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□音楽の半死
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小さな耳に控え目なデザインのイヤフォンが詰め込まれて、そこから彼の耳へ直接音が送り込まれている。
その間は、他の音は彼へと届くことはまれで、時折顔を上げて周囲を確認しては、やっぱり耳元の音へと意識を向けてしまう。
それが嫌ではないと言えば、嘘になる。



□音楽の半死□



それはいつもの朝練習の事だ。
学校へと向かう坂の途中、菅原さんの後ろ姿が見えて、声をかけようとした。
瞬間、彼の右手がポケットから取り出した物を見て、止めた。
彼の右手には携帯用音楽機器があって、そこから伸びる黒いラインは耳元へと繋がっている。
音楽を聴いている彼に声をかけても、きっと聞こえていないだろう。
そう思って、上げかけた手を下げて、微妙な距離の背中についていくようにして坂を上る。
後ろから見ても彼がその耳から聞こえる音を楽しんでいるのはわかるし、それを邪魔するのはいけないのだと思った。
菅原さんは優しいからうっかり忘れてしまいそうになるけれど、彼は三年生で副主将なのだ。
体育会系にしては上下関係が特別厳しい訳じゃない烏野バレーボール部だけど、それでも忘れてはいけない。
親しき仲にも礼儀ありとか、そんな堅苦しいことは言わないけれど、優しくしてくれる彼に甘え過ぎてはいけないのだ。
そうしてしまうと、自分のよこしまな感情が溢れてしまいそうになるから。
俺は、影山さんの事が好きだ。
それは先輩としてとか、そういうレベルの話ではなくて、恋愛対象として菅原さんの事が好きだと思ったのだ。
菅原さんが困ったように笑って諌めてくれる顔や、汗を拭う横顔や、真剣にチームの事を考えている表情。
彼の眼の下にある泣きほくろがアクセントになっているように見えて、キスをしたいと思ったのは一度や二度ではない。
そういう、思春期の妄想が爆発してしまった朝を迎えてしまったのも、つい最近の話だ。
だから、せめてでも先輩と後輩を意識する必要がある。
そうでもしないと、俺は菅原さんの先輩としての好意を勘違いしてしまいそうになるから。
それでも、菅原さんがイヤフォンをしていなければ、すぐにでも話しかけられるのにと、思わずにはいられなかった。





「菅原さん」

坂を下って行く菅原さんの背中に声をかける。
今度は彼が部室を出たすぐに追いかけたので、まだ音楽機器は彼の手には出ていなかった。
ほっとしたのと同時に、無機物にすら嫉妬している自分を笑いたくなった。
菅原さんに係わる事なら、なんでも羨ましいし、恨めしい。
彼に係わる全てを俺だけにしてほしいと、わがままを言いたくなる。
そんな権利も無いくせに。

「おー、影山早かったな」
「っス。あの、菅原さんって音楽何が好きなんすか?」
「え、なんで?」
「や…この間、なんか聞いてるの見かけたんで…そんだけなんすけど」

間髪いれずに聞き返されてしまって、思わず口籠ってしまいそうになるのをなんとか押さえて返答をする。
不自然じゃないだろうか。
そればかりが気になるが、特に気にする様子もない菅原さんにほっとする。

「なんだよー声かけてくれればいいのにさ」
「や、なんとなく…」
「えっとなー、大体アルバム入れてるから…」

音楽機器を取り出した菅原さんは、慣れた手つきで動かしてイヤフォンを取り出す。
菅原さんの興味を引きつける、忌わしい敵。
けれど、菅原さんの嗜好の、俺の興味の先。
菅原さんの興味を引きたいのと同じぐらいに、菅原さんが何が好きなのか知りたい。
左耳へイヤフォンを入れ菅原さんは、ほらと自分の方へ右耳の方を渡してくれる。
自分より低い菅原さんは、必然的に自分を自分を見上げるようになって、泣きほくろと合間見あって余計にどきりとした。
それを悟られないように受け取って、耳へと招き入れる。
それを確認した彼は、中心のボタンを押して音楽を再生する。

「音、でかくないか?」
「大丈夫っす」
「最近入れたのは、フジファボリックかな」
「へぇ、菅原さんフジファ聞くんですね」
「結構雑食だよ。あとは、爆竹とか…天の川月子も好きだな」

耳から流れてくる音と、菅原さんの声を聞く。
菅原さんと声と混じって聞こえる音楽は、さっきまで憎い敵だったはずなのに、いつのまにか心地よいものになっている。
同じ音楽を同時に聞いている。
菅原さんと一緒に同じものを共用しているからかもしれない。
現金な話かもしれないけれど。

「フジファ…何のアルバムですか?」
「これ?これは、狐の尻尾だな」
「そっすか、…あざっす」

イヤフォンを耳から引き抜き、名残惜しいけど菅原さんへ返す。
彼の手に、わずかに自分の手が触れて、心臓が跳ね上がった。
不自然な顔をしていないか、心配になる。

「おう、でも意外だな。影山は音楽とか興味ないかと思ってた」
「月並みっすよ。好きなアーティストとかはいないんで、浅く広い感じっすね」

そうかと言って、彼は音楽機器をしまう。
にこやかに笑う菅原さんは、音楽が好きなのかもしれない。
笑顔につられて、にやけてしまいそうになる頬を引き締める。
耳から外れて、菅原さんのポケットの入る無機物は、途端に興味を奪われる対象になってしまったけれど、さっそく今日にでもアルバムを買いに行こうと思った。
菅原さんが興味を持つものなら、知りたい。
それに、俺が声をかけられないイヤフォンをつけた菅原さんの世界を間接的に知りたいと思った。
一方的にだけど、菅原さんと同じ世界を知りたいと思う自分は、思った以上に女々しくて、湿っぽい奴だ。

「影山も好きなのができたら教えてくれよ」

同じ話題ができると言わんばかりに、嬉しそうな顔の菅原さんに短く返事をする。
よこしまで、卑怯な、俺の気持ちも知らないで。
それでもやっぱり、俺はそうやって笑う菅原さんが、たまらなく好きだと思うのだ。





音楽の話って打ったらタイプミスだったのですが
まぁ、半分殺したようなものなので






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