本棚2

□ALICE FALL HOLE
1ページ/1ページ




それは黄金の昼下がり
気ままにただようぼくら
オールは二本ともあぶなげに
小さな腕で漕がれ
小さな手がぼくらのただよいを導こうと
かっこうだけ申し訳につけて

と、途中まで読み進めて目を離す。
どうにも脈絡がつかめなくて、内容が大まかにしかわからない文章に首をかしげる。
元々の文章が英語だから、日本語にするにはそれを和訳する人がいるのだけど。
それにしてもこの文章は自分にはわかりづらくて仕方ない。
英語の感覚で書かれている物を日本語にするのは大変なのは、普段の勉強の時に嫌というほどわかっているけれど。
それでももう少し日本語に寄せられて訳ができないのかと思ってしまう。
詩の部分だからといっても、さすがに直訳すぎるのでは。
ことんと硬質な音に目線を上げると、コーヒーカップをローテーブルへと置く先生がいる。

「コーヒーでよかったかい?」
「あ、ごめん。ありがとう」
「眉間に深い皺よせて何を読んでいるんだ?」

ソファの端へよれば、隣に先生が座り手元を覗きこむ。
わずかに香る先生の煙草の匂いに、眉間に皺が少し緩むのが自分でもわかった。
先生は初めて会った時から煙草の匂いがしたから、煙草の匂いはイコールで先生へと結ばれる。
手元の本を閉じて、表紙が見えるようにすれば、先生がわずかに笑うのがわかった。

「子供っぽい?」
「いや、そういうことじゃないさ。ただ意外だなと思って」

手の中の本の表紙にはシックなモノクロのイラストが書かれていて、兎と小さな女の子が書かれている。
タイトルは不思議の国のアリス。
ネズミの国のやつではなくて、ルイスキャロルの和訳。
なんとなく本が読みたくなって寄った書店の店頭に積まれていたその本は、聞き覚えがあるけれど読んだことも見た事もない話だった。
それが理由になるかはわからないけれど、そのままそれをレジまで持っていき会計を済ませて帰宅。
早速と開いてみるといきなり始まる繋がらない文章は、どうにも自分の好みとは違った。
弄ぶようにぱらぱらとめくる、所々に挟まれている挿絵は表紙と同様にモノクロで。
小さい子向けかと聞かれれば少し違う気がした。
それにしては兎はリアルだし、人物の顔だって酷くリアルで怖くも見えるだろう。

「君はあまり、こういうファンタジーは好きじゃないのかと思っていたから」
「そうだね…あまり好みじゃないかも」
「まだ最初のページだったみたいだけど?」
「最初から脈絡無さ過ぎて」

和訳が悪いことにした、と言えばからからと笑われる。
先生が入れてくれたコーヒーを手にとって、流しこめば暖かな温度に落ち着いた。
俺の手から本をひょいと持ち上げた先生は、ぺらぺらとやはりページをめくっていく。

「不思議の国のアリスか。おれはあまり面白いと思わなかったな」
「へぇ」
「結局ただの夢だったのかと、がっかりした記憶がある」
「へぇ…そういう話なんだ」
「知らないのか?子供の時に見せられたりとか…」
「見た事あるかもしれないけど、覚えてない」

うすらぼんやりと記憶にあるのは、青いエプロンドレスをきた金髪の女の子と白い兎がおいかけっこをする場面。
そこしかむしろ覚えていない。
そういえば、先生は少しかいつまんで内容を教えてくれた。
聞けば、たしかにそれは夢オチ。
結局はただの夢だったというだけの話。

「それ、どこが面白いの?」
「さあな…まぁ、不思議な世界っていうのは小さい頃は憧れるものだろう」

そうやって笑って、自分のカップと色違いのカップを傾けてコーヒーを飲む先生を見つめながら考える。
夢から覚めたら、それはただの夢でしかなくて現実ではない。
本来だったら死んでいるはずだったんだ。
徹ちゃんに食事をされて、あの小さな村で土に返るはずだったんだ。
もしかした、これはあの時に死んだおれの延長された夢なんじゃないか。
コップをテーブルに置いたのを見計らって、せんせいと名前を呼ぶ。

「ん?」
「キスしていい?」
「ん、いいよ」

快諾されたので身を乗り出して、距離を縮めれば先生が目を閉じてくれる。
ギリギリまで寄せてから目を閉じて、ゆっくりと唇を触れ合わせれば暖かくて、それは現実。
肩を掴んで、そのまま押し切るようにソファへ押し倒せば、先生がニコニコ笑いながら背中に手を回してくれる。

「機嫌、いいね」
「うん?そうだね…夏野君の意外な一面が見れたからかもしれない」

おれは、もっと君の事を知りたいよ。
そういって、今度は先生から顔を寄せられたので首を折って目をつぶれば柔らかなくちづけ。
先生に引き寄せられるままに唇を押し当てて、角度を変えて交わらせる。
そうしていけば徐々に合わせは深くなり、もっと奥へ触れようと舌を擦り合わせて水音が響く。

「っ、ふ…は…っ」
「せんせ…」

すき、と出た声は奇妙に掠れていた。
恰好がつかなかったけれど、先生も似たようなもので。
甘ったるい声の端に好きだよ、と返してくれて。
それだけで夢だろうが現実だろうが、どうでもよくなってしまうのだから単純だなぁと思う反面、そういう単純な理屈でいいんだと。
頭の端で考えて、服に手を差し入れた。



それでも
先生が死んだら
俺は夢から覚めるのかと
思わずにはいられなかった



◆ALICE FALL HOLE ◆

(夢のようなまどろみの中で、生きる、夢)











[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ