本棚4

□誓いの口付
1ページ/2ページ


提示された報酬は、三か月は仕事をしなくても余裕で旅ができる金額であったから、二つ返事で受けた。
夜をしのぐために立ち寄った村で、うっかり魔術の心得があるのがばれた。
舌打ちをしようとしたが、宿代は村が持つというからおとなしくすることにした。
そういう時は大体、何かしらの厄介毎の解決を頼まれるが、財布が心許なかったので仕方ない。
行く先々で頼まれごとなど聞いていられないから、普段は隠している。
その理由の一つに、自分が不老不死であることが露見しても面倒だからだというのもあった。
魔術研究の向上心の結果、まあ不慮の事故のようなものであったが手に入れた不老不死を持て余すように俺は諸国を回っていた。
最近では、自分が生きることに飽きた時に死ねるように、不老不死を殺す術を探しながらだ。
不毛であるとわかっているが、惰性で動くのは難しい。
目的が欲しかった。
丁重に案内されて村の長に話をされ、聞けば村のはずれにいる異形が百年ごとに女を生贄に要求してくる、今年はその百年目だという。
どうかその異形を退けてほしいと言う。
次に提示された金額は前述の通りに、なかなかの金額であったから引き受けたのだが。

「………貴様、村の者か…?」

指定された場所に、せめて相手が油断するようにとベールを被って女の振りをしていたら背中に気配を感じた。
手を伸ばされるような動きがあった。
触れられる前に一太刀食らわせれてから永久凍土に葬ってやろうと思った。
しかし、振りかざしたナイフを持つ手は受け止められて、振り向いた先に居たのは少々背が高い大柄のブルネットの男だった。
あまりにも人間にしか見えない姿に、今日の事を知らない人間が迷ってきたのかと思った。
ブルネットにグリーンアイの男は、俺の顔を見ると驚いた顔をしたが質問の意味をちゃんと理解したようだった。

「いいや、僕は違うよ。君、もしかして今日来てくれた…女の子?」
「俺が女に見えるのなら医者に行った方がいい」
「だよね…おかしいなぁ?昨日はちゃんと女の子だったのに」
「……お前か?村から女を連れてくるように言ってるのは」
「そうだよ。ダンスの練習のために」
「…………は?」

ヒトの姿に化けられるのならば、それなりに高位の存在だろう。
機嫌を損ねたら怪我をするのはこちらかもしれない。
死なないのと怪我を負わないのは違う。
服が破けでもしたら新調する必要も出てきて無駄な出費がかさむばかりだ。
しかし、そんな心配は杞憂で終わる。
今この目の前の存在はなんと言った。

「…捕食じゃないのか」
「え?!そんな話になってるの?!おかしいなぁ…ちゃんと女の子たちは朝になったら村に返してるのに…」

男は驚きに目を丸くさせた。
件の異形がこいつであることはまず間違いないだろう。
しかし、どうやら村との話に食い違いがあるようだ。

「練習なら一人をしばらく置いておけばいいだろう」
「いや、僕見ての通り身長が大きいからさ……普通の女の子だとバランスがとれなくって踊りづらいんだ。だから、ちょうどいい身長の子をと思って何人か交代で……ええーでもおかしいなぁ…代わりに当たり一帯を守るっていう約束したのに……」
「……お前、もしかして気づいていないのか?」
「え?」

まとわりつく空気の違和感の正体を男の話で察することができた。
空気の質が違うのは時間の流れが違うからだ。
倦怠感に近い妙な感覚があると思ったんだ。

「なにがだい?」
「このあたり、時間の流れがおかしいぞ。おそらく、一晩が……ざっと百年だ」
「えっ」
「朝に女を村に返したら、女が帰った村は百年後だぞ」

なんとも面倒なことに首を突っ込んだなと、内心ため息を吐く。
異形を退けたら証拠で身体の一部を持ってこいというから、首でも落としていこうかと思った。
しかし今更、お前のせいで迷惑してるから首をよこせとは言いづらい雰囲気だ。
時間にまで影響及ぼすようなのは、悪魔か竜か妖魔の類だと相場は決まっている。
そういうやつらからの影響は、簡単に死んでしまう可能性がある。
死ぬ方法は探しているが、今はこのまま死ぬわけにはいかない。
せっかくの大金を得る機会だ、逃すわけにはいかない。

「な、なんで?!」
「地脈にお前の魔力が作用してるんだろう。…お前、正体はなんだ」
「それもすっかり忘れられているのかい…まいったなぁ…僕は、こんな姿をしてるけど一応竜なんだよね」

予想通り、しかも百年は確実に生きているタイプだ。
ヒトの姿をするときに一応は年相応の外見になるらしいが、二百年が人間の一歳に相当する種族の話だ。
二十歳ぐらいの男は、推定でも四千年は生きていると思って間違いないだろう。
益々、簡単に首はくれないだろう。
警戒をしたまま話を続けて機会をうかがうことにする。

「お前の時間がここらに流れてるから女は年を取らない。…そりゃあ、村人は生贄だと思うだろうな」
「困った…どうしよう…そんなつもりじゃなかったのに…!」

太めの眉を情けなく下げた、男は頭を抱えた。
それなりに成長した竜であるはずなのに、どことなく間の抜けた印象がぬぐえない。
身なりはどこかの貴族のようにしつらえられた燕尾服なのに、髪はくせ毛の性かはねているから野暮ったく見えるからか。
お坊ちゃんらしいといえばそうにも見えた。

「ねえ!君、詳しいみたいじゃないか!教えてよ、どうしたらいい?」

ぐっと距離を寄せたかと思うと、男は手を掴んで顔を覗き込んでくる。
触れそうになる近さに慌てて顔を引いた。
ベールがかかってなければ相手の呼吸を感じるほどの距離だった。
必要がなくなったベールをはぎ取って、しばし考え込む。
このまま、お前が死ねばそれで解決だと言って首を落としてしまえばいい。
そうすれば竜の身体は装飾品の材料にもなるし、時間は戻って村からは報奨金。
ああ、それがいい。
しかし、ここにいるということは巣穴がある。
元来、竜というのは宝物庫の番人だ。
何かしら金になるものがあるだろう。

「100ポンド」
「え」
「金を払うなら助けてやろう。100ポンドだ」

口角をわざとらしく吊り上げて、男に向かって提案をする。
あくまでこれは提案だ。
男が要求をのめばラッキーだし、受け入れないならそのまま死んでもらえばいい。
どちらに転んでも俺に損はない。
巣だって後から探せばいい。

「わ、わかった!なんとかするから!お願い!」
「口約束じゃあ僕は動かないんだ」
「ああもう…!じゃあ僕の鱗とかお金に換金できるの全部あげるから!!」
「竜の鱗…一枚5シリングか…」

握ったままの手を振りほどいて、腕を組む。
これで言質は取った。
後は巣あたりを聞き出して、一思いに殺してしまおう。
後ろから急所を突けばさすがに死ぬだろうしな。

「えっ?!今そんなに安いの?!昔は一枚20ポンドぐらいだったのに……!時の流れって残酷だ……!」
「自覚がなかったとはとはいえ、その残酷な時間の流れに取り残された女たちはどうしただろうなぁ?百年ってのは、なかなかに面倒な誤差だ。しかも、ダンスをするなら若い女。一人で誰もいない時代に取り残された彼女らの行く末はバーの踊り子か?ベッドじゃないだけましだろうけどな」

嫌味を混ぜて言えば、ようやく事態の深刻さを理解したのか、顔が曇る。
能天気な顔がやっと好ましい顔になって、気分がよくなる。
人の嫌悪や苦悩、憎悪は好ましい。
人間的で、あまりに人間的な感情だと思えるからだ。

「……本当に、悪い事をしたな…」
「というか、お前。竜の鱗程度を5枚で人に頼みを聞いてもらう気だったのか殺すぞ。爪と目玉の方が高く売れるんだからな」
「ひぃ…怖い…人間ってどうしてどんどん凶暴性を増していくんだ…!ダンスはこんなに楽しいのに…」
「………なんだその手は…………」

ため息を吐きながら何をするのかと思うと、再び男はお手の手を握り始めた。
身体を引いて逃げようとするが、掴まれた手から逃げられない。
恭しく取った手は軽いはずなのに、腰に回された手が引き寄せてくる。
何する気だこいつ、時折何を考えているか読めない男を見上げる。

「えっダンスしないの?僕、今夜は踊る気分だし……それに、ほら。君とならワルツを踊るのに身長差がぴったりだよ」

百歩譲って踊るのはいい。
嫌だけども、百歩を百年分譲って、いいとする。
この体勢では俺が女役をするということか。
抵抗したところで目の前のヒトの姿をした人外が危害を加えてくるようには見えないが、機嫌を損ねられては面倒だ。
仕方がなく、本当に仕方がなく付き合ってやることにした。
電気が普及するのと同時に時代は移り変わって、少しずつワルツを踊るような機会は減っていた。
男は古典的なイギリスの作法をするから、懐かしさに惹かれた。
レディーをエスコートして、気取ったご婦人に媚を売っていた。
あの十九世紀イギリスの懐かしい匂いだ。

「ワルツ?楽隊もいないのに?」

それでも、流されるのだけは御免だ。
皮肉を言ってやれば、どうやら俺の性格を理解したらしい男は、楽しげに笑いながら言う。

「歌おうか?一曲しか知らないけど」
「僕が断るとは微塵も考えないんだな」
「手を叩き落とされなかったからね。嫌かい?」
「……ま、いいか…どうせ誰も見てやしないんだ。俺を女役にさせるなんて光栄、きっと一生に一度だぜ?」
「それは、随分なラッキーだ」

最初のリズムを合図に、体を引かれた。
それに合わせて足を踏み出せば、自然にリズムが生まれる。
女のステップなどできないが、相手に合わせれば自然にできる。
ようするに足を踏みさえしなければいい。

「うまいね。君、本当に男なのかい?」
「それは嫌味か?それとも侮蔑か?」
「ジョークだよ!ああ、僕には上品なエスプリは難しいね…ああ、でもいいね…とっても楽しい。こんなに気軽にできるワルツは久しぶりだ」

顔を寄せて笑う男からは、嘘は感じなかった。
どこまでも正直で、馬鹿みたいに紳士的で、甘ったれたお坊ちゃんの顔。
しかし、幼い顔つきなのに体はたくましく、腹が立つことに腕の太さに足も胴回りも奴の方が勝っている。
まるで俺が小柄なようだが、決してそうではないのに。

「ねえ、君ってもしかして人間じゃないのかい?」
「触ってわかるのか」
「うーん、はっきりとはわからないけどね。ダンスしてくれた女の子たちとなんだか違うなって」
「ふぅん…まあ、ご明察。俺は刺されたって死なない」

内側に蓄積される時間の違いか、それとも魔力を感じ取ったのか。
男は簡単に察してきた。
それにしても、この男はもしかするとデリカシーがかけているんじゃないだろう。
あまりにも脈絡がなく触れてくるから、レディーには嫌われそうだな。

「へえ!凄い!じゃあ、もしかして年齢も3ケタぐらいいってるの?」
「さあね。覚えてないな。…とりあえずお前、鱗寄越せよ。前払いだ」

ダンスは終いだ、男の肩を押す。
素直に体を離したが、物足りなさそうな顔をした。
このままだと朝まで踊らされてもおかしくない。
それに、一晩経ってしまったら百年が過ぎてしまう。

「1枚?」
「10枚」
「鱗って取るの痛いんだよ?!あ、剥がれたのでいいなら寝床にある!」
「巣は?」
「あそこの洞穴」

なんの躊躇いもない返答に、聞けばすべてを教えてしまいそうだな、と内心呆れる。
子供でもこんなに素直に家を教えるものだろうか。
知らない人に家は教えてはいけないって教わらなかったんだろうか。
とはいえ、俺にとっては好都合だ。
触れた腕や背中の筋肉が、多少のナイフでは内臓まで到達しないのを雄弁に語っていたので別の方法を考える。
尤もらしく語れば、この男は何でも信じるだろう。
正直さは時に愚鈍になることをきっと、この男は知らない。

「よし、なら金目のものは全部もらうとして。お前がとるべき行動を教えてやろう」
「えっ、いつのまにか有り金全部になってる」
「知りたくないなら構わんが?」
「お、教えてください…!」

どんなつらい事でも耐えて見せる、と言わなくても顔に書いてある。
まったくもって馬鹿正直で扱いやすい。

「この土地を離れろ」
「うん」
「それだけだ」
「えっ」
次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ