本棚2

□とおりゃんせ
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ぎゃあぎゃあと赤子の喚くような声がする。
黒い鳥がこれまた黒い山の峰を作る木の一本の上で、羽をばたつかせてぎゃあぎゃあと喚き立てる声は、生き物の気配の希薄な冬の山にはよく響いた。
黒い羽は羽ばたくたびに古い羽を落としてそれは木々の間にひらめいて消えていく。
時刻は夜闇に飲まれ始めるぐらいのはずなのに空には黒々とした雲が分厚く広がっているせいかすでに夜のような明るさで、また森の木々は高く空を覆い光を遮り黒く霧は深いせいか視界は頗るよろしくない。
この天気に山に入ったら無事には戻ってこれないだろう。
最悪、亡骸すらも見つからない。
それに加えてここら一帯は不可思議な事がよく起こった。
道を歩いている間に何故だから進行方向が変わって元の場所に戻っていたり、茸が大量に取れたと思ったら里に帰る頃には全てが木の枝や木の葉になっていたり等、所謂、化かされたといわれる類の事がよく起きた。
それだけですめばマシな方、命があるだけでも有難いと年寄り連中はそう言う。
それだけで済まない事もここでは多々あった。
森に入ってしばらくたっても戻ってこないと思ったらある日ひょっこり里へ帰ってくる。しかし、なにやら様子がおかしい。顔は青白くて手も足も異様に冷たくしきりに眠いのだと言って、帰ってきてすぐに床に伏したかと思うとそのまま起き上がることなく死んでしまったり。
そういった森に入ってふらりと帰ってくるものは少なくなかった。
それだけでなく、何日も帰ってこないと思って山を探すと見るも無残な姿で発見される事もあった。見つけられるのが遅くなれば遅くなるほど、死体は山の動物に食い荒らされて欠損が増えて本人かどうかすらも曖昧になる。それを確認する術はもう僅かに残った衣ぐらいでしか判断できない。
そういう事がある何度もあるから、次第に里の者は森へ入る事をやめていき、年寄りは強く子供に言い聞かせる。
絶対に森へだけは入ってはいけない、入ったら戻ってこれない、戻ってこれてもすでに死んでいる。
だから絶対に、死にたくなければ入るんじゃないと、それは何度も何度も繰り返し語り継がれている。
それでも何度も人はそこに魅入られる様に吸い寄せられてひょっこりと青ざめた顔になって帰ってきた。
そして数日のうちに死んでいく。
森が、山が引いているのだと。
そうして森の至る箇所にお堂を作って神社をたてて祀ることにしたのはそんなに昔の話ではない。
人はそうやって引いていかないでくれ、大事な家族を連れて行かないでくれ、一人にしないでくれと供物を添えていった。
そうしているうちに人がいなくなるような事もなく、神社に人が来る事も点在するようにたてられたお堂の存在も忘れていった。
朽ち果てた神社の境内には、苔むした狛犬が誰も来ないそこでずっと座っていた。





・・・・・・・・とおりゃんせ・・・・・・・・・・






羽が空を切り空に身を任せている間は羽ばたく事のない羽は降り立つしまいにはバタバタと風を叩き起こす様な音がする。灰色の狛犬にばさりと盛大な音を立てて鳥が止まる。しかし、その鳥の姿は鳥である事は間違いないのだが、どうにもなにかがおかしい。
スズメと言うには大きく、鷹というには小さ過ぎる、よくよく見れば根本的に足の数がおかしかった。
黒とも茶ともはっきりしないその体躯からは、あろうことか3本足が生えている。
それは狛犬の頭の上で鋭い爪で叩く様にコツコツと叩く様に三つの足をばたつかせる。
すると、がたんと狛犬が揺れた。
台座の上に固定されていないのだろうか、その狛犬が足で叩かれるたびにごとんごとんと揺れ動く
ひと際盛大に揺れ、落ちると思ったその時だった。

「夏野!おまえ、何度上に乗るなって言えばわかるんだ!!」

どこから現れたのか、それは瞬きをした一瞬の間に当然のように現れて、台座の上で胡坐をかいていた。金の頭のどこからともなく現れたそれは、紛れもないヒトの姿をしていた。
その目線のさらに上空、茶色の羽で空を混ぜながら鳥がいる。
いや、それは鳥ではない。
3本足があるどころの話ではなく、むしろ足は減って2本になったのだが、それはこちらも人の体躯に羽を湛える異形の姿。

「そんなの今更だろう?徹ちゃん」

喧嘩を始めそうなそれを眺めながら本殿から姿を出す。
四つ又の尾が揺らめいて灯楼に火を灯す。
青い炎の狐火。
冬が近いのか肌寒いのに、若い妖は今日も元気にじゃれ付いている。
すたすたと近づいて夏野には石を投げて、徹にも同様に石つぶてを喰らわせればやっと静かになる。

「い…ッ!!!」
「いってぇー!!!なにすんですかぁ!」
「お前らうるさいんだよ。毎回毎回、夏野もいい加減にしなさい。徹がうるさくて敵わない…」

地面に落ちた夏野は羽をしまって大人しく人間に近い姿になる。けれども、目は鳥のそれのまま。
徹も座り込んでいた台座から下りて来るとやっと落ち着く。
若いってのは宝だなとため息をつきながら顎髭をさする。
ぴくりと周囲の音を拾っておく。

「はい…」
「おれも静かにするよー…」
「それをお前ら何度も言ってるのにすぐ忘れる…まぁいい。今日は特別にお前たちに仕事だ」

そう言うと夏野と徹の反応は対照的だ。
徹は神社に元々いた狛犬で、人間の姿になっても未だに耳としっぽが隠せない。
なので今のように何か頼みごとをすると嬉しそうに耳をたてて尻尾を振る。
たとえそれらがなくても徹の表情を見れば一目瞭然なのだが。

「はーい!ご主人、おれがんばるよー!」
「だから、お前の主人じゃないんだから…定文で良いって言ってるだろ」
「でも、今は定文がご主人だからさ」
「お前がいいならいいんだけどな…」

元々ここには別の者がいたのだけど、人が来なくなった事に見切りをつけて出ていってしまったらしい。
ちょうど空白の座に住み着いたのがおれで、弱っている徹に力を分けてやったのを未だに恩に感じているようで懐いている。
可愛い弟分のようなものだが、主人と呼ばれるのはどうにも慣れなかった。
それとは対照的に、不貞腐れて嫌そうな顔をするのはヤタガラスの夏野。

「おれ、あんたの下について気はないんだけど」
「なに言ってるんだ。お前、まだ妖になってから50年にも満たないひよっこなんだから、今は媚売っておいて損は無い」
「…わかってるよ…」

人が妖へと変容するのはごくまれだが、それでも少なくは無い。
元が人の姿をしていたものは、狛犬の徹とは違って妖の姿が保ちづらい。
けれど、最初の頃よりはずっと上手くなったのでまだマシだ。
夏野は元々の自尊心が高いので言うことを聞かないが、それでもやはり最初に拾ったのが俺なので渋々ながらも言う事を聞く。
黙っていれば黒塗りの羽が生えるような美丈夫なのに、口を開けばこれだから困る。
煙管に狐火を寄せて火を付け、ぽかりと一服してから要件を切りだす。

「近々、ここらの異質なものが出る」
「異質なものってなんですか?」
「そこまではわからない」
「天孤様でもわかりませんか」
「生憎、そこまで万能じゃないものでね」

夏野の皮肉を聞き流して煙管に口付ける。
千里眼と言えど詳細の全てを把握できるわけではない、けれど、山にとってよいものか悪いものかもわからない。
何かが入りこもうとしていることだけは感じていた。

「お前たちには東と西で山の様子を見張って欲しい」
「俺達がしなくても土地神と祠にいる役持ちがいるじゃないか、定文が言えばあいつら言う事聞くだろ?それに山の隅々まで土地神なら神経通ってるんだ。気づくのは早い」
「けど、個々の力が弱いから頼りにはならない。それに…今回はえらくおぼろげでな…正直確証が持てないから事を荒げたくはないんだ」
「ふぅん…手遅れになってもしらねぇよ」

赤く光る目がまっすぐにこちらを射ぬいて来る。
少しは一人前の凄味が出てきたが、それでもただ睨みつけるだけじゃまだまだ。
それが徹とは違って可愛がりたいのだが、口に出したら怒るのは目に見えている。
くつくつと笑って紫煙を吐く。

「そうならないうちに俺が出迎えてやる」
「…わかった。徹ちゃんは東ね、俺は西に行く」
「おう、いいぞー」
「褒美はたんと用意してやろう」
「ほんと!?」

褒美の言葉に徹の目の色が変わる。
羽を出した夏野も隠した気でいるんだろうけど、ぴくりと羽が不自然に揺れたのが見えた。
餌をちらつかせるのも手段の一つ、それを理解したのは人の姿を借りてしている寺子屋で感じた事だ。
子供には闇雲にやらせるよりも何か賞品が合った方が取り組みは良い。
こんな事を言ったら夏野にはまた怒られそうだが。

「さ、行ってこい」
「あっ、でもその間入口どうするんですか?」
「徹の所の二人に来てもらう」
「保と葵?」
「なにかわかったら二人を伝令に使う。まぁ、徹がいない間は俺もここを空けないから心配するな」
「そっかー、わかった。じゃあいってきまーす」
「敵だったら殺していい?」
「生け捕りにしなさい」
「冗談だよ、いってくる」

各々、犬と鳥の姿が闇に消えていくのを見守る。
それから、早速と保と葵を喚ぶ。

「田茂先生呼びましたー?」
「先生こっちで会うの久しぶり」
「おぉ、そうだな。こっちで会うのはあまりないなぁ。今日は兄ちゃんのかわりに入口見ててくれないか?」
「兄貴なんかしたんですか?」
「おれのお使い中で出かけてる」
「なーんだ、てっきり煩いから追い出されちゃったのかと思った!なつといっつも喧嘩してるから」

保と葵は人の子供でありながら狛犬の家を帯びるというつまりは鬼子というものに近い。
夜の領分では狛犬の力は強くなるが、昼間は普通の人間と大差ない。
多少、嗅覚や聴覚が優れているという点以外は普通の子供。
おれが寺子屋で教えている生徒でもある。

「まぁ、何もないとは思うが頼むぞ」
「はい先生」
「なんだ保」
「石段の下に何か居る匂いがするけど…」
「石段の下…?」

さして長くない石段は覗きこめば一番下がすぐ見える。
その場所に、人の姿があるのがはっきりとわかった。
まさかとは思って石段をおり、姿を確認する。
どうやら死体ではなくまだ生きているようで鼓動があった。

「こんな近くにくるとは思わなかったな…しかも、これは…」

倒れていたのは年は30をを過ぎたぐらいの無精髭を生やした男。
ボサボサの髪の隙間から覗くのは、硬質な角。

「面倒な事になったな…」

ため息と一緒に煙を吐きだして、ひとまず徹と夏野を迎えに行かせる事にした。
夏野からの文句は甘んじて受けるとして、せめて倒れているのが人間なら楽なのに。

「半妖の鬼とはな」

遠くで甲高いカラスの喚く声が聞こえた。





敏夫拾われました。




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