本棚3

□ちえのあるちびっこの仕立て屋さんの話
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村に引っ越してきてから、五年が経った。
最初は何もないだけだと思っていた村にも慣れて、歳が近い保っちゃんや徹ちゃん、それに葵といった友人も出来た。
正雄や清水も突っかかってくるけれど、それは気にならないから問題ではない。
早く家を出て、都会で生活したいとばかり思っていたけれど、最近ではその感情も落ちついてきている。
村を出るのを諦めたわけじゃなくて、きちんと手段を手に入れて、順序を踏んで家を出ようと思った。
それは、五年前に引っ越してきた日に森で迷子になったのも影響している。
ただやみくもに進むだけではいけないのだと、あの日に痛いほど感じた。
机の上に飾られているランタンと方位磁石は、埃も被らずに鎮座している。
思い出した様に触れては、もう一度あの時の、あの人に会いたいと思って触れるのに、磁石の針は一向に止まる気配を見せない。
ランタンは定期的に火を入れては、使えなくなってしまわない様に手入れをしている。
それも、全ては敏夫さんに会う時の為。
幼いころは、何の疑問も持たなかったけれど、塔の一番上から出られないなんて、幽閉されているとしか思えない。
それに気がついたのは、ほんの少し前。
もしかしてあの人は囚人だったのかと、村の歴史を漁ってみたけれど、監獄が近くにあったという記述は見つからなかった。
そして、それは地図の上でも確認した。
確認して、違和感を覚えた。
明らかに、塔のあった位置と森の大きさが違うのだ。
迷うほど奥まで森を歩いたのに、地図上で見る森は大人の足で二十分、子供の足でも三十分程度で抜けられるほどの広さ。
子供の歩幅と大人の歩幅では、体感する距離が違うから定かではないが、それでもあんなに大きな塔が地図に明記されていないのはおかしいんだ。
そうして、町の大きな図書館や専門書店を歩いて、ようやく古びた新聞記事を見つけた。
それは、百年以上は前の物で、異常障害による患者の記事だった。
森へ行った村人が、おかしな事を口走るようになり、夜になると森へと抜けだして、朝にはひょっこりと帰ってくるという物だ。
それだけならばただの夢遊病患者の記事だろうが、問題はその村人の最期だ。
最期は、血袋のように膨れて死んでしまったと、その記事には書いてあった。
そして、思い出した様に、契約を交わしたと口にしていたという。
特別頭がいいわけじゃないけれど、ようやく自分のしなければならない事がわかった。

「今から助けに行くよ、敏夫さん」





***







「何度でも繰り返していくんだろうね」

しゃりしゃり、しょりしょり。
銀色に輝く刃先を滑らせていくと、綺麗な白い肌が見えてくる。
真っ赤な服を切り割いて、白い肌を曝け出させるように。
アダムとイヴはこれを持って知恵を持ち、さらには罪の意識を覚えて、堕落の道を知ったのだ。
一周綺麗に赤い皮を剥き終われば、白いこじんまりした球体が出来上がる。
まるで木を削って球体にしたような雰囲気を醸し出すのは、やはり木になる果実だからだろうか。
それをくし切りにして、皿の上へと一つ一つ切り分けていく。
兎の形をしたのもいいけど、全て綺麗に皮を削がれた方が見栄えがいい。

「何をだよ」
「僕と敏夫が」
「くだらない喧嘩をか」

短くなった髪は、定期的に切りそろえているはずなのに無造作に跳ねている。
つんつん尖った樅の木みたいなのに、触れば不思議に柔らかく、単純に癖が付きやすいだけだという事はわかる。
敏夫の長い、長い髪を一房ずつに梳いていくのも好きだけど、触ればすぐに敏夫の丸い頭を抱える事が出来る今の髪型も、悪くはない。
むしろ、耳が出ているから感情の機微がわかりやすくなってとてもいい。
敏夫は敏夫自身が思っているよりも、耳が赤くなるんだ。
今はごく普通の肌の色、されどその奥に、真っ赤な血が流れている事を僕は知っている。

「うん、そうだね。僕と敏夫は、きっといつまでもくだらない事で喧嘩をしては、僕が敏夫に許してもらうんだ」
「そういう事を言うと俺がまるで謝らなかったみたいじゃないか、人聞きの悪い事を言うやつだ」

そういうことじゃないけど、と曖昧に笑って林檎を差し出す。
せっかくフォークも用意したのに、やっぱり敏夫は手づかみで林檎を取った。
もう赤くない果実を口にしながら、ああ今日も彼を生かしてくれてありがとうと誰にともなく思うのだ。
神様になんかではなく、悪魔に感謝をして。
息を吹き返してまず、僕は敏夫を強く抱きしめてそれから好きだ、愛しているとたくさん言った。
ぼうっとして抱きしめられたままだった敏夫がおずおずと抱きしめ返してくれた時は、天にも昇る気持だった。
衝撃のせいか、敏夫はここ数日の記憶だけがなくなっていた。
僕としても都合がよかったので適当に裏を合わせてあげれば、簡単に日常が戻ってきた。
しかし、日常通りにいかなくなったのは僕の身体だ。
今まで僕は死なない体だったのだけど、今は普通の人と全く同じで簡単な事で死んでしまう。
そして年もとっている。
幸運にも外見年齢から年を取っているようで、敏夫と同い年になるようにしていたタイミングで、本当によかった。
これで僕は、敏夫と一緒にいつまでもいられる。
死ぬまでの永遠を僕は、敏夫と共に信じていられるのだ。
何よりも、今の僕は敏夫の命をつなぐ生命維持の糸だ。
僕を通して敏夫は、定文さんの力によって生かされている。
敏夫も死んでしまうのだ。
僕と敏夫の命はもはや、二人で一人分しかないんだ。

「…!」

森を抜けて庭に人が入ってくる感覚がした。
普通の人間になったけど、魔術が使えなくなったわけではない。
しかし、誰かが入ってきたのだ。
例の件から、僕は極力来客には気を付けるようにしている。
決してあの時の事を繰り返すわけにはいかないのだ。
もう二度と、敏夫を不幸にしない為に。

「ごめんね敏夫、ちょっと行ってくる」
「ん?でかけんのか?」
「いや、下に用事があるだけだよ」
「そうか」

しゃりしゃりと林檎を飲み込んだ敏夫が目を瞑る。
ベッドに座ったまま、目をつぶって僅かに顔を上げている敏夫は、堪え切れずに笑ってしまうほど可愛い。
椅子から立ち上がって、大人しく待つ敏夫の頬を手で包んでキスをする。
柔らかい唇と微かに漏れる吐息に、胸は幸福感で満たされて行く。

「ん……いってらっしゃい、静信」
「うん、いってくるね、敏夫」

銀色のナイフをサイドテーブルに置いたままにして、僕は穏やかな気持ちで敏夫の部屋を後にする。
この幸福感の為に、僕は生きている。
敏夫の全てを愛して敬い、大切に大切に、生かして、そしてキスをして抱きしめて、ただそれだけでいい。
これ以上、何を望むものなんか。
螺旋階段のように塔の階段を下りて、未だに庭に気配がある事を確認する。
青年に近い年の人間のようだけど、一体どうやってここに入れたのだろうか。
また沙子が勝手に入れるように手引きでもしたのだろうか。
例の件が終わってすぐ、僕は沙子に断りの使いを出したはずなのに。
彼女は無邪気で、時折悪魔的な所があるから困る。
そこが尊敬に値するし、少女らしい一面も可愛い人だと思えるのだけど、人としては少し難がある。
彼女から言わせれば、僕もそういう人間なのだろうけど。
カンカン、ノックの音が聞こえる。
特に急ぐ気もないのでそのままのペースで階段を下りていく。
カン、カン、とまた音がする。
迷って森を抜けたらそこには塔がある、となれば人がいないかと焦る気持ちはわからなくないが、何度もされるとさすがにうっとうしい。
殺してしまってもいいかなと思う。
僕と敏夫の邪魔をしたという理由なら、それは正当な気がした。
カン、カン、カン。
ノックの音が響く。

「はい、何か?」

ドアを開けてみると、そこには帽子の端から紫にも見える藍色の髪を覗かせた青年がいた。
彼は目深に帽子を被って、手にはランタンと方位磁石を持っている。
そのランタンと方位磁石には見覚えがあった。
いつだったか、敏夫がカラスに持っていかれてしまったと言っていたものだ。

「君…それをいったいどこで?」
「貴方が室井さんですか?」
「質問に質問を返すのは感心しないね。ああ、僕が室井静信だよ」
「そうですか……なら、あんたが全てなんだな」

何が、と問いかけるよりも懐に入り込んだ彼の行動の方が早かった。
後ずさるのも間に合わず、鋭利な刃物のような目を帽子のつばの隙間から見つけたのと衝撃は一緒だった。

「…っ……?」

まず、理解をするのが遅れた。
長年簡単に死なない体だったせいか、防衛本能が薄れていたのも原因だった。
胸に溢れる鮮血を理解し、くるりと視界が揺らぐ。
突き刺さったのは、刃の長い裁ち切りハサミだった。
本来ならば布を裁断するはずのそれは、片刃ではなく両刃になっていて、刃先はナイフのそれと同じだった。
骨の間を縫って震える心臓を抉る銀色の刃に、息が止まる。
どうして。
僕はただ、敏夫と一緒に居たかっただけなのに。
僕は何か間違えたのだろうか。

「…、し……ぉ」

最後に口にした言葉がちゃんと名前を呼べたのか、わからなかった。




**






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