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□骨まで愛して
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屍鬼:静敏
「骨まで愛して」
オンデマンド印刷60P
¥500

ふじりゅー寄り
オリキャラ表現有
モブ表現有
少しだけグロ表現有
そんな注意事項が多いのでR15です
あんまり若い方には申し訳ありません。
エロイことはほぼ皆無です
鬱よりなシリアス



本文サンプル


室井静信という人物に対して、俺が知っている事と言ったら。
それは本当に、極わずかなことしか知らないのだと。否、知らなかったのだと、俺はその時、初めて思い知ったんだ。

今年一番の夏日を観測した八月の中旬。例年と比べてと言うニュースキャスターの台詞をデジャブのような気持ちで聞いた、高校二年生の夏。
僅かに頬を撫でる風を汗ばむ服の中に取り込もうとシャツをぱたぱたと動かすも、対して下がるわけでもない体感温度に嘆息。Tシャツなんか中に着るんじゃなかったと思っても、今更なので文句を言っても意味がない。その文句をぶつける先も自分だから、意味もない。
バスの停留所の青いペンキが僅かに剥げたトタンの屋根。酸性雨にやられて欠けたそれを仰ぎ見ていた顔を、ゆるゆると下
げていき隣に視線を移す。そこには自分と同じデザインの、同じ色のリボンタイを付けた静信が座っている。
同じ色のリボンタイというのは語弊があるかもしれない。
なぜなら、自分はリボンタイは付けていない。鞄の底で眠っているからだ。正しくは、静信はきちんとリボンタイをつけて制服を着て、だ。 さっきまで耳元で鳴いているのではないかと思うほどやかましい蝉の声が、静信の周りではどこ吹く風。本人もさして気に
していないのか、単調に捲られる文庫本をめくる紙の音が小さくする。熱気すら感じないのではないかと思うほど、静信の周囲だけぽっかりと暑さが失われている。
日陰の下、夏服とはいえ制服特有の厚みがあるのだから涼しいとは言い難い。それなのに、汗をかいている様子もなく淡々
と文庫本に目を通す静信はどこまでも涼しげだ。生まれつき薄い色素の髪は僅かな微風に揺れて爽やか、あまり外に出ないせいか色白の肌は冷たくすら見える。
ベンチの薄汚れた板の上に座ったままずるずると距離を寄せる。そうして、静信との距離四十五センチ以内。俗に言うパー
ソナルスペースの内側まで距離を詰めて、静信の手元を覗き込むように近づく。
「…なに?」
静信が怪訝な様子を隠すことなくこちらを見る。屈みこむ様にして静信との距離を測っていた俺は、顔を上げずに上目で表
情を伺うと少しだけ眉間に皺が寄っていた。邪魔をされて機嫌が悪いかもと思いながらも、それは気にも留めずにさらに近付
く自分がまるで他人のような気持ちの方が強かった。暑さにやられているのかもしれない。花の香りに誘われる様な虫のように静信に誘われる。
触れるまでもうあと少しの所まできて動きを止める。そのまましばらく待ってから、肩の力を抜いて溜息を吐いた。
「なんだ。暑さは変わらないのか」
「何の話なんだ…」
俺の溜息に負けず劣らずの溜息を吐いた静信から距離をとって離れると、当然俺と静信の間に横たわるその距離は広がる。
けれど、未だに四十五センチ以内に居ることにかわりはない。
「お前が涼しそうだからさ。近づけば涼しいんじゃないかと思ったんだ。けど、そうでもなかったな」
「だろうね。僕にも一応体温があるから」
「その割には涼しそうだ」
「あまり汗をかかないだけだよ」
ふいと、まるで逸らされる様に視線が紙に戻る。逸らされたと思うのは、今まで目が合っていると思ったからだ。特に変な事ではないし、俺が邪魔をしたのだからずっと話に付き合ってもらう理由も静信にはない。静信からすれば早く本の世界に戻りたいのだろう。
線の細い、華奢な印象を与える首や腕を見る。そのどこにも汗が浮く事も、ましてや流れる様子すら見当たらない。つうと
こめかみに汗が流れる感覚に、シャツの裾で拭う。自分は滝のように汗を流しているのに、どうしてこんなにも違うのか。
目を伏せるようにして文字を追う静信の睫毛が瞬きをする度に揺れるのを見ながら、静信自体が冷たいからではないかと考
えた。体温が低いからといって冷たいわけはない。もしも触って冷たかったらそれはむしろ危ないのではないだろうか。冷静
な自分であったらそんな考えは一笑出来るのに、その時の自分は暑さで大分おかしかったのだと思う。
日に焼けない白さが、そのまま温度に直結する様な。白は雪のような冷たい物のイメージが強くて、涼が取れそうな気がし
た。
ベンチについていた腕を持ち上げ、緩やかに手首を返してそのまま、真っ直ぐに目の前へと伸ばす。その間にも蝉の声は喧
しいし、暑さもまったく緩む気配は無い。
触ったら、果たして冷たいのだろうか。
白いシャツの襟から覗く首よりさらに上、頬に手を伸ばす。
あと数センチ触れる、ほんの一歩手前。
緩やかな、けれどはっきりとした拒絶を含ませて手を掴まれる。
静信の黒目がちの視線が、俺を見る。
行動の意味ははっきりしているのに、まっすぐに俺を見る静信の表情からは何を読み取っていいのか皆目見当もつかなかっ
た。
「あ…っ…」
咄嗟の事に口ごもったのは、静信のその視線に気圧されたから。鋭利な刃物を思わせる視線に、ごめんと口に出す事も出来ずに動きを止める。その反面、頭の隅で体温低いなと掴まれている手から感じる体温について考えていた。
ぷしゅ、と空気の抜ける間抜けな音がして我に返る。音のした方へ視線を移せば、そこには大型の動物を思わせるエンジン音をたてるバスがいる。
いつのまに来ていたのだろう。近づく音を聞いた記憶は無い。
加えて、急激に大きくなったような蝉の声に、さっきまでまるで無音のような状態だったことに気が付く。
「敏夫、置いていくよ?」
また、声のする方へと顔を向ければ学校指定の鞄を持った静信が立っている。いつ、手を離されたのだろうか。それも途切
れ途切れの記憶ではどこで行われたのかわからなかった。静信の低めの体温は決して熱かったわけでもないのに、何故か手の
平は汗をかいていた。
鞄を乱雑に掴んで、静信の後ろを追いかけるように駆け寄る。
バスの入り口で待つ静信は、いつもとなんの変わりもなく俺を待っている。さっきの尖った氷のようにも見えた目ではなく、
いつも通りの柔和に細まる目元。
なんだ、いつもの静信と何の変わりもないじゃないか。
バスに乗り込んで一番奥の長椅子に座る静信の隣に同様に腰掛ける。ぷしゅと、やっぱり間抜けな音をたててドアが閉まり、
ゆっくりとバスが動き出す。村外へ通学する学生か老人ぐらいしか使わないバスは人がいない。夏休みなのも手伝って、客は
静信と俺の二人しかいない。
冷房の効いた車内は涼しく、一息ついて横を見れば、再び文庫本を開いている静信がいる。よく車の中で本を読んで酔わな
いなと常々思うのだけど、三半期感が強いのかもねと静信は言った。目を伏せる様にして黙々と紙面に視線を滑らせる静信は、
やっぱり俺がいつも見ている室井静信そのもので。
もう一度ゆっくりと息を吐く。今度のそれは安堵のためだ。
胸を締め付ける様な不安が溶けて、息がしやすくなる。
まるで、別人のようだと思った。
俺の知らない、俺が知らなかった、室井静信がそこにいるように見えた。瞬きをする一瞬のうちに、まるで静信の中身がそ
っくり他人になってしまったような違和感、それに近い恐怖。
そのまま遠いどこかへ行ってしまうのではないかという焦り。
ぶくぶくと湧きだしてくる感情の気泡を溜息にして、ようやく落ち着いていられる。
何を焦る必要があるだろうか、なにを怖がる必要があるだろうか、なにを疑う必要があるだろうか。
ごとごと揺れるバスの揺れる視界で静信を捉える。色素の薄い髪、それと一緒の薄い睫毛。外に出ない事に加えて、陽に焼
けづらいせいか血管が浮いて見えるのではないかと思うほど、不健康そうな肌。指は細いわりにしっかりと節だっていて、先
端を縁取る細長い爪は綺麗に切りそろえられている。黒目がちの目は文庫本の紙面を滑って、規則的に、忙しなく動く。自分
と同じ制服を着ているのに、自分よりずっと細く見える静信が、実は寺の階段を上り下りしているおかげで、体力も筋力がある
のも知っている。
ほら、一体、いつもの静信と何が違うだろうか。
ほうと安堵の息を再び吐き出した瞬間、目が合う。それにまたどくりと心臓が不穏な音をたてはじめてしまって、目を逸ら
す事も出来ず、咄嗟に声をかけることもできずに硬直する。
「なに?」
「え、あ…いや…」
「なんか変だよ。具合でも悪いの?」
わずかに眉間に皺を寄せてこちらを見る静信に、慌てて手を振り否定する。そういうわけではないのだ。どこか悪いわけで
も、ましてやバスに酔ったわけでもない、無用な心配はさせたくない。勘ぐられるのも嫌だ。
ふるりと首を振る。暑いのはきっとクーラーがそこそこにしか効いていないからだ。
「なんでもねぇって」
「…そう、ならいいんだけど。ずっと見てるから顔に何かついてるのかとも思ったよ」
気付かれていたのか。確かにずっと観察するように見ていたけれど、そんなに長い時間見ていなかったと思うのに。
視線を窓へと移して流れる緑へと焦点を合わせようとして失敗する。酔いそうだ。
「なんもついてねーよ」
無理やり断ち切るような俺の返答に不満そうな顔をしたものの、静信はすぐに本の世界へと戻って行った。横目でこちらへ
の興味がなくなった静信を見ながら、なんだかおかしいなと思う。静信に変な所はないのだけど、俺ばっかりが静信を気にして、変な感じだ。
クーラーの冷やされた空気が肌の上を滑る。徐々に馴染んでいく体温に、焦る様な感情も落ち着いていく。きっと、焦る様なぐるぐると回る眩暈のような感情は、暑かったからだと思う。
暑さに参っていたんだ。だから、静信に対していつものように振舞えなかったんだ。
全部、夏の暑さのせいなんだ。
ごうごうと鳴るエアコンの、強風の様な音を聞きながら目を閉じる。バスの動く音に合わせてごう、ごうと、リズムを取る
音に加えて、ぱらぱらとページをめくる音。それら全てを受け流しながら、少し眠ろう。
目を覚ませば、昨日の延長線の俺がいるはずだ。



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