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□靴裏に零れる四つの幸せ
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ふぃと、春の匂いがした。
それはとても温かくあまやかな、明確にはなんの匂いとは言い表せないのだけど、それはあえていうなら花の香りだろうか。
黄色を彷彿とさせる、蜜のような。
春の香り。






靴裏に零れる四つの幸せ






ガサガサと、草葉をかき分けてあぜ道を歩く。
あたり一面、明るい萌黄色に染まったそこは、まだ農耕期ではないせいか雑草が生えている。
こんな草ばっかりの道は、おれは今までは知らなかった。
家の外で、こんなに木や草が生えている場所は、俺は知らない。
俺にとって、草や木が生えている、自然と称するのが妥当な場所は足を延ばさないと見れない場所だった。
外場に越してきてからは、家の隣にもどこにも草や木、畑があった。
むしろそれしかないと言うべきかもしれなかったが、やはり俺にとってそれはとても新鮮に映った。
もちろん、それは最初だけですぐにそれは日常になってしまった。
けれども俺にとって、今だに木や草、森や川は未知のものだった。

「っしょ…」

高く伸びるエノコログサを踏まないように跨いで、畦を歩きながら見まわす。
たしか、それが生えている場所はわかりやすく色が違うと言われた。
俺にはどれも同じただの雑草にしか見えないが、それでもわかるかと聞くと、看護師さんはにこにこと大丈夫、わかるよ、と言った。
医院からさっそくと目的のものを探しに歩いていたのが、不安はすぐに解消された。
たしかに、青い。
いや、青いというのはおかしいかもしれない。
畦全体は深みを帯びた、うすい緑のような印象だったのだけど、それが生えている場所はとても濃い緑をしていた。
群生するそれらはその場を埋め尽くすように、月並みだけど、緑の絨毯のようだった。
おれは腰をかがめると、早速と手を伸ばす。
四つの葉っぱを探す。
かさかさと湿った葉を眺めて、かきわけて、見つめる。
露に濡れる、濡れた手に少しずつ泥がつく。
しかしそれは気にしない、いや、気にならない。
緑の三つの葉はどれも同じにみえるが、こうして改めてみると大きさも色も違っていた。
個体差というものだろうか。
20分ほどたったころだろうか、一度立ち上がって屈伸をする。
腰も重たくなっていて、大きく伸びをすると骨が少しきしむのが聞こえた。
ふぅと息を吐くと、もう一度足を折って、緑の野に目をこらす。
ふと、足元が気になって近くをみると、そこに茎が少し折れた四つの葉があった。
おれは慌てて後ろに下がって、それを摘み取り目の前に掲げる。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ…ちゃんとある。
俺はふぅーと長い息を吐いて腰を下ろす。
露にズボンが濡れる気がしたが、それよりも見つかってよかったという安心が強かった。
丁寧にハンカチに包んで、それをポケットにしまう。
立ち上がって、もと来た道を戻る。
時計を見ると時間は5時半を少し回ったぐらい、これなら、医院の方も終わっている。

「せんせい?」

案の定、医院の正面口は終了の札が下がっていた。
裏手にまわり、ノックをしてドアノブを回すと開いていた。
ということはまだ先生はこっちだと判断して、そのまま奥へと進む。
先生の部屋のドアをまたノックして、ドアをあけ、声をかける。
すると、書類を見ていた先生がこちらを見上げてわらいかけてくれた。

「やぁ、終わったのかい?」
「え?」
「律っちゃんが、夏野君が用事済ませたら戻ってきますよっていうからさ。待ってた」
「え、そうなの?別に、待ってなくてもよかったのに…」
「いいんだよ、俺も見なきゃいけない処理があったからちょうどよかった」

こんこんと、書類を束ねる先生にこつこつと足音を聞きながら近づく。
おれはゆっくりと深呼吸をすると、一度軽く目をつぶる。
目をあけて、目の前の先生に机をはさんだ状態でまた声をかける。

「せんせい」
「ん?どうした、座って待っててくれよ。もうちょっとで終わるから…」
「せんせい」
「…夏野君?」
「これ…」

ポケットの中をさぐり、ハンカチを取り出す。
それにやっぱり意図のつかめないという顔をしている先生に、折りたたんだそれを開けて、中身をとり差し出す。
それはよつばのクローバー。
看護師さんに聞いて、俺が探していたもの。
それを先生に渡して、もう一度深呼吸をする。

「これ、は?」
「看護師さんたちが話しているの聞いたんだ、何かを誓うなら形が欲しいって」
「うん?」
「…プロポーズの時は、指輪が欲しいって…でも、おれはそんなの買えないし…」
「なんだ、じゃあ今日はおれにプロポーズでもしてくれるのかい?」
「…笑わないでよ、本当に、思ったんだ」

ぎゅっと、手を握ってうつむく。
まっすぐに先生を見ていられそうになかった。
自分がとても幼く、恥ずかしいことをしている自覚はあった。
けれど、今の俺にはこれしかできないんだ。
口はかさかさと乾燥していて、胸はどきどきとうるさい。

「昔、母さんに聞いたうろ覚えなんだけど…よつばのクローバーって、花言葉があるんだ」
「へぇ?」
「…わたしのものになって」
「え…」
「そういう意味があるんだって…だから、探したんだ、よつば。ねぇ、お願い。おれ、先生のことが好きなんだ」
「おれも、好きだよ…ちゃんと、きみのこと…」
「おれは!」
「…夏野君…?」
「…おれは、先生の心も身体も全部欲しいんだ。言葉だけじゃなくて、だから、お願い」
「……うん」
「おれのも、全部あげるから」

我儘だと思う。
小さな子どものようだと思う。
それでも、おれは先生の全部が欲しかったんだ。
口実を作ってでも、俺を求めてほしかった。
はぁ、と先生のため息が聞こえた。
それにびくりと肩を震わせる。
どうしよう、わがままを言うなと、怒られてしまうだろうか。
余計に顔をあげることができなくて、また強く手を握り唇を噛む。

「何を言っているんだ…」
「……ごめんなさい。わがままだってわかってるんだ。けど…」
「そうじゃない」
「え…」
「違うよ、そうじゃない……今更だよ」
「……せんせ…?」
「おれだって…君にあげたいよ。全部、心も…身体だって、あげてやりたい。すまんな、そんなに悩ませてしまって」

ゆっくりと先生が立ちあがる音がした。
おずおずと顔をあげて先生を見ると、机を回っておれの隣にくる。
先生の方を向くようにすると、ゆっくりと腕が回されて抱きしめられた。
煙草とコーヒーと先生の匂い。
それに、耐えられなくなった涙腺がついに決壊する。

「ごめんな」
「…ぅ…っ…」
「泣くなよ…男の子だろ?」
「…せんせいが、キスしてくれれば…泣かない…」
「ははっ…ほんと、子供扱いしてほしいんだか、してほしくなんだか・・・君はわからんな」

おれは、顔をあげて、先生の顔を見る。
ぐいと背伸びをして笑う口元に、自分の口を押し付けて、引き寄せる。
驚いてあいた口にむにゅとよりおしつけて、舌を押し込む

「んっ…んんっ…」

びくりと先生がふるえるのがわかって、おれは嬉しくなる。
そのまませんせいの口の中、全部に触れられるように動かして、初めて触れるそれに眩暈がした。
唇が触れるキスはしたことあったけど、それ以上のことはしなかった。
してよいかわからなかったというのもあった。
ぐちゅぐちゅと唾液が混ざる音が卑猥で、頭も心臓も沸騰するようにぐらぐらとして熱い。

「んっ、ぁ、…ふっ…ぅ…」
「…はっ…ふ…子供扱いじゃない、ほうが、いい…」
「そう、みたいだな…」

口を離して先生を見る。
目元と耳を赤くして笑う先生の口は、唾液で光っていてやらしい感じがした。
欲しい、ほしい、ほしい。
おれの知らない、せんせいも、全部ほしい。

「ねぇ、おれにちょうだい?」
「…いいよ、ぜんぶ、君にあげるよ」

濡れる口に吸いつくようにキスをして、目を閉じる。
春と、先生の匂いがした。
…あぁ、それってどっちも幸せな匂いなんだな。






(そんなに泣きそうな顔で)
(せめて、高校卒業まではと思ったのにな)
(…早まっただけだと思えば、いいか)













クローバー
花言葉は
「復讐」
(白詰草)「約束」「私を思って」
(赤詰草)「勤勉」「実直」
(濃赤)「華美でなく上品」
(四つ葉)「幸福」「私のものになって」



PIXIVにて主催している「花には水を敏夫には愛を」という通称「花敏企画」に出したもの




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