本棚4

□紅色のくちづけ
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本を丁寧に捲る指先が、綺麗だと思う。
ナルセスさんと同室の宿になった時、僕はナルセスさんが本を読んでいる姿を眺めるのが好きだったりする。
ベッドに横になって、暖炉の前の椅子に座って黙々と本に視線を落とすナルセスさんは、綺麗だ。
こんなことを本人や他人に言ったら、何を言っているんだ具合が悪いんじゃないかと詰め寄られてしまいそうだ。
想像したらなんだか面白くて、笑いがこみ上げる。
一人で笑ってるなんて胡散臭い顔で見られるかなと思ったけど、僕に構うことなく視線はそのまま本から逸らされることはなかった。
それに残念だなって思う気持ちと、やっぱりなって思う気持ちが半分ずつある。
僕とナルセスさんは、世間一般的な言葉で言うのならきっと恋人の様な関係に近いのだと思う。
仲間であって、先輩であって、愛しい想い人。
だから、二人きりで過ごすことが出来る時は出来たら隣に座れたらいいと思うし、もしナルセスさんが許すのなら後ろから抱き締めさせて欲しい。
本を読んでいる間、邪魔は絶対にしないから。
もしもはきっと許されないから、淡い夢なんだけど、隣に座るのぐらいは許されて欲しい。
今日の宿は長椅子が無いから無理だけど。
うつ伏せになって、頬杖をつくようにしてナルセスさんの様子を見続ける。
自分でも不思議なのだが、何故か飽きなかった。
暖炉の火に照らされた檸檬色にも見える明るい金髪は、オレンジ色が混じって蜂蜜みたいに見えた。
自分のくるくるとあちこちに跳ねる髪と違って、すとんと流れ落ちる髪の上をちらちらと光が踊る。
炎よりも真っ赤な瞳が、じっと本の上を滑っていき、時々睫毛が動く。
目を伏せるようにしているからなのか、横から見ていると凄く睫毛が長く見えた。
ぱし、ぱし、と瞬きをする音がはっきりと聴こえてしまいそう。
本の端から端まで目線を動かすと、また指が左側のページを掴んで捲る。
少し伸びた細長い爪の指先が、しばらくページをめくったままの形で止まって、ほどよく読み進めた辺りで本と一緒になって抱えられる。
このまま、ナルセスさんが読み終わるまでずっと見ていてもいいと思う。
何度も何度も、瞬きをしながらページをめくって、手元が動く以外の変化は一切なく時間は流れるだろう。
それだけならば眠るなり、ツールの手入れをするなりすればいいのだろうけど、ナルセスさんを見ている方がずっと有意義に思える。
言ったらきっとナルセスさんには馬鹿にされてしまうのだろうけど。
ほんの少しだけ、声をかけてみようか。
一瞬だけでもいい、こっちを向いてくれたら。
そしたら凄く幸せになれる。
向いてくれなくても、ナルセスさんらしいから、やっぱりどっちでもいいのかな。
息を吸い込んで、ほんのすこしだけ名前を呼ぼうとする。
呼吸をしただけでも、本を捲る音と薪がはぜる音がするだけの部屋には大きく響いた。

「………」

急に怖気づいてしまって、口を噤む。
呼んでこっちを見てくれなくてもいいと思ったけど、それは自分を納得させるための言い訳だ。
もしも呼んで、返事をしてくれなくて、こっちを見てくれなかった時の予防線。
こんなに僕は卑怯な事をする人物だったのかな。
知らなかった。
ナルセスさんと出会ってからだ、僕の知らなかった部分をたくさん見つけた。
白い指先に縋りついて欲しい。
金色の髪をぐしゃぐしゃにして、そこから覘く耳も、頬も、真っ赤にしたい。
内側の内側にまでもぐりこんで、内臓から食べてしまいたい。
炎の色をしているのに冷たさを感じる視線に晒されて、射抜かれたい。
今だって僕をじっと見下ろしてくる、この瞳に。

「………あれ?」

ぱち、ぱち、緩慢に瞬きをする。
ベッドサイドに立って僕を見下ろすのは、さっきまで確かに暖炉の前で本を読んでいたナルセスさんだ。
一瞬、ナルセスさんを見つめたまま眠ってしまって、夢かとおもった。
けれど落ちてきた溜息は、紛れもなく現実だった。

「寝ぼけているのか、ウィル」
「…ナルセスさん…?あれ、なんで…さっきまで、本…」
「あんなに五月蠅い視線の中で読んでられるほど、神経太くないんだよ」

静かにしていたはずなのに、と言おうとしたのは読まれていたのか先回りの言葉で抑え込まれてしまった。
身を起こすと、ふいに頭上に近くなった気配を感じて顔を上げる。

「ナルセす、さ……!」

ちゅぅ、ネズミが鳴くような微かな音。
かさついているけど、柔らかい唇が触れた音だ。
すぐに離れてしまうと思ったくちづけは、またすぐに触れられて、そのまま奥まで絡められた。
舌が触れる感触に、乱暴に後ろから殴られた様な衝撃を感じた。
たまらなくなって舌を絡ませて応えれば、仕掛けてきたのはナルセスさんなのに怯えたように逃げた。
両手で頬を掴んで、舌を押し返して自分から内側をかき乱しに行く。
触れた指先から、頬が熱くなっていくのを強く感じた。

「……はっ、…うぃ、る…」
「っ、…どうしたんです、急に…嬉しいですけど…」
「…お前、したいんだろ?」
「え…」
「そういうアニマが、駄々漏れなんだよ」

私に隠し事が出来ると思うなよ、と言って唾液で濡れた唇で艶やかに笑って見せるナルセスさんから、目が離せない。
真っ赤な目に淫靡な色を湛えて、腫れたように血の赤を透かした唇の奥から、これもまた真っ赤な舌をちらつかせて誘うナルセスさんは、まるで林檎のようだ。
何から何まで僕を誘う、真っ赤な果実。
僕は唆されて、林檎にかじりつき、きっと芯まで食べ尽くしてしまう。
それを林檎も望んでいるから。






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