本棚2

□こんにちは、永遠だと信じた過去より
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静信からは煙たいような、自分とは違う煙の匂い、線香の匂いがした。
小さいころから、静信と一緒にいるとその匂いは当たり前のようにあったから、線香の匂いをかぐと瞬間的に静信を思い浮かべた。
咄嗟に静信の姿を探してしまうほど、刷り込みかもしれないけれど、おれの記憶では静信と線香はほぼ一緒にあるものだ。
それに比べて、自分のけぶるような匂いの元は煙草。
高校の時に手を出してから、見事にヘビースモーカーになってしまって今は煙草の煙でむせるようなことはない。
それに加えて、自分からは白衣をはおっている間は薬品の匂いがする。
静信と比べると、さまざまな匂いが混在する自分は、静信とは違う。
昔からの付き合いでも、おれは静信の考えていることがわからない事が多々あった。
何を考えているのかわからないだけではなく、静信の考えを理解することができなくて、それで小さい頃は衝突もした。
それでも、おれなりに知っている静信は、静信であることに間違いはないと思う。
村人の知っている室井静信は、それは若御院という役割の静信であって、室井静信ではない。
おれが唯一、静信と共用していると確証があるのは、村人に役割を押しつけられることを嫌っているという。
それ以外にも細かな、頑固であるということや、我が強いといったこともあるのだけど、俺が静信について確証を持って語れることなんて少ない。
それでも、俺にとっての静信がそこにはあるのだからそれでいいのだと思う。

「敏夫」

眺めるだけだった医学書の紙面から視線をあげて、声の方へ向けば静信が隣にいる。
離れた奥にある静信の私室は静かで、呼吸がはっきりと聞こえてしまう気がした。
ぼんやりと静信の姿をみていると、なんだか急におぼろげな気がした。
さっきまで考えていたことが影響しているのか、静信が遠い。

「敏夫、…?」

隣に座る静信の肩に寄りかかるように体重を預ける。
わずかに傾いた体を元に戻して、おれの体を支えてくれる体は温かく、近くて強く静信の匂いがする。
肩口に顔を寄せるようにすれば、珍しいなと笑われる。
自分でも珍しいことをしていると思う、こんな甘えるような恥ずかしいような仕草。
ずいぶんと、感傷的な事を考えてしまったのかもしれない。
静信は隣にいるのに。

「寂しいのかい?」
「…そうだな、そうかもしれない」

素直に認めれば、一瞬驚くような気配。
それもそうだろう、本当にこんなことを口にだすなんてどうかしている。
膝の上に置いたままの医学書を避けることも気にならず、静信と距離を近づける。
そのまま首へと腕をまわして引き寄せるようにして体重をかければ、なんなく静信の体を床へと押し付けることに成功する。
見下ろすようになった静信は、やっぱり穏やかに笑って俺の頬や髪を撫でて見上げる。
こんなに近いのに、まだ、足りない。

「敏夫?」

わかってるんだろ、静信。
俺に先を促すような呼びかけだけど、お前は俺の言いたいことも本当はわかっているんだろう。
けれど、そう言ってしまうのは癪だった。
まるで静信に負けを認めたようで、一体なにを持って勝敗を決めるわけではないのだけど。
静信にはいつでも張り合っていたいし、いつだって対等でいたいから。
押し倒した静信の上に折り重なるようにして、静信の胸元に顔をうずめる。
深々と吸い込めば、やっぱり線香の香り。
それと、古い本の匂いと、さっき食べた茶菓子の甘い砂糖の匂いと、それと静信の匂い。
たとえるなら、それは水のようなものかもしれない。
水には匂いはないのだけど、水だとわかるような。
静信に匂いはないのだけど、静信だとわかるような。
そういう匂いが、静信からはした。

「今日の敏夫は、子供みたいだね」
「うるさい…たまにはいいだろう」
「いつでも、甘やかしてあげるのに…?」
「いいんだよ…たまーにで」

そうかい、と言ってふつふつと静信が笑うと胸が動く。
肺が膨らんで、心臓が血液を送って、動いている。
こうやって、ずっと静信の隣にいたいと、どくりと動く筋肉の音に思った。
できることなら、お前を看取る医者は俺であったらいい。
そうして、お前を看取った後に追いかけてやるから。
ずっと一緒に、お前の隣にいさせてくれ。

「せいしん、すきだ」

おれが尾崎の若先生であって、お前が寺の若御院である限り、それは約束された永遠だと思った。
それもおれの希望的観測で、確証も約束も、実際は存在しないのだけど。
永遠とかそんなものを信じていないのだけど、おれはお前にだけは信じていたんだよ。
お前と過ごす60年余りを永遠だと、柄にもなく。



◆こんにちは、永遠を信じた今より
(馬鹿みたいに信じたんだ)








さようなら、今日と明日




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