本棚3

□食い殺してしまえ
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ただ苦悩する様を見るだけなら、使い魔の目から垣間見るので事足りる。
わざわざ出向かずとも、遠距離から様子を伺う術を自身は持っているにもかかわらず、どうしてわざわざ手元に置いておこうなどと思ってしまったのか。
これがアーチャーの言う、愉悦になりうる感情の結果なのだとしたら酷く、矛盾している気がした。
愉悦とは面倒で非効率的な行動の事を言うのだろうか。
しかし、それは行動を差す事になってしまうのでそれはやはり愉悦ではないのだろう。
私はここに至っても、未だに愉悦のなんたるかを理解していない。

「う、ぐ…っ……」

担いだ男が呻いた。
肩に当たる男の腹は、ぞわぞわと動いているような響きがあって、蟲が這いずる回る感触なのだと察した。
間桐の魔術のおぞましさは、自らを糧にして力を得るところにあるのだろう。
しかし、それと同時にとても魔術らしい魔術である様にも思えた。
古来から、人智の及ばぬ魔物との契約には自らの心臓を捧げる事が条件だ。
他に宿る物に頼らず、自らの身体を差し出すというのは、魔術の根源であるように思えた。
それも差し出す自らが強固でなければ、意味がないのが大きな欠点だろう。
器が小さければ、中に入って溜められる魔力も少なく、簡単に食いつぶされてしまう。
それをわかってなお、この男は聖杯戦争に身を置いている。
何故だ。
悟られぬように部屋へ戻り、血袋のようにぐったりとした男をベッドへと下ろす。
真っ白な肌に真っ白な髪、閉じることを忘れた片目は見えていないのだろう。
白濁した目は、蟲が動く度にきょろりと呻く様に震えていた。
魔力を食いつぶされて落ちた意識なら、魔力を充填してやれば手っ取り早いだろう。
魔力の受け渡しで最も効率が良いのは体液。
血でもいいが、わざわざ怪我を増やす事は気付かれる可能性を増やすだけだ。
か細い呼吸をしている男の頬を掴んで上を向かせて、そこに唇を押し当てる。

「ん、っ…んんっ」

口付けというよりは、まさしく人工呼吸だ。
人工呼吸にしては、舌を入れて唾液を流し込むのだから可笑しな行為だが。
魔力を無意識に感じたのか、真っ白な男は顎を自分で上へと押し上げて、私の唇に吸いついてくる。
まるで恋人にキスを強請る様な仕草に、薄く笑いが込み上げる。
この男が、目を覚ました時の顔を思うと、自分でも珍しく楽しみであった。
そもそも笑みなど自分でも滅多に感じない、胸を揺らしふつふつと沸く、この感情が愉悦なのかと、今すぐにでもアーチャーに問うてみたかった。
早く目覚めろと求めてくる舌に触れて、絡ませてやれば心地よさそうな鼻にかかった声が漏れる。

「ん、っ…ん、ぁ……あお……ぃさ……?」

細く零れた声に、笑わずにはいられなかった。
よりによって我が師の妻たる女性の名前が、この男のこの口から出るなど、誰が思うだろうか。
ぼんやりとした目が少しずつ焦点を合わせて、色を取り戻していく。
もっとも、片目は白濁したまま動かないので片目だけだが、それでも感情はあまりにも雄弁に色として出過ぎていた。

「な、にを…ッ!」

ようやく自分が置かれている状況を理解した男は、慌てて私を押し返そうとするがいかんせん、やせ細った腕ではあまりにも弱い。
これが本当に成人を越した男の腕なのかと疑いたくなるほど。

「目が覚めたようだな。間桐…雁夜」
「言峰綺礼……とっくに聖杯戦争からは、いなくなってるはずの奴がどうして!…」

なるほど、ライターをしているだけあって情報収集や記憶力はしっかりしているらしい。
私の身体をどかす事が出来ないとすぐに察して、男はきょろりと片目であたりを見回す。
大方、武器になりそうな物を探しているのだろうがそんなものを傍に置いてやるほど、私は優しくない。

「さあ、どうしてだろうな」
「…俺を傀儡にして聖杯を取る気か?ははっ…この戦争の中で、俺ほど期待されていない奴はいないだろう…」

自嘲を隠さずに男は笑って、それから咳き込んだ。
ざわざわと皮膚を蟲が蠢くのがランプの明かりでもよくわかった。
この内側に異形を宿して、死んだ体で動き、それでもなお人の欲に身を焦がしている。
この男は、なんと人間らしい人間なのだろうか。

「いいだろう。それならば、私が貴様をさらなるダークホースへと押し上げてやろうではないか」
「はぁ?なにい、っ、んあっ、んんんっ!」

文句と自嘲を零す色のない唇へとまたさらに口づける。
間近で見つめた瞳が見開かれているのが焦点の合わない中で見えた。
冷たさすら感じそうな口内を舐め、歯列をなぞり、唾液を存分に流し込む。
粘液から流れる魔力を感じ取った蟲が、ざわざわと騒ぐ気配もしはじめる。

「う、うぐ、んんんっぐ、うぅぅっ!」

苦しげな声ばかりが聞こえるのは、恐らく喉元まで蟲が這い上がってきたのだろう。
魔力を求めてざわざわと。
手の平からも魔力を溜めて、腹へと直接叩きこむ。
それによって蟲の動きがようやく大人しくなったのだろうが、身を破られる苦痛の方が酷かったのだろう、男はなすがままだ。
舌を絡めて時折吸い上げ、快楽を生むように内側を暴く。

「う、うっ、うあっ、やめっ、ろぉ…!」
「……やはり、彼女でなければ駄目か」
「なんの、はなしだ…」

聞かれていないとでも思っていたのだろうか。
それとも、夢だと思っているのだろうか。
恋しい名前を呼んだことを。

「アオイとは、遠坂葵だろう?君が夢心地で、キスを強請った相手は」

羞恥と絶望を混じらせた顔で男は愕然として、何も言えなくなった。
その表情の理由に、さらに男の胸中を想像すると、高揚感がこみ上げてくる。
これが、この乱暴な暴力的な感情が、愉悦なのか。

「呼ばせてやろう、ただし。呼ぶのは女の名前ではないが」

蒼白な顔をさらに蒼白にするのを見下ろして、ああ折れてしまうのだなと感じた。
男の心が折れてしまう。
ただでさえ、細く懸命に折れまいとする心がこのままでは折れてしまうのだ。
この胸が躍り、心が騒ぎ、自我を失う様な感情が愛情だというのなら、なんて獰猛な感情なのだろう。
私は初めて感じる感情に、ただ身を任せることにしたのだ。





喰い殺してしまえ












愛や情というよりは、やはり劣情であった。


塩様
リクエストありがとうございました。
遅くなってしまって申し訳ありません。
これでちゃんと綺雁になっているのか凄く不安ですが、少しでもお暇つぶしになれば幸いです。




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