本棚3

□世界で一番幸せな人
1ページ/1ページ




機嫌が悪くなるとまるで口ばしみたいに尖る唇が、思いのほか激しいキスをしてくれるのを知っている。
歯がぶつかるとその瞬間だけは激しさが身をひそめるのだけど、舌を絡ませていくうちにまた激しくなってくるそのキスが、俺はとても好きで何度でも何度でもしたいと思う。
どんなに舌を絡ませて、余すことなく舐めあっても、全然飽きないんだ。
影山とのキスは、どれだけしても飽きがこなくて、もっともっとと欲しくなるからむしろ麻薬に近い。
影山とキスをして、抱き合って、セックスをして。
愛していると言われて、愛していると言うという事が当たり前に行われている。
男同士であることなんか、何の問題でもない様に平然と、平凡に。
節度を保った範囲だし、決して見つからないときにしか外では触れない。
あくまで先輩、後輩の範囲を出ない接触を心がけている。
人に言えるわけもなかったので、結局俺は大地にも旭にも言えていない。
影山にも絶対に人には言わないでおこうと言ったら、ちょっと頬を赤くして聞いているんだか聞いていないんだかよくわからない顔で頷いていた。
今のところ、誰にも言ってはいないようだからいいけれど、もしも誰かに知られてしまったらどうしようと思うと、怖い。

「菅原さん」

俺を呼ぶ声に振り返る。
廊下の端から、小走りにやってきた影山がいる。
その声に混じる柔らかさと、俺を見つけた嬉しさを隠しきれない響きに、怖い様な嬉しい様な気持ちになる。
誰かがその響きに混じる特別に気付いてしまうんではないかという恐怖と、影山がそうやって呼ぶのは今のところ俺だけだと言う気持ちの両方が胸の中でぶつかり合って摩耗している。
そうすると、結局俺は返事をしながら、おお影山、なんて当たり障りのない返事しかできない。

「こんちわっす、移動教室っすか?」
「美術ー、お前も移動?」
「科学室です」
「じゃあ途中まで一緒だな」

そう言うと、ただでさえ嬉しそうな顔をあからさまにほころばせるから、また俺は恐ろしい。
いやいや傍から見ても、きっと後輩に懐かれているようにしか見えないはずだ。
ちょっと人慣れしていなかった犬が優しくしたら懐いただけ、それだけ。
そう言い聞かせるのだけど、目に宿る俺が好きで好きでたまらないと雄弁に語る目を見るとその言い聞かせも全然役に立たない。
途中まで一緒だな、っていうのも本当は途中まで一緒に行かないかと言いたかった。
少しでも影山と一緒にいる時間が伸ばせたらと思ったから、口から思わず出てしまったんだ。
当たり障りないはずなんだけど、大丈夫だろうか。
世間話の範囲になっているだろうか。
廊下ですれ違う奴の会話にわざわざ聞き耳を立てるなんてことは無い、自分だってしていない。
それでも、何か変ではないだろうかと思ってしまう。
俺は臆病だ。

「菅原さん?そろそろ行かないと間に合わないっすけど…」
「んっ、あ…行くか」
「澤村さんはいいんですか?」
「ああ、大地は日直。資料運びに駆り出されてるからへーき、教科書とかはもう持って言っているからさ」

そうすると、ほらまた嬉しそうな顔をする。
影山が大地に対して敵対意識というか、ライバル意識のようなものを感じているのはわかっている。
同じクラスだし、主将と副主将だからそれなりに時間は長い。
結局クラスは三年間同じだったから、気を許しているという意味で言えば大地は一番そうだ。
一番気を許しているし、結構互いの考えている事の検討もつく。
旭もそうだけど、それは旭が分かりやすいだけな気もする、付きあいの長さも勿論だけど。

「科学どこまでいったの?」
「えーっと………えーっと……えー……はい」
「……寝てるのか」
「ね……………て、ます…」
「…素直なのはよろしい。けどな?補習とかになったら部活の時間が減っちゃうんだから、少しは頑張りなさい」
「っす……すみません…」

ついつい説教じみしてしまったせいか、さっきまで千切れんばかりに振っていたしっぽがしょんぼりと垂れさがるような幻覚が見える。
そこまであからさまにテンション下げられるとこっちが悪いみたいな気持ちになるじゃんか。
けど、そればっかりは少し口うるさく言わないわけにはいかない。
俺はまだまだお前と一緒に同じバレーの試合に出たいんだ。
一緒にコートに立つことはできなくても、おれはまだお前と一緒にバレーボールがしたい。
ボールが落ちる一ミリまで諦めずに追いかけて、追いかけて、コートに立っていたい。

「俺も頑張るからさ。わかんなくなったら聞きに来いよ。一年のだったら、多分わかるしな」
「!はいっ!お願いします!」
「あははっ、できれば自分で考えてからこいよー?」
「はい、頑張ります。…おれ、菅原さんに教えてほしいこと、たくさんあるんです」

はにかみ、笑う影山の顔から目が離せない。
さっきからずっと影山ばっかり俺の事を好きみたいに自惚れた事を考えていたけれど、俺だって影山が好きで仕方ないんだ。
今すぐ手を繋いで、こいつは俺のだって誰かれ構わず言いふらしたいぐらい。
独占欲とか執着がないように見られがちだけど、俺は独占欲と執着の塊だ。
欲しい、欲しいと手を伸ばしてみっともなくもがいている小さな羽虫のようだ。
太陽に手を伸ばした所で、その熱に身を焦がして死んでしまうのに。
教えてほしいことなら、俺だってたくさんあるよ、影山。
お前が好きな色も、お前が好きな曲も、お前が好きな何もかも。
お前が嫌いな食べ物や、嫌いなもの、苦手なものの何もかも。
俺もお前も、まだ知らない事が多すぎる。
それを性急に埋めて行きたいとは思わないけれど、その知りたいがたくさん埋まればいい。
埋まったそれらを一つ一つ噛み砕いていけば、お前と一緒に居られなくなってもきっと生きていけるから。
絶対に影山には言わないけどね。

「俺が教えられることなら、なんでも教えてやるよ。その変わりさ、お前も教えてくれよ?」
「俺ですか?菅原さんに教えられるようなことなんか何も…」
「まずは、好きな色」
「……く、黒…?」
「次は好きな曲」
「あんまり、曲とか知らなくて……」
「そっか、じゃあ今度俺の好きな曲を教えてやるよ。……そういうのでいいんだよ、影山。そうやって、俺に色々教えてくれよ」

ニカリと笑えば、影山が頷く。
その程度でいいんだ、何も俺の知らない事を教えてくれというわけじゃない。
お前の事を教えてくれれば、それで十分幸せなんだ。

「ん、それじゃここまでだな」

美術室と科学室は、途中までは一緒だけど階段を下りた先は反対方向だ。
西側の一番端と東側の一番端だからここで影山で分かれることになる。
ほんの少し、十分にも満たない時間一緒にいただけなのに、とても離れがたくなってしまった。
しかし、あの三分で始業のベルはなってしまうから、極力未練を悟られない様にしていう。

「また部活でな」
「うっす!失礼します!」
「寝るなよー!」
「ハイ!」

元気な返事をして科学室へと向かう影山を見送る。
羨ましいことに自分よりも体格のいい影山の背中を見つめる。
その背中に、腕をまわして、傷を作る役目は俺だけであればいいと思いながら、やはり俺ではない方がいいんだろうなとも思う。
俺と一生を隠し通すよりも、小さくて柔らかなラインをもった可愛い子と影山は付き合った方がいい。
影山のドがつくほど真面目な所も、ちょっと天然なところも、思ったことを口にしちゃうところも、動物に逃げられがちなのに動物が結構好きな所も、全部、受け入れて支えてくれる子がきっと現れる。
俺じゃなくてもいいんだ。
むしろ、俺じゃない方がいいんだ。
人に言えない関係をずっと抱えていくよりも、人に知られても恥ずかしいだけですむような、その方がずっといい。
影山は、可愛い彼女と一緒に幸せになる方が、絶対にいいはずなんだ。
だから、俺もお前も、別れた方が良い。

「それは、まだ言えないけどさ…」

そうやって影山との別れを切り出すのは、今でなくていい。
まだ先でいいし、出来れば永遠に来ないといい。
しかし、きっと近くて遠い、いつかに訪れるのだ。
愛していると口に出せなくなる日が、きっと来る。












世界で一番幸せな人








それが、お前が世界一幸せになるための方法だから。



影菅ちゃんの日おめでとう
遅刻した
2013/9/2




[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ