本棚4

□鳴かぬなら
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「お師さん、あの花はなんという花ですか?」

山の中腹、茂みの中ででぽつりと咲いている白地に紫の模様の入った、見たことのない花に目を奪われた。
春に庭先で咲く花のように、丸い花びらをしているわけでもない。
だからといって、百合や水仙のようでもなかった。
緑色をしていないから花びらだと思ったけれど、本当に花びらなのかはよくわからない。
ただ、うっそうとした緑の中に、ぽつりと咲いている白紫が気になった。
足を止めたお師さんは、しばらく考え込む顔をして、ああと小さくため息をつくように笑った。

「サウザー、あれはホトトギスだ」
「え?違います。私が聞いているのは鳥ではありません。あそこの白と紫の色をした花です」

ホトトギスは私も知っていた。
あれは鳥の名前だ。
春になると独特の声で鳴く、姿は見えずとも春を告げる鳥の名前。

「そうだ。その花がホトトギスという花なんだ」
「ホトトギスという名前なのですか!」
「見てみよう。いい勉強だ」

お師さんは背中に背負った背負子を持ち直すと、けもの道を踏み鳴らして林の中に分け入る。
季節はすっかり秋だから、夏頃のような草木の勢いはないけれど、それでもなかなか進むのは大変だ。
お師さんは少しずつ踏み鳴らして後ろを歩くだけでいいようにしてくれる。
優しい、だからお師さんの期待に応えたいし、認められたい。
この人に認めてもらえるのなら、どんな苦しい事でも耐えられると思っている。
日陰の中に埋もれるようにして咲いているそれは、近くで見るとより一層花というよりはもっと違う何かに見えた。
紫色の斑模様がちょっとだけ怖い。

「ほら、ご覧サウザー」

少し遠巻きに見ていた私をお師さんは優しく背中を押してくれる。
一緒にしゃがみ込んだお師さんが、花の斑模様を指さす。

「この模様だ。これがホトトギスの模様と同じに見えるから、この花はホトトギスというのだ」
「へえ…この模様が、ホトトギスにもあるのですね」
「そうか、サウザーはまだ鳥も見たことがなかったか」
「はい。声は聞こえるのですが、いまだに姿を見たことがありません」
「ならば春になったら探しに行こう。弁当も持っていこう」
「よろしいのですか!」

思いがけない遠出の予定に、自然に胸が高鳴る。
生活の中で必要物資の調達に出かける事はあるが、それは必要な稽古に似ている。
しなくてはいけない事、こなさなければいけない事。
弁当を持って探しに行くなんて、それはしなければいけない事ではないように思えた。

「せっかくの春だ。休息を取ることも必要だろう」

たっぷりとした髭を蓄えた口元をほころばせて、頭を撫でてくれるお師さんが大好きだ。
永遠に、この時間が続けばいいのに。
ふっつりと記憶が途切れる。
幸福であった時間の後は、いつでも空虚さが胸を締めるのだ。
目を開ければ、幼い頃に師と過ごした家の板天井ではないのだ。

「…?」

眠りから目覚めると、見慣れない天井ではあったのだが、自室の天井と違っていて疑問が浮かぶ。
おかしい、俺の部屋は確か黒塗りの天井であったとおもったのだが。
どうして今目の前に見えるのは、白塗りの天井なのだろうか。

「起きたか、サウザー」
「……シュウ…?」

隣からかけられた声に視線をずらすと、シュウの姿がある。
すっかりふさがった目元に笑みを浮かべながら、ベッドの端に座ってこちらを見ていた。
状況が思い出せず、疑問ばかりが浮かぶ。
自室ではない場所でシュウが居るということは、ここはシュウの部屋だ。
南斗の各人に割り当てられる部屋。
どうしてここで寝ているのだろうか。
その疑問も、名前を呼んだ声がみっともなく掠れていて、腰に鈍痛があることで察しがついた。
昨夜、シュウと致していたのだ、シュウの部屋で。

「ああ、酷い声だ……水、飲むか?」
「……貴様、いつから起きていた…」
「三十分ほど前だ。まだ日の出の時刻には至ってない」

返事にならない返事をすると、肯定と受け取ったのか水差しに手を伸ばすとコップに注いで差し出した。
上体を起こしてから受け取って一口飲むと、少しだけ喉の不快感が消えた気がした。
そんなに声を出すような事はしていないはずなのに、終わりになればなるほど記憶は途切れて曖昧になっていく。
今更、生娘のように恥じらう気はないが、それでも決まりが悪かった。
何より目を覚ますまでシュウの存在に気付かなかったことが追い打ちをかけた。
平和ボケしている気がする。
いつ寝首をかかれてもおかしくないというのに。
鈍痛と喉の痛み、加えて夢見の悪さに舌打ちをしたくなった。

「…機嫌が悪そうだな。夢見でも悪かったか?」
「シュウ、お前の察しの良さは暴力だ」
「当たりか。別に聞き出そうというわけではない」

乱暴に聞き出そうとしてくれれば、そのまま手荒に煙に巻くことが出来たのに。
そうやって身を引かれてしまっては、まるでこちらが駄々をこねたようだ。
いつまで経っても子供扱いをしてくるのは、出会った年が幼かったからかもしれない。
山籠もりをしているような生活だったので、近くに年の近いものもいなかった。
お師さんが同じ南斗で年が近いからと連れてきたシュウを兄のように慕ってしまったのも仕方ない。
今だって、自然に頭を撫でるシュウの手を払えない。
お師さんと同じように頭を撫でるその仕草に、腹立たしい事に何もできなくなる。
せめてもの抵抗で口だけは開いてみる。

「…ガキ扱いは止めろ」
「すまん、ついな」
「子供が出来て貴様も随分と丸くなったものだなぁ…シュウ」
「……その話を今するのか」
「ああ、勿論。だがな、シュウ。貴様を手放してやる気はないぞ」

緩慢に動いていた手が止まる。
腕を掴んで引き寄せれば、おとなしく顔を寄せた。
強引にすればおとなしく従う、年上だというのにそういう所が俺を満足させる。
身体を許してやるのも、何もかも、お前だからだ。
特別であるから許してやっているのだ。
他の誰かでは駄目だ。
光を灯さない目に視線を強く注ぎ込んでやる。
視線は合わなくとも見られているのはシュウも感じるからか、目が合っているような錯覚があった。

「永遠にお前は俺のものだ、シュウ」

反論は許さないから、そのまま口を塞いでやった。
拒絶をしたところで意味はないが、それでも聞きたくないと思ったのは、夢見が悪いせいだ。
どこにも行かせるものか。
所有物を失ってなるものか。





鳴かぬなら






殺してしまえ、ホトトギス。
愛などいらぬと言いながらやっぱり人一倍愛情に飢えている子だと思うのです。
9月12日の誕生花
ホトトギス(杜鵑)
花言葉:永遠にあなたのもの

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