本棚1

□靴はき猫
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立ちあがり転んだ時についた泥を軽くはたいて深呼吸をする。
さっきよりも幾分か落ち着いた心臓と広くなった視界。
転んだりしたのもあるせいか、だいぶ落ち着いた。
それになりより、人がいそうな場所に出たというのが救いだった。
人がいればここからの帰り道を教えてもらおう。
自分の子供の足で歩いた距離だからそんなに家からは遠くないはずだ。
けれども、自分の新しい家の場所からはこんな高い塔があるようには見えなかった。
その塔は明らかに森の木々よりも高く、遠くから見てもわかるぐらいにひょろりと立っていると思う。
こんな塔があるのなら、すぐにわかると思うのに自分がちょうど見ていなかっただけかもしれないが、どこか不思議な塔だった。
石を積んで組み上げていった塔はくすんで所々が苔むしている。
蔦が多い茂っている場所もあるので、廃墟のようにも見えた。
けれど、塔の一番上からは灯台のように明かりが灯っているのがわかった。
最上階にいるのだったらここから声をかけて聞こえるだろうか。
それでは人が訪ねてきた時に不便すぎるだろう。
きっとどこかに呼び鈴の様なものがあるはずだとまずは塔の下、真正面に見えるドアへと向かう。
石造りの塔と同じように風化して寂れた鉄のドアがある。
呼び鈴のようなものは見当たらなかったけれど、鉄のドアにはドアノックが備えられているからそれを叩く。
静かな森にはその音はとても大きく響いて、自分でたてた音のはずなのに肩を揺らしてびくりと驚いてしまう。
しばらくそれで待つが、人が出て来るような気配はない。
やはり、聞こえなかったのか。それとも、他の入り口があるのかもしれないと、筒型の塔にそって歩きながら入口のようなものを探す。
しかし、塔は思ったよりも大きくないのかすぐにさきほどの鉄のドアがきて落胆する。
入口はどうやらこの一か所のようだ。
裏手に人がいないかと姿も探したのだけど、まるで確認できなかった。
西側と思しき空はまだ少しだけ紅を残しているけれど、空は藍色でもう夜は近い。こうなったらもう聞こえなくても呼んでみるしかないだろう。これで誰も出てこなかったら今日は物置小屋を借りて野宿をしよう。森には野犬や熊といった類のものもいると言っていたから、多少寝心地は悪くても身を守る盾のない森の中よりはずっとましだ。
すぅと空気を吸い込む。

「すみませーん!誰かいませんかー!」

精一杯あげた声に驚いたカラスがまたぎゃあぎゃあと喚いて木から飛び立つ。
別に悪い事をしたわけじゃないのになぜだかドキドキした。
風もないせいか、木々が揺れる音もしないでここがとても静かだからかもしれない。
その静けさを壊すようにあげた大声を怒られるのではないか、そういう類の動悸な気がした。
しばらく物音に耳をすませたけれど、人の声が聞こえることもなく物音もしない。
これは、もう諦めた方がいいのかもしれない。
そこではっと明日ならば大丈夫じゃないかと思い至る。
裏手には井戸があった。
きっと朝はその井戸から水を汲む。つまりは、人が姿を現す。それで道を聞いて
帰ればいい。
きっと父さんや母さんは心配しているだろうし、帰った後は物凄く怒られるかもしれない。
後ろめたさのようなものが沸き上がるが、それはむしろ怒られる事を怖がっているだけの感情だ。
しかし、このまま立っていても仕方ない、それならばさっさと物置小屋の中に入ろう。
さらに暗くなっては手元が見えなくてドアが開けられなくなる。
幸い、物置は簡単なかんぬきとネジ式の鍵がついているだけだから入れそうだ。
物置きに向かおうと一歩足を踏み出した瞬間、カチンと金属の音がした。
一瞬、気のせいかと思ったけれどそれに続いてぎぃと戸が開くような擦れる音がして、まさかと思い見上げると塔の上の明かりのついた場所の窓が開くのが見て取れた。
突然の展開に呆然としていると、ひょこりと人が姿を見せる。
視力は悪くない方なのだけど、あちらが明かりを背負っているせいか存外はっきりと姿が見て取れた。
ウェーブのかかった黒髪の一瞬みれば女性とも取れるシルエットだったが、よくよくみれば男の顔だった。
けれど、大きなつり目の目元と丸い顔だちで何歳ぐらいかはまるで判断できなかった。
若い様でもあるし、それなりに年齢を重ねているようにも見えた。
ぼんやりと姿を見ていたら彼の口が動くのが見えて、数秒たってから呼びかけられている事に気がついた。




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