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□神様の投身自殺
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「未来は、神様のレシピで決まるんです」






びしょびしょというには幾分も雨粒は小さくて音もない、それよりもずっとしとしとという方が今の雨脚にはあっている。
ぼたぼたと夕立のようには降っていない、かといって濡れないほど弱くはない。
長雨を体現して梅雨入り三日目の早朝だった。
朝っぱらからピロピロと喧しい音をたてて岩西が俺を呼ぶ。
枕元にコードを引っ張って充電してある黄色くて四角いバイブ音を響かせるそれを掴んで、緩慢にぱかりと開いて電源ボタンを押してやろうとしながら結局通話ボタンを押して耳元へ。
ぼさぼさと視界を遮る髪を撫でつけながら開口一番に罵る。
相手が誰かわからないなんてことはない、この携帯に電話をかけてくるのは岩西しかいないから。
だから、鳴ったら全部、相手は岩西。

「非常識か、早朝だぞ」
『非常識かはこっちの台詞だ。十時なんてもうどこもとっくに仕事は始まってんだよ』

相変わらずの小馬鹿にした口調に朝からむかつく。
だから、おれは岩西が嫌いだ。

「俺達の仕事は夜が基本だろうが」
『夜じゃなくても仕事出来る奴はいる。あぁそうか、お前は闇打ちしかできないもんなぁ?蝉』
「ぶっ殺す」
『殺し屋に言われると身も竦む思いだ。それはさておき、お前しばらく休みな』
「…は?」

突然の電話にあらん限りの罵詈雑言をまくしたててやろうと思ったのだけど、それより先に言われた岩西の言葉に動きが止まる。
なんて言った。
休みだって。

「はぁ?!なんだそれ!!」
『うるせぇなぁ、ジャッククリスピン曰く。雨の日は引きこもれ、って言うだろうが』
「ジャッククリスピンを知らない俺でもそれは違うとわかる!!」
『とにかく休みだ。で、俺から電話があったら休みは終わり、じゃあな。達者でやれよ』
「はぁぁ?!てめぇ、この岩西何言ってやがる!!!」

やっぱりあらん限りの罵詈雑言をぶつけてやろうとしたのに、無機物の奥からはツー、ツーとこれまた無機質な電子音がして思わずこのまま力いっぱい携帯電話を握り潰してやろうかと思ったけれど、連絡がつかないと家まで岩西が来ることになるからやめた。
あの野郎、俺の話なんかお構いなしに電話切りやがった。
こういうのって労働なんとか法とかに触れるんじゃないかと思ったけれど、俺は頭が悪いから止めた。
そんな事を言ってみても岩西に言い負かされる事は目に見えている。
ムカムカと腹立たしくて仕方ない。
岩西にはいつだって口も頭も回らなくて、唯一勝てるのは人殺しのやり方だけ。
岩西を殺してしまっては、また俺はただの仕事の出来ない人殺しでしかない、それもやっぱり腹立たしい。
深く肺の奥、腹も膨らませるように深呼吸をして、携帯をベッドに放り投げ、岩西のことを考えるのを止めた。
せっかくの休みに何もわざわざどうして、岩西の事で腹を立てなければいけないんだ。
無駄過ぎる。
意味わかんねぇよ。
最近妙に多かった依頼のせいで、よく考えれば久しぶりにはっきりと言い渡された休みだ。
外はあいにくの雨だし、せっかくなのでアサリ味噌汁を作ろう。
呼吸を確認しよう。
けど、急に視界を横切ったのは、黒々とした貝の隙間から洩れでる泡ではなくて、兎のような赤い目とカラスのような黒髪だった。
はっきりと浮かんでしまったけれど恐らくそれは気のせいだ。
そんなものは浮かんで来なかった、錯覚だ。
何度も何度も言い聞かせるようにしても、浮かんだそれらは逆に膨れ上がって存在感を増して行く。
頭を振ったところで消えて無くならないので、仕方なく俺が折れることにした。
貴重な休日を安藤に為に使ってやるのも悪くないと思っている自分がいることに、何より自分が驚いた。
ほらみろ岩西、俺にも一応思いやりがあるぞ。


****


安藤の家と通っている学校は知っていたので、そこら辺をうろついていれば会えるだろうという適当な目論見だったがそれは成功した。
しかも、学校は半日のみという事だったので本当にタイミングがよかった。
そうだった、学校に通っていると言う事は昼間は会えないんだった。
だから、一番最初に殺しにきたのも夜だったんだ。
寝ぼけた頭ではただでさえ良くない頭が余計に悪くなるから嫌だ、イラつく。
そして台詞は冒頭に戻る。
神様のレシピって、なんだ。

「はぁ?」
「未来は神様のレシピで決まるって、蝉さんはどう思いますか?」

俺の斜め右下にある安藤の顔を見ると、顔の全体に不安そうな色を張り付かせていた。
こいつがこんなに不安に思うのは、あいつが原因だ。
というか、きっと安藤の最近の不安要素はあいつに関連することしかないんだろう。

「…犬養か」
「えっ…まぁ…」

意図せずに不機嫌になってしまった俺の声に、安藤は気まずそうに押し黙った。
俺が何も言わずにいると、安藤はますます目を合わせないように下を向いてしまった。
きっと、俺が怒ったと思っているんだろう。
こいつのいい所は気を使える所だが、逆にそれはやっかいな部分だ。
視線を前へ向けて、切り出す。

「俺は、神様なんて信じてない」
「え…?」
「神様が全部知っていて決めているなんて、そんなわけねえだろ。俺は、俺の意思で知って、俺の意志で動いて、決める。俺は、誰かの命令じゃなくて、俺の意思で選ぶんだ。だから、神様のレシピなんて、くだらない」

そう言い切って、安藤の顔を見ると、安心したような顔をしていた。
それでも、まだ完全に拭えないのか、また不安そうに眉を寄せた。
面倒だと思う反面、何故かイライラした。

「でも、蝉さんがそう言っても神様がいない証明になりませんよね」
「だったら、俺が神様なんて殺してやるよ」
「でも、ナイフじゃ殺せないかもしれない」
「だったら、後ろから突き飛ばして投身自殺に見せかけてやるよ。専門外だが仕方ねぇ」
「でも…」

仏の顔も何度までだったか。
少なくとも俺は三回目を聞いてやれるほど優しくはない。
なおも食下がろうとする安藤に、よくぞナイフを引き抜かなかったものだとほめて欲しいぐらいだ。

「安藤」

俺は、足を止めてまっすぐに安藤を見た。
安藤も不安そうな顔のまま、俺を見ていた。
一度軽く目を閉じて、深く息を吸った。
雨の湿気を多分に含んだ空気が肺を巡って二酸化炭素を増やして吐き出される。
そして、目を開けて、まっすぐに深紅の目を見て口を開いた。
いい加減にしろよ。

「お前は、俺よりも居るかどうかもわからない奴を信じるのか?」

安藤は、一瞬目を丸くして、意味を汲み取るように逡巡し、俺を見たまま笑った。
今度は泣きそうな、涙をこらえるような顔をしていた。

「…いいえ、俺は蝉さんを信じます」

安藤の腕を掴んで、強引に引き寄せると、目じりにたまった涙を舐めとって、額に口付けた。
なぜか、そうしてやらなければいけない気がした。
なんとなく、そのままだと泣き崩れそうな気がしたから。
駄目だな。
安藤の事になると俺は、調子が狂って仕方ない。
咄嗟に隠すように傘を傾けたのは、人を刺す時に隠す動作と似ているなとぼんやり考えた。

「今日は、お前の家行くから」
「いいですよ、じゃあ蜆買って帰りましょう」

そう言って、今度はうれしそうに笑うから、次は口にキスをした。
顔は一気に赤くなって、林檎みたいな顔になった。
林檎みたいに真っ赤な目と一緒で、うまそうだと思った。
こんな休みなら、悪くない。
お前は、俺だけ信じろよ。
俺も、お前だけ信じるから。





◆神様の投身自殺





神様なんて蹴落としちまえよ。














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