本棚2

□つるべおとし
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火蓋を切って、狙いを付けて。
火薬の匂いに塗れて。
黒焦げに焼けただれた感情を手に。
引き金を引けば、ことさらに生臭く匂い立つような視線に。
息が止まる。




◆つるべおとし◆





外場が焼け落ちて、灰になって、ギリギリの状態で吹き飛ばされた地獄穴から這い出した。
一緒に道連れにしようした、行き急いだ少年の姿は見えなかったが恐らく生きてはいるだろう。
けれど、土の中から這い出す事が出来るかは定かではない。
僕としては危険因子は少ない方がいいのでこのまま文字通り、地獄の底で眠ってくれればいい。
そうして、沙子もいない目的すらない幽鬼のような存在になって、どうしようかと思った時に、尾崎の先生を探そうと思った。
外場という小さな閉ざされた集落で、恐らく室井さんに次いで楽しませてくれた人。
生きているか見届けることは出来なかったので、もしかしたら先生は外場と一緒に死んだのかもしれないとも考えたが、確信めいた予感で先生は生きているのだと思った。
探してみればそれは容易く、数日もしないうちに見つかったのは、先生が溝辺に逗留していたからだ。
もっと、遠くにいると思ったのに。
溝辺では救急車のサイレン、くるくる回るパトランプの明かり、物珍しげに無遠慮なテレビの報道が嫌でも目につくだろうに。
元々、外部とは疎遠な村ではあるけれどまさか遠い親戚がいないわけではないだろう。
学生の友人を頼る手段もあっただろう。
しかし、先生はそのどれも選ばないだろうと思った。
本当だったら先生は、沙子にとっての理想を自分の手でどうにかしたかったのだろう。
人に横から口を挟まれる事も嫌ではあるのだろうけど、先生は本人が思っているよりもずっと尾崎にとらわれて、自分がどうにかしなくてはいけないという強迫観念に晒されていたのだ。
と、尾崎敏夫という一人の人間の経歴をあらいだして、様子や行動を見た考察を巡らせる。
所詮、ただの空想でしかない。
けれど、実際先生は誰に頼ることもなく小さなアパートを出入りしていた。
管理人に言い聞かせ、鍵を開ける。
アパートという集合体の敷地ぐらいなら入ることが出来るけれど、さすがに一人一人の部屋となると難しい。
そこから先は、招かれざる者は入れない。
思ったよりもずっと乱雑に置いてある玄関に、意外だと思ったと同時に嗅いだ覚えのある香水にはたと頭を働かせる。
生きるために、様々な形で女を利用したけれど、この匂いは随分最近嗅いだ記憶がある。
千鶴が付けるような、気取った甘ったるい匂いではなく、爽やかさを伴った甘さは一体どこで。
そうだ、先生の妻である恭子という女がつけていたのだ。
部屋の番号で覚えていた部屋の名前札を見ればそこには尾崎恭子と書かれている。
なるほど、引き払われていないのをいいことにここにきたのか。
玄関先から見えるだけでも、まだ衣服や荷物が残っているのが見て取れる。
亡くなってからだいぶ経つはずなのに、夫だけではなく肉親とも疎遠だったのか。
それでも誰かが遺品の整理にこの部屋を訪れる可能性はゼロではない。
なにより、二度も自らの手で死へと引き渡した女の香りに包まれて眠るなど、どうしてできようか。

「先生も、存外図太い真剣の持ち主ですよね」

ね、先生。
思ったよりもずっと楽しげに聞こえる自分の声により笑みは深くなる。
首を傾けて通路の先を見れば、大きな目がさらに大きく見開かれて丸々としているのがよくわかる。
そんなに目をぱちぱちと瞬いた所で僕の存在が消えるわけでもないのに、むしろ先生の目がポロリと取れてしまう方がずっとあり得る気がした。

「お前…なんで…」

掠れて途切れ途切れの声は小さかった、けど、人狼の耳にはよく届いた。
しかし、その言葉は尾崎の先生にしては、ありきたりな台詞だと思った。
先生ならもっと、なんと言えばいいのだろう、楽しませてくれるような事を言ってくれると思ったのに。
新しい面だと捉えればいいのか、それとも期待外れだと思うべきか。

「やっ、お元気でしたか?」

きっと、先生の事だから言葉の裏に忍ばせた鋭利なものを見透かして、激昂するだろうと思った。
神経を逆なでして、相手を怒らせてぼろを出させる。
そうして弱みを握って従わせる事は、随分と昔から日常的に行っているから慣れたもの。
先生でも、尾崎でもない面を見せてくださいよ。
それなのに、先生は一瞬深々と眉間にしわを寄せたのだけど次には表情が消える。
おや、と思うよりも早く先生が歩き始める。
怒りも沸点を超えると冷静になることがあるというから、言葉よりも実力行使に出るのかもしれない。
それも、また楽しい気がした。
眼の前、先生が手を伸ばせば捕まる距離、胸倉でも掴まれるだろうか。
手を延ばされる。
くる、と思ったのに先生の手は僕をすりぬけて閉まりかけのドアを掴む。
僕の横をすり抜けて部屋の中へと足を踏み入れ、招かれない僕が入れない領域へと行ってしまう。
眼を見開くのはこちらの番だった。

「…なぜ?」

ことごとく予想を裏切られて、呆然としているうちに徐々に湧きあがってくるのは焦りにも似た苛立ち。
なぜ、どうして、尾崎の先生らしくない。

「なぜ?」
「先生らしくないじゃないですか」
「お前の知っているそれは、尾崎の先生らしい俺だろう。それは俺であって俺じゃない。なんだ、お前も随分と俺を買いかぶっていたみたいじゃないか」

くつりと、喉の奥で押し殺したように先生が笑う。
口元を歪めて笑うそれは笑顔とは言い難く、嘲笑というのも違う気がした。
嘲笑うとしたら、それは僕をではなく自分に対してだろう、それか別の人、外場という集団を笑うように先生の口元が弧を描く。

「そう、ですね…そうですね。僕は、僕を楽しませてくれる先生の理想だけを見ていたのかもしれないです」
「楽しませる?よくあの状況でそんな事が言えるな。あんなに苛烈な状況で、楽しいだ?おれはもう、血液の赤も火の赤もこりごりだ」

がたがたと乱雑に靴を脱ぎ棄てて先生が中へと入る。
それに合わせて声は遠くへと移動するが、聞こえないわけではない。
当たり前のように会話をする事に、違和感を感じない。
あまりにも自然に交わされる会話に違和感はなく、昔話に花を咲かせているようにすら見えるだろう。
話している内容は別にしても。
ぴたと動きを止めた先生がこちらをいぶかしげに見る。

「なにやってんだ?」
「なに、とは…?」
「玄関で止まられたらご近所さんに変に思われる。ただでさえ、恭子の姿がないのに俺が出入りするから怪しまれてるのに…」
「僕は、招いていただかないと入れませんので」

どうせ、招いてなんて貰えないだろうと思った。
僕の知る限り尾崎の先生はやすやすと自分の身を危険にさらすとは思えない。
追い返されるだろうが、それも仕方ないと思っている。
また出直せばいいだけだ、けどその二度目も彼は今と同じように会話をしてくれるかは定かではない。
すれ違った際、強くアルコールの匂いがした。

「あぁそうだったな。いいぞ、はいれ」
「…え…?」

また、あっけなく僕の予想を崩していく先生の言葉と同時に玄関を覆う隔たりが砂が流れるように消えていく。
揺らめいていた本能的な恐怖がなくなり、そこにあるのはごく普通のアパートの玄関だ。

「なぜ…?」
「お前はさっきからなんでばっかりだな…どうぜ俺よりも生きてるんだろうに」
「自分の身をわざわざ危険に晒すなんて。先生、何を考えているんです?僕が憎いでしょう?あぁ、もしかして部屋の中には杭でもあるんですか?」
「そんなものあるもんか」
「なら、ぼくは、すぐにでも貴方が殺せてしまいますよ?」

がつん、と力強く踏み出した右足はアルミのサッシを踏んで痛々しい音をたてる。
そのまま二歩、三歩と進み、逃げられない先生の腕をつかみ引き寄せ、首筋に顔をうずめる。
すでにむき出しの犬歯は、あと少し力を入れれば簡単に皮膚を破り甘露のような赤を溢れさせるだろう。
尾崎の先生を食事するというのは、久方ぶりに食欲を刺激された。

「…できねぇくせに」
「……なぜですか」
「外場が燃えてまた三週間ぐらいしか経ってないのに、お前は俺を見つけた。俺よりもずっと桐敷のお嬢ちゃんを見つける方が難儀だろう、けど、お前はまず俺を探すことにした、違うか?」
「そもそも、沙子は無事に生き延びたか僕は知りません」
「ほう、お嬢ちゃんは沙子という名前だったのか。今になって知るなんてな…まぁ、それはいい。けど、生きているかわからないなら死んでいるかもわからないだろう。希望はまだある。なのに、村一つ潰してまで尽くしたお嬢ちゃんより先に、俺なんかを見つけようとした」
「それは…否定しません。僕が最初に浮かべたのは、あなたでした」
「ほら、それならお前は俺を殺せない。俺という娯楽を失ったら、半永久的に生きるお前の時間は永遠のまま止まる。お前が求める楽しみは消え失せてしまうんだ。だから、お前は俺を殺せないさ」

ざまあみろ、吐き捨てるような先生の言葉に、僕の胸に沸き立つのは歓喜だった。
あぁ、やっぱりこの人は、面白い。
僕を退屈にさせない。

「そうですね。僕は、貴方を死に奪われるのが惜しくなりました」
「ほら」
「でも、貴方を殺す事は出来なくても、貴方の自尊心を殺すのは出来るんです」
「……何が言いたい」

僅かに脈が速くなり、肩が不自然に動いた。
垣間見える先生の動揺に、さらに笑みが深くなる。
首筋をべろりと舐めて、よりいっそう逃げられない様に腰を掴み強く抱いた。
ようやく危険を感じ取った先生が、腕をはずそうと身をよじるが、家の中に入れた時点で叶わない事なのに。
どくどくと、早鐘を打つような脈の音を聞いて背筋に走るのは、恍惚とした嗜虐趣味。

「もう一度、僕の下で苦痛に顔を歪めてください」

ぐずりと皮膚を突き破り、深く深く押し込めれば、抵抗していた先生の腕から力が抜ける。
重くなっていく腕の中の身体を横たえて、僅かに開いたままだったドアを閉めて、鍵をかける。
貴方が死ぬその時まで、僕を楽しませてください。
僕の気が済むまで、貴方の傍にいますから。
もしも、僕から貴方という娯楽を奪うような事があるなら、その時は全力で排除に動きます。

「嫌でも貴方の傍にいますよ、先生」






(眼を閉じる間際、辰巳の声と、かすかにドアの閉まる音)
(ようやく、終われるのだと)
(安堵のままに眼を閉じた)
(その時の俺は、それが終わりではなく始まりだなんて知る由もなくて)




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