本棚3

□啓蟄
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春は、自慢の弟だ。
可愛い、可愛い、私の弟。
綺麗でそれでいて男らしくカッコイイ、私の自慢の弟だ。
大事な事は何度でも繰り返しておくべきだと私は思う。
言葉と言うのは残念ながら受け取り方によって簡単に意味を変えて、発信した時とまるで違う形で伝わっている事がある。
友人間の伝言ゲームが失敗するだけならいいのだが、仕事の上での伝言ゲームの失敗は致命的だ。
だから、なるべく確認に確認を重ねておきべきだと思う。
それは私と春の関係にも言えることだ。
私と春は確かに同じ母親から生まれたのだけど、複雑な事情によって半分だけしか繋がっていない。
半分は繋がっていないけれど、半分は確かに繋がっているのだ。
私と春は、確かに片方繋がっている。

「兄貴」

後ろから抱きしめてくる、暖かな気配に息をのむ。
足元から忍び寄る生命力に満ち溢れた濃厚な気配は、まさに名前の通り春の気配だった。
春はとても生命力に満ちている。
生きることに対して、少なくとも私よりは真剣だ。
私は、比較的流される様に生きている。
泉にたゆたう木の葉の方だ。
そうして泉が増水すれば簡単に川へと流れてしまう様な、そんな存在だ。

「なんだ、春」

努めてなんでもないように名前を呼ぶ。
二十歳を超えて抱き合う様な兄弟は珍しい。
日本ではそもそもスキンシップが珍しいのだ。
後ろから強く抱きしめてくる春の腕が震えているのに気付かないわけなかった。
こんなに暖かなのに寒いのかとは言えなかった。

「兄貴、キスしよう」

ああ、やっぱりと思った。
やっぱりそう言うのだな、とそう思った。
予想は出来ていた。
久しぶりに、本当に久しぶりに家にまでやってきた春だったから、きっと言うだろうとは思っていた。
けれど、こんな風にして言ってくるとは思っていなかった。
抱きしめて、キスがしたいだなんて、兄弟の域を超えている。
言い訳が出来ない。

「兄貴…」

首筋に顔をうずめられた。
呼吸が肌をなでて、その度に私と春はまったく別の人間なのだと認識させられる。

「春…」

弟を呼ぶ声は、思った以上に掠れていた。
こくりと唾液を呑み込んでも、喉の渇きは癒されない。
掠れたままでゆっくりと春へと本心を口にする。
流されるままではいけないのだから。

「いいよと言ってやりたいんだけど…私は、お前にそれを許したらやっぱりお前を家族だと思っていなかったと言われる様で…嫌なんだ…」

過剰なスキンシップも、キスも、許してやりたいのはそれは家族以上で家族以外の物に感じるのだ。
半分しか繋がっていないがゆえに、春にそれを許している。
もしも私の深層心理が、そうやって春の事を家族扱いしていないから出てくる感情だとしたら。
それは兄弟だから、男だから、と言った反社会的だと言われるそれ以上の罪であると思えた。

「違うよ…兄貴は、俺をたった一人の人間として、愛してくれてるんでしょ?それは、弟だろうが、ましてや半分しか血が繋がっていなかろうが、関係ないよ」

鼻孔をくすぐる春の匂いに、強引に振り向かされて抱きしめられたのがわかった。
自分よりもいささか体格がよく育った弟の肩口に顔を押し付けるようになって、私はじわじわと溢れる涙を止められなかった。
ああ困った、春の肩を濡らしてしまう。

「凄いな、春は」
「凄いことなんか何もないよ。今だって、俺は兄貴を泣かせている」
「いいや、さすがだ。俺の、自慢の…春だ」

自然に手が握られて、その暖かさに目を細める。
空いている方の手を背中へと回してみれば、その広さはとっくに小さな弟のものではない。
一人の成人男性の背中だった。

「あにき」

ひらひらと降り注ぐ花弁が頬を掠めるような、そんな些細な口付け。
けれど、このまま二人で死んでしまえたらいいのにと馬鹿な事を考えるには十分だった。




啓蟄



これから私と春は、恐らくあらゆることに理由をつけて生きていくのだ。
家族と兄弟と友人と、それのどれとも言い難い微妙な関係を保ちながら。
ただ、おそらく世間では、それは恋人とと呼ばれるのだ。








高瀬類様
リクエストありがとうございました!
遅くなってしまい大変申し訳ありません。
春と泉にとって兄弟であり家族でありそれでも大事な存在であると思うのは
かなり勇気が必要なことなんだろうなと思っています
こちらこそ、細々ではありますがサイトの運営をランキング共にやっていきたいと思います。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
ありがとうございました。

拝 青柳花



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