本棚3

□シェルオパールの牙
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それは本当に、小さな音だった。
衣擦れの音だけが響く、静かな部屋でなければ気づくことはなかった。
平時であったら様々な音の間に紛れ、絨毯に音を吸収されて、その音がしたことすらわからなかっただろう。
袖の隙間を留めたはずのカフリンクスが、落ちた音だった。
ちゃんと留まらなかったのかと思って、拾い上げる。
海を閉じ込めたような真っ青な水晶をはめたカフリンクスは、どうやら留め具が壊れてしまったようだった。

「ちっ…」

舌打ちをして、壊れてしまったそれにため息を吐きかける。
こういう時に限って、替えの物がないだなんて運が悪い。
壊れてしまっていたり、後輩にくれてやったりと、ちょうど減っていて数が少ないタイミングだった。
片方だけしていないわけにもいかないし、ましてやしないで出かけるなんてもってのほかだ。
ジョジョのようにジャケットごと腕まくりをしているような奴は気にならないだろうが、俺はあいつとは違うんだ。
とはいえ、こればかりは仕方ない。
ジョジョもカフリンクスを付けないだけで持ってはいるのは知っている。
あいつとはセンスが違うから気は乗らないが、仕方ないのだ、こればかりは。
ジョジョに借りるのはとても癪ではあるのだけど、最悪借りた事実をすっぽかしてしまえばいい。
あいつはそれでも怒りもしないで、新しいものを買うのだから。
反射でノックをしようとした手をドアノブに向けて、そのまま開ける。

「あっ、ディオ…また勝手に僕の部屋に入って…」
「おはよう、ジョジョ。君がいるってわかってるんだからいいじゃあないか」
「そういう事じゃないってば…おはよう。それで、何か用事あるの?」

タイを結んだ手を止めて、ジョジョは一瞬だけ呆れたようにも困ったようにも見える顔をして俺を見た。
普通に見ていれば気づかない程度の表情の変化であったが、なにせ五年以上も同じ屋敷で過ごしてきたんだ。
気づかない方が鈍感だ。
ジョジョの言葉を半分無視をして、クローゼットに向かう。

「借りるぞ」
「えっ、なにを」
「カフリンクス」

クローゼットの中に置かれた小さな木箱を開ければ、ベルベットの張られた中に乱雑にカフリンクスやネクタイピンが転がっている。
その整理のされていないボックスの中に思わず顔をしかめた。
一番最初、少年時代の記憶がよみがえる。
あの時のあいつは、もっと気弱に見えたのに。
時計を奪った時も思ったが、こいつはあまりにも整理整頓に無頓着だ。

「おい…君、整理整頓って言葉、知ってるかい?」
「えー…勝手に開けておいて第一声がそれかい…」
「ちゃんと借りるって言っただろ」
「そりゃそうかもしれないけど…いいじゃないか。別に。机の上や部屋の中みたいに、誰かに見られるわけじゃないんだしさ」

まるで小さな子供のような台詞だと思った。
ジョジョは、紳士を目指すと馬鹿みたいに言っていることもあって外ではそれなりに好青年の良い若者であると思われている。
しかしそれは外面がいいだけだ。
実際のこいつは、驚くほどに自分のことしか考えていない自己中心的な男なんだ。
自分が良ければなんでもいいという、紳士的であることが誠実なことであるとするならばかけ離れている。
今まで培われてきた傲慢さであると思っている。
貴族や侯爵、使用人がいる屋敷では基本的に家主を中心に周りが動く。
自分が動くという考えは、一切ないのだ。
自らが動かなくても朝は起こされ、着替えは用意され、席に着けば食事は出てくる。
自らが動いて朝は起き、着替えを用意して、食事を作る。
そういったごく当たり前に俺が行ってきたことをこいつは、一切してこなかったんだ。
それに今更腹を立てるほど子供でないし、文句を言ったところで得をする事でもない。
ただ、俺の気分が悪くなる。
ただそれだけ。

「でもさ、カフリンクス持ってたよね?」
「壊れてしまったんだよ。そうだ、ジョジョ。壊れたのは修理に出そうと思うが、どこか決まった仕立て屋に頼んでいるのかい?それなら、そこにお願いしたいんだが」
「一点物だったっけ?」
「いや、そういうわけじゃないが」
「じゃあ新しいの買えばいいじゃないか。執事に言えば、用意してくれるよ」

あっ、と声が出たかと思った。
ベルベットの箱の中身を見つめながら、ぷちんっと潰されたような感覚がして、笑顔が固まる。
ジョジョに背を向けていて本当によかったと思う。
奴の顔を見ていたら、何を言ったかわからなかった。
特注でない限り、わざわざ修理をするという事はないわけだ。
大量生産品を修理して使うのは、貧乏人だけだ。
ああ、なんで忘れていたんだろうな。
この数年で、それは嫌というほどわかっていたはずなのに。
それもこれも寝起きの頭のせいであったのだろうか、最低な気分だ。

「ん…これ、君が選んだのかい?君が選んだにしちゃあ、随分と趣味とは違う雰囲気がするぜ」

話を逸らしたくて、箱の中から一つカフリンクスを取り出す。
落ち着いたオールドブルーやモスグリーンの中で、そのカフリンクスは随分と雰囲気が違って目立っていた。
白の中に青が混ざり、石よりも陶器を彷彿とさせる石が嵌めてある。
パールにも見える色だ。

「ああ、貰ったんだ。ほら…えーっと…バッテンベルク家に、同じぐらいの女性がいるだろ?」
「……ヴァレリナ・バッテンベルクか…赤毛のレディだったか?」
「そう、彼女がくれたんだ。でも、ディオが言った通りにあんまり僕の好みじゃないっていうか…そもそも使わないからさ」

鮮やかなその色は、確かに落ち着いた目立たない色ばかりを好むジョジョの好きそうな感じではない。
男でもあまり選ばなそうな、女性的な綺麗さがそれにはあった。
人を相当選ぶ品物である事だけは確かだ。

「そうだ!ねえ、君が良ければなんだけどあげるよ。綺麗だし、きっとディオには似合うと思うんだ」
「へえ?贈り物を人にやってしまうのかい?紳士様」
「このまま眠らせてしまうよりは、使ってあげた方が絶対にいいさ!」

にこにこと口にするその言葉の残酷性に、ジョジョはまったく気付いていない。
女性が男に物を贈る意味に気付かないなんて男が、この世にいるなんて信じられない。
最低な男だ。
そして、贈られた好意の塊を平然と人にくれてしまう、本当に最低な奴だ。
これを俺がつけているのを彼女が見たらどう考えるかなんて、考えた事もないんだろうな。
ならわからせてやろう、今度の夜会ではこれを付けて出よう。
そうして、彼女の前でわざと見せてやろう。
面倒なジョジョにたかる虫も払えて、手間がはぶける。
表情を崩さないまま、受け取って笑う。
笑顔をつくるのは、難しくない。

「ありがとう、ジョジョ……なあ、お礼をさせてくれよ」
「お礼?別にいらな、い……!!!!」

手の平に持ったカフリンクスを握りしめ、ジョジョの真正面から声をかける。
乱暴に首元を掴んで引き寄せ、言葉ごと唇を飲み込んだ。
目を閉じなかったから、間近でジョジョのグリーンアンが見開かれるのがわかった。
瞬きをする度に、睫毛同士がぶつかるような感触が合った。

「っ……ディオ!なにを…っ…」
「お礼だよ。ジョジョ。カフリンクスをくれて、ありがとう」

かあっ、と顔を赤くしたジョジョ。
慌てふためくジョジョ。
ああやっぱり、そういう顔がいい。
気分がいい。
そういう顔をしている時のジョジョは、俺は好ましいと思えるぜ。

「それとも、キスだけじゃお礼に足りないかい?」

唇をいやらしく見えるように舐めて見あげれば、ジョジョの緑が燃えている。
朝日の中で、夜の暖炉が燃えている。

「今夜、君にお礼をしに行くよ。ジョジョ」

俺に、お前の欲深い姿を見せてくれ。






◇シェルオパールの牙






3月6日の誕生石「シェルオパール shell opal)」
宝石言葉「和合・合体」
合体って大きな意味でジョナディオだなって思いました。





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