本棚4

□太陽の意思
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後になって知ったのだけど、この日はその年で一番の猛暑日だった。

「フッ…ッ……ハッ……ハッ…」

登り終えた階段の上で息を整えて、ゆっくり呼吸を整えながら境内を歩く。
日々の日課にしている10キロのマラソンを終えてきた所だった。
常ならば、龍神翔悟の家へ赴きドラゴンの無事を確認してからついでにシャワーを借りて、時間があれば手合わせをする。
しかし、夏場はどうにも予定通りに行かない。
朝のランニングは日本特有の肌にまとわりつく暑さが気になって身にならない。
また、日に日に増す日差しは容赦なく体力を奪って、無理をすることもできない。
だからと言って休むわけにはいかないから、起きる時間を早めた。
太陽が上がる三十分前ならば涼しく、快適に走る事が出来ることに気付いたからだ。
また、早い時間なほど人通りはすくなく車やバイクなどもない。
一人で黙々とトレーニングをするのは最適だった。
しかしそうすると、龍神翔悟の家へ行くには三十分も早くなってしまう。
あまり早朝に家を訪ねるのも不躾なように思えて、ここ数日は滞在しているホテルに戻ってシャワーを浴びてから改めて訪ねている。
今日もそのつもりだったのだが、いつもと違うコースを走ったら10キロに差し掛かる場所に神社があった。
翔悟の家の神社は階段を上った先にあって、ここを登るのも鍛えるにはいいかもしれないと思って登り始めた。
家にいかなればいいかと思って、飛び跳ねる様に登っていくとマラソンよりも早く息が切れた。
ここを登るのもコースの一つにするのも悪くない。
やっと呼吸が整った頃には、遠くに茜色の朝日が見えた。
東側に高い山がないのか、神社の境内からは太陽が昇ってくるがよく見えた。
今日もまた朝が始まって、陽は天辺にかかり、山の端に沈んでいく。

「…はぁ……」

何事もなく日々が終わればいいのに、何かが起こればいいのにと思う。
地球の滅亡を望むわけではないけれど、僕は早く敵がくればいいのにと願う。
早く、早くこい。
そうして僕に倒されろ。
そして、僕をもっと褒めてくれ。

「ッ……違う、僕は…僕はそんな事の為に、戦うんじゃない」

みっともない自己顕示欲に加えて強い承認欲求を自覚すると、ぎゅっと眉間に皺が寄るのがわかった。
頭までかぶっていた薄手のパーカーを払って、風通りのよくなった首を振る。
風が強いのか髪が揺れて頬を撫でる。
でも生温かい風だ。
これだから日本は嫌だな、湿っぽくてまるでずっとひと肌に触れているようだ。
景色の遠くは青くくすんでいて、まるで廃墟のような色だ。
嫌だな、湿っぽい。
いつのも僕らしくない事を考えている。

「あれ?」

眼下に広がる景色を見つめていると、後ろから声がした。
その声の響きを間違える事はない。
僕が最も特別だと思っている男の声だから。

「……翔悟……?」
「おはよー、ギルバート早いな」
「おはようございます……珍しいですね」
「ん?」
「その服です」

指さした先にいる翔悟は、灰緑色の甚平をきていた。
いつもパーカーを着ていて、自分でもパーカー愛好者だなんて冗談交じりに言ってた翔悟にしてはとても珍しい姿だった。
その驚きは、ルークさんの夏服を見た時の感覚に近かった。
チャイナ服の時みたいに目を丸くするほど驚くような事は無いけれど。

「ああー、あちーからさ。寝巻のまんま」
「寝巻って…パジャマのままで歩くのはどうかと思います」
「いいじゃん。自分ちみたいなもんなんだしさー」

ああ、なんてのんきなんだろう。
本当にこの男に地球の命運がかかっているのだろうか。
馬鹿みたいな顔で欠伸をする男の双肩に、この地球の全てが乗っているなんて、どうすれば理解できるだろう。
僕ならばよかったのに。
僕がドラゴンの適合者になれば。
そうしたら、僕は彼と出会わなかった。

「汗すげーな、平気か?ギルバート」

手が伸びたかと思うと、翔悟に前髪を避けられた。
汗で額に張り付いていたようで、ひと房離れる様な感触が合った。
僅かに触れた翔悟の指先が熱くて、触れられた所も熱い。

「…っ……」
「ん?あっ…いや、だったか?ごめん、別に子供扱いとかじゃなくてさ…」
「ちっ、違います!そうじゃ、なくて…………あなたの触れた場所が、熱くて…」
「え、っと…」

僕等は一応、キスもハグもしている間柄だと言うのにもどかしい気持ちになる。
日本ではあまり認められた関係ではないのだろうけど、今は誰もいないのだ。
少しぐらい、してもいいんじゃないか。
アメリカにいたら出会う事がなかったあなたと、僕はキスがしたいと思っているんですよ。
この僕が、したいって思ってしまっているんですよ。
いつも鈍感ですけど、こんなときぐらいは気付いてくださいよ。

「…え…と……っ…」

逃げようとした手を掴む。
逃がすわけない。
今を逃したらいけない。
じっと翔悟を見上げると、夏の暑さだけじゃないんだろう。
赤くした顔で視線をうろうろさせている。
きっと、顔の赤さは僕も同じだろう。
観念したように小さく息を吐いて、翔悟が顔を寄せる。
パーソナルスペースに入ったのと同時に、目を閉じて顔を上げる。
悔しい、翔悟とキスをするのに顔をあげなきゃいけないなんて。
将来的には僕が大きくなって翔悟の顔をすくいあげてキスをしてあげるんです。
それは絶対ですからね。
近くなる体温の気配に、ああもう触れると思った。
のに、熱く触れたのはひたいだった。
ちゅっと軽やかな音をしてされたキスは可愛らしい子供の様なキスで、挨拶の延長線のようなものでしかなかった。

「…ッ、翔悟…!」
「おっ…怒るなよ!!日本人にはハードル高すぎるんだって…っ…口にするのなんか…まだ恥ずかしいしさぁ…」

胸ぐらを掴んでやろうかと思ったけれど、あんまりにも顔を赤くしているからそんな気も失せてしまった。
日本人は奥手だって話は聞いたことが合ったけど、これほどとは思っていなかった。
これは時間がかかりそうだ。
けど、いつも年上ぶった顔で見る翔悟がうろたえる姿は、悪くない。
むしろ優越感を感じる。

「……まあ、いいですよ。あなたのうろたえた可愛い顔が見れたので、よしとしますよ」
「か、かわいいってなんだよ…!」
「かわいいじゃないですか、挨拶のキスで顔真っ赤にするなんて。初なんですね、翔悟」
「ぎるばぁーとぉ……っ…」

もう勘弁してくれと言いたそうな顔で顔を反らす翔悟に手を伸ばす。
やっぱり胸倉を掴んで、思い切り引き寄せた。

「なっ、…んっ!」

歯がぶつかりそうになったけど、翔悟が動きを止めたのを見計らって唇にキスをした。
僕が望んだ熱の感触にうっとりと眼を閉じる。
そうですよ、これが欲しかったんです。
触れるだけのキスだけど、満たされる感覚が合った。
もう太陽がすっかり姿を現して熱い日差しを降り注いでいる。

「ぎ、る…ギルバート…」
「それじゃあ、僕はシャワーを浴びてきます。一度ホテルに戻って着替えてからまた尋ねますね」
「え、うん……」
「顔、洗ってきた方がいいですよ。そんな、何かあったみたいな顔、誰かに見られたら大変です」

からかいを含んでそう言えば、さらに翔悟は顔を赤くした。
まだ赤くなれるなんて器用だな。
声をかけられる前に走りだす。
頬に触れる風がひんやりとしているのは、僕の頬が熱くなっているからじゃない。
きっと夜の名残があるだけだ。
きっとそうだ。
知らないでいいんです。
神社の境内で、貴方の面影を探したなんて。
あなたは一生知らないままで、いいんです。



8月5日の誕生石
サンストーン・キャッツアイ
宝石言葉は「情熱」、「勇気」、「意欲」、「自立」。
別名「太陽の石」

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