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□コール、コール
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夏敏・定→敏



「定文、俺はどうすればいいと思う…?」

生来のガキ大将特有の覇気がない、弱弱しい声で敏夫が言う。
電話越しに消える声には時折、車の音が聞こえるから恐らく外からかけているのだろうという事がわかった。
悩みを相談されるのも、慰めてやるのもやぶさかじゃないが、夫婦喧嘩は犬も食わないと言うか、蓼食う虫も好き好きというかなんというか。
俺が知ったこっちゃないと、思わなくはないのだ。
痴話げんかは。




◆コール、コール◆





突然、敏夫から連絡がかかってきた。
外場での災厄が終わってから、外場の大半は溝辺の仮設住宅に住んでから他へと移り住んだ。
俺は結局、外場から一番遠い溝辺の端へと住居を構えた。
父上は結局、満足に火葬する事も出来なかったし、大量の死体に紛れてしまってどれが父のものであるかわからなかった。
かなりの歳でもあったので、どれだけ骨が残ったのか、それすらも定かじゃなかった。
それに加えて、息子は外場で眠っているのだから、外場を捨てて遠くへ行く事は出来なかった。
そうして日常的な事をしているうちに、徐々に自分の中で鳴き続けていた蝉が小さくなっているのに気がついた。
忘れようとしている自分がいて、薄情だと言う自分も居た。
けれど、あれらの全てを抱えていくには、些か重すぎる。
それを全部一人で抱えようとしていた可愛い弟分であり、あの時なんとか現実に引きとめてくれた敏夫が、いつのまにか姿を消している事に気がついたのは半年もたってからだった。
一番重い物を持っているのは、まぎれもなく敏夫で、一人で抱え切れるわけもないのは明らかで。
雑踏の中で姿を見つけたのが、事件から一年がたった頃で、今から一か月前のことだ。
聞けば、結城の一人息子と一緒にいるのだという。
わざわざ都会から引っ越してきた変わり者だと言う噂は聞いていたが、顔までは知らない。
妙に言いにくそうな敏夫を問い詰めてやれば、夏野という彼は人狼だという。
確か、桐敷の辰巳がそうではなかっただろうか。
反射的に何故、敵と一緒にと思ったが詳しく効いていけば起き上がった彼は陰で暗躍していたというから、俺は久しぶりに蝉の鳴き声を聞いた様な気がした。
で、何かあったらと渡した番号にかかってきた電話を受けている真っ最中なのだが。

「さだふみ…」

酷く弱弱しい声で、心底参った様子なのは電話口の声を聞いただけでも明らかで、こっちこそ溜息をつきたくなってしまう。
生来の気の強さが何処へ行ってしまったのか。

「夏野君との喧嘩の原因はなんだ…?」
「…夏野くんとの外出を忘れていたから…です」

何故か敬語になる敏夫に、幹康や静信と喧嘩する敏夫を思い出した。
今はいない二人の想い出に、少しばかり胸が締め付けられたが、息を吐いてそれを気にしないようにする。
遅かれ早かれ、人は等しく死ぬのだと、あの夏から冬にかけて思い知った。

「で、それをしかも思いだすのに何日かかったんだっけ」
「……三日…」
「そうか。しかし、よく夏野君も待ってくれたな」
「俺もそう思う…」

うなだれる姿が容易に想像できて、今度はわざとため息を吐く。
敏夫の後ろで車の通るような音がするので、恐らく公衆電話からかけているのだろう。
一度だけ、様子を見に敏夫の今の住んでいる場所へ行った際に、顔を見たことがある少年の姿を思い出す。
気の強い青少年そのものので、明らかに俺を敵視している彼は猫そのもののように思えた。
しかも、縄張り意識の強い猫だ。
なにせ、敏夫が席をはずした隙に俺に対して、先生は俺の物なんだから今更来たって遅いからな、等と言ってくるのだから。
それだけで、ただでさえ男女構わず好かれる敏夫がついには誰か一人の物になってしまったのだとわかって、それに少なからずショックを受けている自分も、敏夫の事を弟分以上に好いていたのだとわかった。
いや、わかっていた。
敏夫が恭子さんと結婚したと報告しに来た時に親の為で都合がよかったと言った時は、心底安心したものだ。
誰の物にもならない敏夫に、安心したのだ。
俺の物にならないなら、誰の物にもならないで欲しいと、子供のようなわがままを抱えていた。
自分は結婚もしたくせに、本当に自分勝手なわがままだと思うが。

「とにかく、ちゃんと謝ること」
「うん」
「それで、次の約束はちゃんと果たすことだな」
「うん…ありがとな、定文」
「痴話喧嘩は次は余所でやってくれ」
「な、!夏野くんとは、そんなんじゃない…っ」

そんなんじゃないと言いつつも、全然隠せていない声色に、またため息を吐きたくなる。
これで本当にいままでよく悪い虫がつかなかったなと、まるで保護者のようなことを考える。

「なぁ敏夫」
「なんだよ」
「お前、今、幸せか?」

ぽろりと口から零れた言葉に、思った以上に自分が動揺した。
何を今さら聞くのだろうか。
けれど、もしも敏夫が少しでも言い淀む様な事があれば、すぐにでも迎えに行ってやろうと思ったのは確かだった。

「そうだな、うん、悪くないよ」
「…そうか」
「俺はまだ、幸せになっていいのかもよくわかってないんだ。けど、悪くないんだ」
「なら、それを言ってやるんだな。お前、どうせ売り言葉に買い言葉で家出たんだろ?きっと不安がってるぞ」
「あっ、悪いな定文!じゃあ、またな」
「ああ、おやすみ」
「おやすみ」

がちんと乱暴に切られた電話口からは、無機質な電子音。
きっと敏夫は慌てて受話器を置いた後に、乱暴にガラス戸を押して公衆電話から出て、一目散に家へと走るだろう。
その様子が、この繋がったままの電話口から伝わるような気がして、手にとるようにわかるような気がした。
弟のように大切だった。
敏夫が、どうか幸せに生きていてもいいのだと、思わせてやってくれと、一回り以上も年下の彼に願った。
がちりと、受話器を置く無機質な音が耳にいつまでも響いていた。





















玄関のドアを開けると鍵は閉められていない。
後ろ手に締めて鍵をかけ、そろりとリビングへ向かう。
顔をゆっくりとリビングへ出してみるが、そこには夏野君の姿がなかった。
次に、寝室へと顔を出せば、ベッドの上にこんもりと丸い塊がある。

「…なつのくん」

びくりと、大げさにシーツを被った丸いそれに、緩やかに近づいて、ベッドへ腰掛ける。
その軋みに、またびくりと体を揺らす彼を見て、どうしていいかわからないのは俺だけじゃなかったのかもしれないと思う。

「ごめんな」
「…」
「次は忘れない。仕事の時ばかりは仕方ないが、次は、絶対だ」
「……」
「本当に、ごめんな」
「…よかった」
「え?」

シーツの中から、ぽつりと帰ってきた言葉に、首をかしげる。
よかったことなんかなかっただろうに、一体彼にとって何がよかったのだろうか。
もぞ、シーツから顔を出した夏野君の手が伸びて、腕を掴む。

「戻って、来なかったらって…」
「…ごめんな」
「ううん…おれも、ごめんない。…おかえり、先生」
「ただいま、夏野君」

首を伸ばしてこちらへ顔を寄せてくるので、素直に目を閉じる。
今日ぐらいは、夏野君を甘やかすのもいいかもしれない。
そうして、次の外出の予定を立てよう。
次は絶対に忘れないように、さみしがり屋で甘え下手な彼を置いていかないように。
胸にこみ上げる暖かさに、俺は幸せになってもいいかなと、誰にともなく問いかけた。
返事はなかった。




完了



和泉様
リクエストありがとうございます!
夏敏も定敏も両方書きたいと思って欲張ったら幸せなのかちょっとわからなくなってしまいましたが
最終的には幸せな未来が待っているという意味で幸せとさせていただければ…←
ぜひとも鬼灯の冷徹も書かせていただきたいと思いますので、そちらも気長にお待ちいただければ幸いです〜。
このたびは、リクエストありがとうございました!
拝 青柳花




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