本棚4

□或る一つの運命について
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深夜、バルコニーにテーブルを出した。
その上にタロットカードを広げる。
今日は満月で、灯りもいらないほどの月明かりだ。
タロットを広げてはめくり静思、また広げてはめくり結果を静思することを繰り返していた。
何度目かの占いの時だった。
一際強い風が吹き、タロットが全て吹き飛ばされる。
残ったのは手に持っていた一枚だけ。
手元に残ったカードを見て、小さく溜息を吐いた。

「はぁ…やっぱりお主であるか」
「予見して頂いて光栄ですよ、ドラメッドV世」

目線をカードから、机を挟んだ先にいる人物へと向ける。
黒のシルクハット、燕尾服に外套は長く風を受けてはためく。
顔には目元を隠す仮面があり唯一見えている口元には笑みが浮かんでいる。
極めつけは烏を思い起こさせる濡れ羽色の髪と猫の耳に整えられた髭。
我輩は椅子から立ち上がり、軽く呪文に見せかけたパスワードを唱えて散らばったカードを回収する。
全く仰々しい登場が好きな男だ。
カードの束を置いて溜息。

「本当にお主は飽きないであるな」
「貴方には負けますがね」
「…何がである」
「毎月、私が来る満月の夜には必ずバルコニーにいるでしょう?」

仮面を着けた顔からははっきりと表情は伺えないが、先ほどよりめ笑みを濃くした口元が全てを語っている。
全く、これだからフランス産は厄介だ。

「偶々である」
「ほぅ、偶々?」
「そうである。偶然満月の日は寝付きが悪いだけである」
「貴方がそういうなら、そうなのでしょうね」

まるで自分に言い聞かせるようだ。
言い訳めいているのは自分が一番わかっているが、ドラパンの言う通りになるのは癪に触る。
再び椅子に腰掛けて目の前の椅子を指差す。

「座れば良いである」
「いいのか?」
「駄目と言っても座るのであろう?」
「その通りですがね」

おどけた仕草をした男は、やっと銀の仮面を外す。
端正な面立ちは白く、夜の闇と真っ黒な服や髪が交じりあい、ぽっかり顔だけ浮かんでるようだ。
小さく合図を鳴らして四次元からお茶のセットを取り出す。

「ああ、なるほど。確かにそれなら魔法と言っても通じますね。ランプの精なのでしょう?」
「合図で出るプログラムであるがな」

男の前にティーカップを置いて紅茶を注ぐ。
暖かな湯気が砂漠の空気に溶ける。
月明かりは一挙一動を克明に照らしだして、よく見えた。

「そういえば、さっきのカードは何を?」
「……お主、話に脈絡が無さ過ぎるである」
「貴方の事が知りたいからですよ」

目の前でキラキラ光る紫の瞳はからかうようにも見え、それでいて真面目なようにも見えた。
白い手袋の手をテーブルの上で組んだまま、そいつは我輩の返事を待っている。

「はぁ…」

溜息を吐く。
いつもそうである。
いつもいつも、奴の会話のペースに巻き込まれて主導権を握られ、最後に折れるのは我輩だ。
しかし、毎月毎月根掘り葉掘り、よくぞ飽きないものだ。
まだ我輩の何が知りたいというのだ。

「ハングマン、である」
「吊られた男。それで何がわかりました?」
「お主が来るのがわかったである」
「ほぅそれはまた」
「お主を最初に判別したカードだからな」

手元のカップを持ち上げて、少し温くなった紅茶を流し込む。
温度はいまいちだが、鼻に抜ける香りは抜けていない。

「私が貴方に変装していた時ですね。懐かしい」
「変装というより分身であったがな」
「謂わば、貴方と私を結んだ運命のカード」

ドラパンは空中で手をひらひらさせたかと思うと、ぱちんと指を鳴らす。
ひらめかせた手、指先にはカードが挟まっている。
さっきまで、手には何も持っていなかったはずなのに。あっけに取られる。
よくよくカードを見れば自分のタロットカード。

「ディスティニー、ですね?」
「そのカードは…我輩のか?」
「ええ、貴方のです。お返しします」

カードを受け取り、見ると確かに自分の物だった。
少々の驚きを覚えて男を見る。
だが、男にとってどうということはない。
なにせ、フランスの大怪盗と呼ばれているのだ。

「驚きましたか?」

唇を緩やかに吊り上げて、楽しげに笑いかけられる。

「伊達に怪盗を名乗っていないなと思ったであるよ」
「それはよかった」

軽く笑いながら、男は燕尾服の内側から海中時計を取り出して、素早く時間を確認した。
吾輩は時計を持つ習慣は無いし、何よりこの国に時間の概念は重要ではない。
感覚が物を言う。旧式の螺子巻の懐中時計を閉じる。
小さな音を立て蓋を閉めた。
それを内ポケットにしまわずテーブルの上に置く。伏せた視線を上げて、目を合わせられる。
逸らさないでそのまま、夜色の瞳を見つめる。
逸らす理由がなかった。

「ここで一つ、命題を出しましょうか」
「吾輩はお主の言葉遊びに付き合ってるほど暇ではないのであるが?」
「これが片付いたら今日の所はお暇しますよ」

そう言って紅茶のカップに手を伸ばし、口元に寄せて一口含んだ。
男の仕草は珍しいように見えて、同時に当然のようにも思えて、一つ一つを目で追ってしまった。
紅茶で濡らした唇を控え目に舌でなぞるのを見た瞬間、我に返った。
なにをしてるであるか。
気恥ずかしさを紛らわす為にカップを手に取った。
流し込んだ紅茶は、砂漠の夜風ですっかり冷めていた。
風味も飛んでいる。

「さて。では…無数に散らばる運命について」
「…運命?また、ロマンチストの国は違うであるなぁ」
「茶化さないでくださいよ、ドラメッドV世」

茶化すつもりなどなかったけど、くだらない話を始めたとは思ったのは事実だった。
無言で肩をすくめて見せ、先を促す。

「私と貴方の運命についてですよ」
「さっきの続きであるか?ディスティニーの」
「ええ、この時計の時間が異国でも続くように、造られた時が違うのに今、共にある私と貴方。時間が重なるという運命」
「命題論理は内容に触れないであろう」
「それを言うのなら、命題は真偽をはっきりさせたものですよ」
「最初から演題とでも言えばいいである」「私にとっては、はっきりさせたい命題ですよ」

まるで相手を煙に巻くのを楽しんでいる様な会話で、少々の面倒くささを覚える。
何度目かわからない溜息を長く長く吐き出す。
結局、何を言いたいのか見当がつかない。
まどろっこしいのは好きではない。
男は溜息の意図を拾って、ようやく本題を口にしようという気が起きたようだった。
それに至るまでが長すぎる。

「つまりはですね。私は貴方を愛する運命だったわけですよ」
「はぁー…それだけの為にしては随分と言葉遊びが長すぎるである」
「これぐらい回りくどくなくては、どれだけ真剣か伝わらないでしょう?」

ドラパンの言葉に先程まで飛び交っていたからかう様な雰囲気は無く、それが本気だとわかる。
本気だとわかってしまう分、気恥ずかしさと驚きと、動揺が胸の内でぐるぐると渦を巻く。
いつのも勢いで言う、好きや愛しているではない。
違う表現と言葉でもって伝えられるそれは、告白と言うのが合っている様に思えた。
まるで、生娘になったような気分だ。
そのせいで、つい吾輩らしくない言葉が零れる。
ぽろり、と零れる様は救い上げた砂漠の砂が頂上から崩れ落ちるように思えた。

「…吾輩は、シンプルな方が好きである」
「それは…私を好きだと受け取ってもいいのですか?」
「…………好きにすればいいであーる」

そう、好きにさせればいい、嫌いではないのだ。
満月の夜にだけ愛を囁きに来る黒い夜を背負った怪盗が、吾輩は嫌いではないのだ。
少なくとも、この男に触れられるのが嫌ではないほどに。
テーブル越しに伸ばされた手に、顎を捕えられる。
腰を上げた男は、顔を間近に寄せて溶けるような声を出す。
そんな声を出すな、顔を見れなくなる。
戻れなくなってしまう。

「では、貴方が望む様に。……愛しておりますよ、ドラメッド」

がら、がら、音を立てて崩れていくのはなんと簡単な事なのだろうか。
友情であると、何度も思い続けたというのにこんなにあっさりと。
顔を傾けてさらに顔を寄せてきて、そのまま唇に触れられた。
逃げなかった。
暖かな体温に身を任せるように目を閉じると、唇に触れる体温をさらにはっきりと感じた。
吾輩よりも少し体温の低い唇は、冷たいようにも思えた。
離れたと同時に眼を開くと、深い夜を閉じ込めた目と目が合った。

「お返事は頂けますか?」

ここまでしておいて、まだ聞くのか。
これ以上吾輩の、何を知りたいと言うのだ。
暴き立てられてもう何もないというぐらい、さらけ出しているのに。
崩れ落ちた瓦礫の中、残った自尊心が吠える。

「…キスを許すほどに、嫌いではない」
「なるほど、なかなか素直じゃない」
「用事はすんだであろう?さっさと国に帰るである」
「わかりましたよ。今宵はここまでにしておきます。では、また次の満月の夜に」

もう一度唇にキスを落とされ、軽々しく触れた唇の体温だけが長く皮膚に残る。
拭ってしまえば消える程度のぬくもりなのに、何故か手が動かなかった。
仮面をつけ、帽子を被るとそのまま立ち上がる。
体内時計は夜中を三時間過ぎた頃だが、男が持つ時計とはずれている。
それだけ、フランスとサウジアラビアでは時差がある。
昼間に何をしているかはわからないが、生活をしているのだからなにかしらの仕事をしているのだろう。
それまでに戻る事を考えれば、そう長いもできない。
こんなに短いのなら、いっそ来ない方がいいのに。

「それでは。さようなら、私の愛しい貴方」

恭しくお時儀をじて頭を上げようとした瞬間、ドラパンがやって来た時の同じように強く風が吹く。
砂漠の砂を巻き上げる様な風に眼を瞑る。
風がおさまったのを感じてから目を開けると、さっきまで目の前にいたはずの暗闇が消え失せている。
それこそ幻の様に跡形も無かった。

「…ドラパン」

ついに一度も本人の前では呼ばなかった名前は、ひっそりと空気に溶ける。
誰にも聞かれる事もなかった音は、夜に沈んでいく。
空を見上げるとまだ満月が煌々と光っていて、夜はまだ明けそうもない。
次に好きだと言われたら、吾輩は逃げる事ができだろうか。
ぼんやりとそんな事を考えるが、答えはやはり出せなかった。
どうか次に夜がやってくるまでは、運命から目を反らしていたいのだ。
吾輩は、まだ生温かい友情を手放すのが惜しくて仕方ないのだから。




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