本棚1

□機械音痴と蟲籠
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「は…?」

意気揚々と出かけた遠坂邸で、初恋の人から言われた発言に対しての反応としては上出来だと思う。
笑顔のままでいられているだろうか、いやそもそもちょっと待って欲しい。
笑顔でいるかいないかはもうそれはこの際置いておこう。
目の前でやっぱりニコニコと笑う初恋の人は、もう一度にこやかに天気の話をするように繰り返した。

「うちの人と、一緒に暮らしてくれない?」

おれの初恋の遠坂葵さん。
その人の言う「うちの人」なんて、たった一人しかいないじゃないか。



◆機械音痴と蟲籠◆



「ほう…これからここに住むのか…興味深いな」

悠長に、いやここは優雅にと言った方がいいのかもしれないが、俺から言わせれば呑気に内装を眺めている時臣をほうっておき早速と荷物を運びこむ。
箱を開けては中身を確認して、それぞれに割り振った部屋へと運んでいく。
入口に近い方がおれで、その隣の居間よりの部屋が時臣。
中身を見れば一目了然で、すでに家具や家電の類は存在するから私物のみ。
そんなに多くもない荷物を運び終えた頃にやっと時臣が「手伝おうか」なんて声をかけてくる。
どうにもこの男と自分には時間の流れが違うのではないかと錯覚してしまうほどに、タイミングが悪い。

「いいから…あー…じゃあとりあえずシーツの類は一回洗うからこれ洗濯機回してくれ」
「承知した」

目の前のベッドのシーツを引き抜いて乱雑にそれを渡す。
それをまるで何か大事な任務でも受けたかのような仰々しさで返事をされて、本当にこの男とこれから生活をしなければならないのかと思うと眩暈がする思いだった。
聖杯戦争とかもうなんやかんやあってまぁ、なんとか一命を取り留めたはいいけれど左半身も元の様に満足に動かせるわけでもなくて。
そんな折に、頼みごとがあると葵さんに呼ばれて。
頼られている喜びと、時臣にはできねぇんだろうなざまあみろという両方を抱えて会いに行ったらまさかその時臣を押し付けられるなんて誰が思うだろう。
少なくても自分はこれっぽっちも考えていなかった。
時臣に割り当てられた部屋へと向かって、そこからもシーツを抜き取る。
少し顔を寄せればやっぱり少し埃臭い。
洗濯に出して正解だ、今日は天気もすこぶるいいから寄るまでには乾くだろう。
とたとたと真新しい廊下を歩き洗濯室兼脱衣所兼洗面所へと向かう。

「おい、時臣。回せたか…なにやってんだよ」
「あぁちょうどよかった。まず何をすればいいかわからなくてね」
「あ」

中を覗き込むとそこには腕を組み、俺からすれば少しうざいあごひげを摩りながら洗濯機を眺めている時臣がいる。
洗濯機は少しも動いた様子がなく、電源すら入っていない様に見える。
そして、そこでやっと今回の共同生活の理由を思い出す。
こいつの機械音痴をどうにかするためだ。
葵さんが言うには、あまりにも現代社会に置いて行かれすぎているのが心配なのでどうにかしてほしい、ということだったのだけど。
それを聞いた一瞬は、時臣の為になんでおれがとも思ったが、こいつのそれが治れば葵さんが喜んでくれるのだ。
そう考えてしまえば、俺の中には断るという選択肢はなくなってしまった。
機械音痴というか機械に対してむしろ恐怖心すらあるこいつのそれが、果たして治る類のものなのかは置いておこう。
ようは慣れさえしてくれればいいのだから。

「もういいから貸せ…」

半ば奪い取るように時臣の手の中からシーツを取り上げて、洗濯機のふたを開ける。
その中に放り込んで、来る途中に買ってきた洗濯用洗剤の封を開けていると、まじまじと洗濯機の中を覗き込んでいるのが視界の端に映る。
なにも物珍しいものなんかないのに、つっこむのも面倒なので無視を決め込んで軽量スプーンに適量洗剤を図りシーツに振りかける。

「それはなにか特殊な呪いが」
「普通の化学洗剤だ、ったくなんでもかんでも…っ」

案の定な時臣の言葉にため息を吐いて、乱雑にボタンを押す。
オートで回るように設定をすればざあざあと水が流れ込む音がする。
まだ洗濯しか、しかも回しただけなのにこの疲労はなんだ。

「ほう…雁夜、君はすごいな」
「ああそうですね、魔術師さんからしたらそうでしょうねぇ」
「いいお嫁さんになれるよ」

にこりと笑って言う時臣の言葉に、こればかりは固まった。
こいつは自分が何を言っているのかわかっているのか、いやわかって言ってるならなおさらタチが悪いのだけど。
深々と息を吐き出して、一緒にぽつりと吐き捨てる。

「うるせぇよ…」



ああもう、先が思いやられる。










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