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□恋を知らないピカレスクの思想
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麦刈公一という、僕の親友の話をすると大抵の人間は彼に同情したような顔をして話を聞く。
そして二言目には、彼は苦労性なんだねなんて言うのだ。
確かに、公一はお人よしと言えるだろう。
お世辞にも一般的な感覚で、普通の生き方をしているとは言い難い僕に五年も付き合ってくれているのだから。
そういうのは損をする性分なんだと彼には再三言ってやっているのだけど、直る兆候は見当たらない。
僕としては直して欲しい気も、実はないのでいいのだけどね。
だって、彼のそういう所が僕はとても好ましくて親友として誇らしいのだから。

「なぁ公一。君、随分と背が伸びたんじゃないか?」

帰り道は当然、二人で歩いて帰る。
新興住宅が多いので、寄り道をして帰るのは少ない。
隣を歩く公一は、初めてあった頃よりも随分と青年らしくなってきている。
癖の強い黒髪は、だいぶ落ち着いてきているけど、それでも少しはねている。

「本当?それなら嬉しいなぁ」
「僕としては少しばかり悔しいな…ほとんど同じぐらいだったはずなのに」
「まだビーティーだって伸びるよ。男性は二十歳を超えても伸びる人がいるっていうし」

そう言って笑う、少し見上げるようになってしまった親友の顔を見て、僕はざわめく感情を覚える。
胸の中で金平糖の袋が乱暴に振りまわされる、そういう不思議な音がする。
ガラガラ、ざらざら。
甘い塊がぶつかりあって、少しずつ角が取れて丸くなって、砂糖の粉になっていく。
公一の視線を一人占めしたいと思う時もその音はしていたし、彼の隣には僕だけでいいと思う時もした。
どうやら、公一に関する音だというのはわかったけれど、僕は未だにその音と感情の関連性を見いだせずにいる。

「公一、君にならわかるかい?」
「君にわからない事があるの?」
「僕だって人間だからね、わからない事もあるしミスだってする」
「そうなんだ。ビーティーは、なんでも知っている様な気がしていたよ」

手放しで僕を褒める言葉は、彼の本心なのだと知っている。
何の戦略も、策略も、ましてや下心なんかなくそういう事を言ってのける。
そうして、やっぱり僕は公一のそういう所がとても好ましいのだ。

「何でも知りたいとは思うけどね。なぁ、公一。誰か一人の事になると胸がざわざわする感情を、君は知っているかい?」

数秒の空白に、おやと僕は首を傾げる。
隣の公一の顔を見れば、なんとも奇妙な顔をしている。
それは笑いをこらえている様な表情で、プライドが高い事を自覚している僕はカチリとくる。

「おい、君に笑われる様な事を言ったつもりはないぞ?」
「い、いや…だって、ビーティー本気で言っているの?」
「僕を馬鹿にすると高くつくぜ」
「そんな気はないよ!」

そう言いながらも、笑みが隠せていない公一に僕はまたカチンとくる。
もったいぶるのは僕の特権だ。
全く、答えを知っているのならさっさと教えてくれればいいのに公一も意地が悪い。
僕の影響も少なからずあるんだろうなと思えば、それはそれで気分が良いけれど。

「あのさ、君のその胸がざわざわするっていうのは、ドキドキの間違いでしょ?」
「ん?んー…まぁ、そう言われれば間違いじゃない気もする」
「そして、君の事だからその誰かの特別になりたいとか、思ってない?」
「よくわかったな。さすが僕の相棒だ」

的確に言い当てていく公一は、君との付き合いも長いんだから少しぐらいはわかるよ、と言ってまた笑う。
しかし、それは些細な感情の一端を言い当てただけで答えを言った事にはならない。
この感情の名前を君はいったいいつ教えてくれるんだい。

「君は中学の時に天妃子先輩に同じような感情を抱いていたはずだよ?」

久しぶりに聞くその名前に、僕は懐かしい爽やかな気持ちを思い出す。
あの人に寄せていた想いは、結局口にする事はなかった。
けれど、口に出さなかった分綺麗な思い出のまま留まっている。
あの憧れの様な感情を公一に抱いているのかと言われると、それはなんとも的外れに思えた。
僕は君の事は大事な親友で、決めた時の行動力と意思は尊敬に値するけれど、あの感情よりもずっと独占欲に近い何かを秘めていると思う。
その名前は、いったい何度というんだ。

「ビーティー。君、今度は誰に恋をしているの?」

常に頭を回転させていると自負している僕の思考が、その時その瞬間だけぴたりと止まってしまった。
それからのろのろと動きだすのが、永遠に思えるほどだった。
そうか、真の恋とはこういう感情の事をいうのか。

「ふっ…ふふふっ…ありがとう公一!そうか、なるほどね!」
「君でもわからないなんて、意外だな」

自然に湧きあがる笑いが抑えきれなかった。
ああ、確かにこんな感情、笑いの一つも漏らしたくなる。

「なぁ公一、君は少し覚悟した方が良いぜ?僕に恋なんてものを気付かせてしまったんだからな」

挑発的に笑って、公一を見る。
彼は一瞬だけ呆けた顔をして、あきれた顔になっていく。

「ビーティー、君の今の顔懐かしいよ…化石を盗みに行く時と同じ顔だ」
「そうさ、僕は欲しい物への労力は惜しまない」

僕の考えている事をことごとく理解し、言い当てていく公一に益々機嫌はよくなってくる。
さきほどの不機嫌だった自分なんて、嘘だったようだ。

「今度は何が欲しいんだい?ビーティー」

そう問いかける公一に、僕はただ笑みを返すだけに留める。
呆れて、それでも僕を見放さないだろう彼の苦笑いを見ながら。
僕は心の中でだけ答えを返す。









恋を知らないピカレスクの思想









(君が欲しいのだと言ったら、どうする?)





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