本棚2

□音楽の半視
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最初に合った時に、先輩に見えなかったと言ったら。
彼は怒るだろうか。



◆音楽の半視◆



大きめのヘッドフォンは、ノイズキャンセラーもしっかり機能しているので音が入り込んでくる隙間はほとんどない。
小遣いをはたいて買った甲斐があったと思うそれからは、お気に入りの曲が流れている。
そうして目を閉じてしまえば、僕の意識は完全に世界と隔絶される。
とはいえ、校舎へと続く妙にキツイ坂道を上っている最中なのでゆっくりとした瞬き程度でしかないけれど、その瞬間一人になれる。
慣れ合いが嫌いなわけではないが、一人でいる方が気楽でいい。
自分の性格や口調が万人受けするようなものでないことは重々承知していて、わかっているから深く付き合う様な事もしない。
当たり障りのない、クラスメイトという位置。
どうにも喧嘩を売りたがってしまうというか、買いたがってしまうというか。
それを改める気もないので、考えるのも無意味なのだけど。

ふいに、先日見た不格好な信頼関係を思い出す。
果たして信頼関係と言っていいのかもわからないけれど、影山と日向のあれは不器用で、不格好な信頼であると思った。
自分では絶対に無理だと思った。
暑苦しい、まさにスポ根そのもの。
それに触発されて、出さない気だった本気を出したのだって、ただ自分が負けず嫌いなだけで、真剣にバレーをしたいのとはどこか違う。
けど、負けたくはないのだ。
それだけは同じ。
とん、後ろからの僅かな衝撃に足を止める。
瞬間、次いでドンと明らかに何かがぶつかる衝撃に驚く。

「は?」
「っ…月島、なんで止まっちゃうんだよー」
「す、がわらさん…?」
「おう」

何事かとヘッドフォンを外して、振り返れば、額を抑える菅原さんがいた。
思いもよらない人物に、思考の接続が上手くいかなくて、がくんと処理速度が落ちる。
同じ学校に通っているのだから、投稿時間が被ることは不思議ではないのだけど、それでも実際に被ると驚く。
しかも、三年生の先輩から一年生に声をかけるなんてことは、今までなかった。
同様のあまりなんと言って返せばいいのかわからなくなって、無難に朝の挨拶が口から出る。

「おはよう、ございます」
「おはよう。なんか考え事でもしてたのかー」
「え、…そう見えましたか?」

なんかぼんやり歩いてたから、と言ってこちらを見上げる菅原さんに、さらに動揺した。
自分より十センチ以上も身長差がある菅原さんは、必然的に上目になって、それに何故だか知らないが焦った。
男相手に焦ることなんて何もないはずなのに、思わず顔を逸らしてしまうほどには、焦っている。
緩やかに歩き出した菅原さんに平行して、歩き出す。
朝練習のある部活ぐらいしかいない坂道はまばらで、見知った顔はいない。

「別に…普通ですよ」
「ならいいんだけどさ。何聞いてたんだ?」

進行方向を向いていた顔を僅かに右へ向けると、耳を指して示す菅原さんがいて、音楽の話かと察する。

「…それ、教える必要あります?」

反射的に、思わず棘のある言い方をしてしまった。
きっと菅原さんは気付いていないだろうけど、ぐるぐると溢れる動揺を隠すためだ。
他の上級生がいたら眉を潜めるであろうし、田中さんに至ってはスガさんに何抜かしてんだとか言いだしそうだ。
怒ってくれればいいと思う。
それで、距離を取ってくれればいい。
一人でいい。
けれど、彼はそのどれにも当てはまらずのんびりと笑って、僕の頭を軽く叩いた。
ぺしりと、痛くもない衝撃に、目を見開いた。

「……は…?」
「あのなー、お前少し刺があり過ぎ。そんなんじゃ他の奴と仲よくなれんだろう?」
「ッ、子供扱い、止めてください」
「そう思うなら、少しはそのギザギザハートみたいな言動改めな」
「…なんで、そこでチェッカーズなんですか」
「なんとなく。まぁ、プライベート聞かれたくない奴もいるし、安易だった俺も悪かったよ」

しかしお前チェッカーズわかるんだな、とにかりと笑う菅原さんに、すっと落ち付いてしまった。
どうして怒らないんだろうか、先輩に向かってと、年上ぶって怒ってしまえばいいのに。
この人はそれすら許容範囲なのだろうか。
それなら、この人を怒らせる事なんてほとんど出来ないんじゃないだろうか。
別に怒らせたいわけじゃないのに、何故かそうやって笑ってくれてしまう菅原さんの表情を崩したくなった。
ヘッドフォンを外して、差し出す。

「聞きます?」
「…嫌じゃないのか?」

ぽかりと、少しだけ驚いた表情をする菅原さんは幼く見えた。
驚いた顔、好きだなと、自然に思った。
すとんと、何かが胸の中に落ちてくる感覚がして、僕はこの人が好きなのだと。
それもまた自然に思えた。
なんだ、僕は菅原さんが好きなのか。

「構わないかなと思ったんですよ、悪いですか?」
「悪くはないけど…それだとお前聞けないだろ。あ、イヤフォンなら半分こ出来るな」

ほらと、ポケットから取り出した菅原さんのイヤフォンを受け取って、降ってきた幸運を噛みしめた。
嬉しそうに笑う菅原さんの表情も好きだけど、やっぱり、僕だけに見せる表情が欲しいと思った。
きっと、多少の嫌みでは怒らないのだろうけど。

「ちくしょー、やっぱりお前タッパあるなぁ」

お互いの耳を繋ぐコードは、頭の距離が違うせいか少しだけ引っ張られる様な気がする。
悔しそうに、けれど、楽しそうに笑う菅原さんを見ると、しばらくはこの笑顔を見ていたいと思った。
泣き顔とかそういうのは、まだ先に取っておこう。
再生のスタートボタンを押す。
始まりの音がした。









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