらしい。
季節ものとはいえ、こちらに移されてはたまったものではない。
そういう奴こそ、もっと周りに気を配ればいいだろうにと思うが、なんにせよ体調は自己責任だ。
そんな時期にわざわざ人の多い場所に行くのは自殺行為。
風邪を貰いに行く様なもの。
けれど、今日だけはどうしても行かなくてはいけない用事がある。
普段であったらとてつもなく躊躇ってから開ける、可愛さを前面に押し出した店のドアを開けて、足を踏み入れる。
その瞬間、視線が一気に集まってくるのを嫌でも感じて眉間に皺を寄せる。
ファンシーで華奢な作りをした店内の客は、百パーセントが女性を占めていて、男なのは自分だけだ。
ケーキ屋に足を踏み入れた時は、いつもそうだ。
自分の身長のでかさと男という要素から、あからさまにではないけれど確実に視線を向けられる。
これだから嫌なんだ。
男が甘いものを好きだと言うのは変だと言う風潮は辟易する。
パティシエだって男がやっているのはおかしくないのに、どうしてそれを食べるのは女の子であると決めつける。
いつもはもっと躊躇いと溜息と一緒にドアを開けるのだけど、今日はお使いだ。
普段のように自分の分だけ買いにきたわけじゃないのでまだ気持ちが楽なのだけど、そうは思っても、居たたまれない視線をわざわざ自分で浴びに行くほどマゾではない。
さっさと用事は済ませて帰るに限る。
カウンターへ真っ直ぐ向かって、店員に声をかける。

「すみません、予約をした月島なんですが」
「あっ、ええ。伺ってます。今お持ちしますね」

女性の店員は足早に後ろへ行ってしまって、その微妙な時間にまた居たたまれなくなってくる。
その間にもちらちらと向けられる視線が突き刺さって、痛い。
早く早くと思えば思うほどに、手際が遅いような気がして苛立つ。
一刻も早くここから立ち去りたい。

「お待たせしました」
「はい、どうも」
「ありがとうございましたー!」

お決まりの挨拶もそこそこに踵を返して出口へ向かう。
カロンと、軽やかなベルの音がまた視線を引きつけて、去り際にまたちくりと視線で射してくる。
無遠慮な視線ほど、質量を増すということをきっとあの人達は知らないのだろう。
ようやく解放された緊張に、ゆっくりとため息を吐いて肩から力を抜く。
手には、白い店のロゴの入ったケーキの箱。
小さく切り分けられたものではなく、丸いホールケーキの入ったそれを抱え直して、さっそく家路につく。
その、瞬間。

「あれ、月島?」

見知った声に、動きを止めて、振りかえってしまった。

「…すがわら、さん」

どうして、となんで、が交錯して、結局出てきたのは名前だけだった。
そして手に持った白い箱と、出てきた店に気づいて眼を逸らす。
バツが悪いとはまさにこのことかと、身を持って体感するそれに舌打ちをしたくなった。
とはいえ先輩なので、そんな事をするわけにもいかないし、名前を呼んでしまった以上無視をして帰るわけにもいかない。
なにより、すでに菅原さんとの距離は詰められて、もう逃げようもない。

「よっ」
「っす…」
「月島、甘いもの好きなの?」
「…えぇ、まぁ」

案の定、聞かれるであろうと思ったそのままを質問されて、眉間のしわがより深くなるのが自分でもわかった。
きっとこの人も男なのに、と思うんだろう。
男なのに甘いものが好きなの、という質問は散々聞かれた。
そのたびに、好きで悪いかという気持ちと、お前だって食べるのに好きだと公言すると責められるのかと内心思った。
自分の名前の読み方と同じで、何度も聞かれるそれは耳にタコだ。
いい加減、はぎ取ってやりたいぐらいに。

「へぇ、意外だな」
「変でしょう」
「そうか?人の好みは十人十色、って言うじゃんか。別に、変じゃないと思うよ」

さらりと、こともなげに返される言葉に、ぽかりと口が開いたまま塞がらなかった。
想像とは魔逆、しかも反論や自虐の言葉すら出てこない。
綺麗に、返されてしまった。

「っと、邪魔になるから歩きながら行くべ。月島、電車?」
「ええ、…菅原さんもですか」
「うん。じゃあ、下りるとこまで一緒だな」

先を行く菅原さんを追いかけて、隣へと立つ。
緩やかに駅へと向かう一本道を歩きながら、菅原さんはなんだか嬉しそうな顔をしているのがわかって、首をかしげる。
何をそんなに喜んでいるのだろうか。
僕と会った事で、菅原さんに何があるわけじゃないだろうに。

「なんか、月島と会うなんて凄い偶然だな」
「そうですか?」
「うん、入部した最初なんかはすぐに帰っちゃうし、でも最近はそうでもないか」
「そうですかね…」
「だいぶお前も慣れてきたよな、うちに」

右手から伸びてくる手が、僕の短い髪をくしゃりと撫でて、離れていく。
その優しい感触に、息をのむ。
撫でる手は優しく労うようにも思えて、そんな事を先輩からされた覚えはなかったから困った。
どうしていいか、わからない。
入部してから季節はとっくに二つも過ぎ去って、秋だ。
半年も顔を合わせているのに、僕は未だにこの人のペースから逃れることができない。
優しさと強さ、厳しさとかっこよさ、様々な面を持ったこの人は、僕がどんなに怒られそうな事を言っても頭ごなしに怒らないし、反論できない言葉で叱る。
それすらも優しく、僕はやっぱり何を持ってこの人に対抗すればいいのかわからなくなってしまう。
わざわざ反抗したいわけじゃないけれど、それでも負けたと思うのが嫌だった。
プライドの高さが邪魔をする。

「それは…毎日あんなに煩ければ、いい加減慣れます」
「そりゃそうだ!日向と影山もなぁー、半年も経つのにまだ喧嘩ばっかりだ」
「何故か僕もとばっちりを受けるし…」
「お前が煽るのが悪い」
「だって、その方が面白いじゃないですか」
「あーもう…そうやって…。まぁ、でも楽しいなら何よりだよ」

ぽろりと零れおちた失言を掬いあげられて、口を閉ざす。
菅原さんの前だと、うっかりした発言が目立って仕方ない。
それをなんとかしたいと思うのに、自分の意志とは反対にぼろぼろと崩れていく牙城にもはや成す術はない。
だからこの人は、正直苦手だ。
どうやって接したらいいのかわからない。

「なぁ、月島」
「はい」
「それ結構でかい箱に見えるけど、全部一人で食べるの?」
「いえ…今日はお使いなんで…家族の分も一緒で…ホールケーキです」
「ホールって丸いやつだっけ?」
「はい」
「へー、誕生日みたいだなー」
「誕生日なんですよ」
「へ?」

あ、と思うのもすでに遅かった。
なんでわざわざ自分から言ってしまったんだろう。
曖昧に濁すこともできたのに、どうしてわざわざ自分から話を振ってしまったんだろうか。
しかも、自分の誕生日なんかを。
九月二十七日、木曜日。
僕の誕生日だ。

「それって、家族?それとも月島?」
「あー…なんでもないです」
「いやなんでもなくはないだろう。家族かお前が誕生日かによってだいぶ変わるぞ」
「本当に、大丈夫です」
「…なるほど、月島の誕生日か」
「…えぇ、まぁ…」

渋々頷ければ、ふはっと菅原さんが笑う。
どうして笑うんだろう。
この人はいつだってそうだ、楽しそうに、優しく眉を目元を蕩けさせて、こちらへ笑いかける。
その表情に、やっぱり僕はどうしていいのかわからないのだ。

「おめでとう、月島。お前が生まれてきてくれて、俺は嬉しいよ」

街灯に照らされる菅原さんの顔は、僕の方を向いているから必然的に上を向くようになっていて、表情がよく見えた。
菅原さんの髪と同様に色素の薄い眉が、ふわりと垂れさがって、泣きホクロのある目元は柔らかい弧を描く。
呼吸が止まる。
息ができない。
なんだこれ。

「ありがとう…ございます」
「なんも用意できないから、気持ちだけだけどなぁ」

辛うじて返せた言葉は、うまく言葉になっているのか怪しい。
菅原さんの言葉がじわじわと頭にしみこんで、離れなくなる感覚。
焦るような混乱するような、この感情は、なんだ。
湧き上がる熱の名前を僕はまだ気が付けずにいる。



□苺のケーキの甘さを僕はみくびっていた□




初めて、甘さに、胸が焦がれた。
胸焼けだ。








ハッピーバースデー月島。
2012/9/27




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