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□豪雨
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後になって思い返せば、あの日はあの年で一番の豪雨だった。




□豪雨□




「ごめんね。今日、急に出張に行かなくちゃいけないから、夜誰もいないの」

と、朝出かける時に大慌てでスーツケースを準備する母からそう言われた。
どうやら父も一緒に行くらしくて、本格的に今日はたった一人で留守番のようだ。
それを今更、怖いとも寂しいとも思わないのは、成長した証だと思えばいいのか。
暗闇が怖くないと思えるようになったのはいつからだったか。
とにかく、今日は一人で留守番だ。

「本当にごめんね、せっかくの誕生日なのに」

と、言われてようやく、今日が誕生日だと言うことを思い出した。
大丈夫だよ、夕飯は適当にすませるからと言って、いってきますと言って、家を出た。
外は雨がすでに降っていて、夜になるにつれて強くなる予報だ。
スカイブルーの傘を開いて学校へ向かう。
その間に何度もそうかぁと頭の中で呟いた。
そうかぁ、誕生日だったな。
両親共働きに加えて、高校三年生にもなれば誕生日プレゼントはせいぜいお小遣いぐらいで、サプライズなんてあっても友達ぐらい。
さらに言うなら、六月はインターハイの時期とも重なっているから、誕生日という行事はより意識の遠くへ追いやられる。
そういえば、夜中に着信がうるさくて起きたけど、ああそうかメール。
傘を持たない方で携帯を開き、見れば画面には新着メールのポップアップが出ている。
とりあえず一番最初のメールを開く。
最初にあったのは西谷で、元気いっぱいが文面から伝わるメールで思わず笑ってしまう。
次に見れば二年生からのメールがぞろぞろと出てきて、その間に旭や大地からのメールがある。
皆だって朝は早いはずなのに、日付けが変わる時間まで起きててくれたんだと思うと、申し訳ない様な嬉しい様な複雑な気持ちになる。
その中に一年生のメールはない。
アドレスは連絡用に交換しているけど、誕生日を言っているわけじゃないから当然といえば当然。
自分ですら忘れていたからなおさらだ。
メールを一通り確認して、携帯を閉じる。
影山の名前がないのは当然なのに、落胆が隠しきれない自分がおかしかった。
知らないのに、知ってて欲しいなんて我儘過ぎる。
それでも、恋人から一番におめでとうが欲しいと思うぐらいには、俺は子供なんだ。
雨は強く、風も出ている。
今日の帰り道はびしょ濡れになるのを覚悟した方がいいかもしれない。


***


「スガ、おめでとう」

昼休みに大地から、小さな箱を貰った。
特に包装されていないそれはすぐに中身がわかって、その中身に嬉しい様、な呆れた様な。

「唐辛子のチョコなんて、どこで見つけてきたのさ」
「長野」
「え、行ったの?」
「残念ながらお取り寄せ」

唐辛子のはいったというチョコレートは有名なお菓子とのコラボレーションで、辛いものが好きな俺としては期待半分。
出来ればまずくない事を祈りたい。

「あ、俺も用意してるよ。スガ、おめでとう」

旭がそれを見て鞄をごそごそと漁って取り出した包みは、少し大きめだ。
受け取ると柔らかい包みは、正直何か予想が出来ない。
開けていいか聞いてからリボンをといて、袋を覗きこんで、笑うしかなかった。

「あさひー、プレゼントにテディベアってなんだよー!」
「え、駄目だった?」
「駄目ってことはないけどさ、男にあげるもんじゃないでしょ!」

くっくっと押さえられない笑いにお腹を抱える。
これをどんな顔でお店に買いに行ったのかと思うと、それだけで十分な気がする。

「えっ、だって、眉毛の感じがスガに見えて…!」
「うわぁん、だいちー!旭がいじめるよー!」
「よーし、そんな君にはこれだー。ロードワーク1時間―」
「わーい!ありがとうさわえもん!これを旭にさせればいいんだねぇ!」
「やめてよぉ!!」

わざとらしく鳴き真似をすれば、大地がちゃんと乗ってくれる。
青い猫型ロボットにしては淡々としているしとても秘密道具みたいじゃないけれど、その分本当にやらせかねない雰囲気があった。
首が千切れとんでしまうんじゃないかと思うほど懸命に首を振る旭の姿に笑いが込み上げる。
文句は言いつつも、可愛らしいそれは悪くない。
俺って結構友達に思われているんだな、と恥ずかしいけれど思う。
こんなに貰ってばかりで、俺はちゃんと二人にお返しが出来ているのだろうか。
とりあえず、今度坂の下で肉まんでも奢ってやろうかなと思う。
カーテンが開け放たれたままの教室からは、窓の外がよく見える。
雨は依然降り続いたままで、重く厚い雲は昼間だと言うのに太陽の光を遮断して薄暗い。
これはもう、今夜には台風並みの嵐になるんじゃないだろうか。
せっかく貰ったのが濡れないようにしなきゃなと思いながら、紙パックの底が見えるまで牛乳を飲みほした。





「菅原さぁん!今日!誕生日って本当ですか!」

部室を開けると開口一番に飛び込んできた日向に、とりあえずちわっすと挨拶すれば、謝りながらちわっすと挨拶される。
この様子だと田中辺りが、余計な事を吹き込んだんじゃないかと思うと、案の定面白そうに見ている田中を見つける。
隣にいる縁下もだいぶ呆れた顔だ。

「誕生日だけど、別に何かしなきゃいけないわけじゃないからね?」
「うぅ…でもほんと…あ!俺、頑張って菅原さんのトス打ちまくります!そんで!点取りますから!」
「翔陽!それはお前が楽しいだけじゃないか!」
「えっあ…!!」

下から見上げるほんの少し小さな後輩が、懸命に訴えてくる姿を見て嬉しくなる。
そうやって、自分が出来る事を精一杯やろうとする日向は、名前の通りに暖かい気持ちにさせてくれる。
女の子みたいに可愛いなぁではなく、人として可愛いなと思う。
なにより、その申し出は嬉しい。
俺が上げたトスを気持ちよく打って、烏野を勝利へと導いてくれるなら、これほど嬉しいプレゼントはない。
勿論、俺だってそれに乗っかるだけじゃない。
勝利を勝ち取るための努力は忘れない。

「嬉しいよ。ありがとうな、日向」
「全然、お祝出来なくてすみません…お誕生日!おめでとうございます!」
「お祝いごとはいいけど、入り口でやるなースガー」
「あ、ごめん!」

後ろからため息交じりにやってきた大地に、慌てて道を開ける。
大地と一緒に教室から来て、俺が先に部室のドアを開けたんだから当然大地は後ろで立ち往生する羽目になる。

「このまま感動の抱擁が行われたらどうしようかと思ったよ」
「いやー、ごめんね大地」
「いいけどな、後ろの旭がびしょ濡れになるだけだ」
「酷いよ大地…人を風避けにして…」

雨は大粒になって、風が出てきているせいかざわざわと木々の揺れる音が大きい。
本格的に嵐みたいな雰囲気がする。
鞄を置いて、制服を脱ぎながら大地に声をかける。

「大地、もしかしたら今日は早めに帰った方がいいかもね」
「だな。強風警報でたら電車止まるかもしれないし…日向は確か自転車で山越えだからな」
「うん、じゃあ早めに練習始めないと」

制服を適当に畳んで鞄の中に突っ込んで、ジャージに着替えていく。
その間、一年がいる方から強く突き刺さるような熱を感じたけど、帰りまで待てよと心の中で謝った。





案の定、武田先生から早めの下校を促されて、いつもより早く帰る事になる。
雷の気配も感じさせる空は、予報通りに雨足がどんどん強くなっている。
太陽が一度も出ていないせいか、蒸し暑いよりは肌寒いぐらい。
なるべくゆっくりと歩いていけば、後ろから慌ただしい駆け足の音がし始める。
足を止めて、身体ごと後ろを向けば、思い描いた通りに影山が走ってきたのが見える。

「すん、ませ…遅くなって…」
「いや平気だけどさ、影山こそ大丈夫か?」
「はい…大丈夫、です」

深く呼吸をして、影山の息が整ってくるのを待つ。
影山の持つ藍色の傘は水を含んで黒にも見える。
影山の黒髪と一緒な、綺麗な烏の濡れ羽色。
ようやく顔を影山があげたけど、その顔もやっぱり予想通りで、申し訳ないような顔をしていた。
普段は少し刺々しい表情が多い影山の、つりあがった目がほんの少し垂れ下がって、眉もいつもより下がっている。
極めつけは、自分よりも大きい見上げているはずの影山がどことなく小さく見える事だ。
そんなに気にしなくてもいいのと思うのだけど、自分が影山の立場だったら、確かに申し訳ない気持ちでいっぱいになるから気にするなとは言えない。

「ん、じゃ…いくか」

雨に濡れたアスファルトは、灰色を通り越して真っ黒になっている。
車のライトや付き始めた街灯に反射して、時折白く光って眩しい。

「菅原さん、今日…誕生日だったんすね」

やっぱり話題はそれで、影山が申し訳なさそうに小さくなっている大きな理由。
どう考えても、言わなかった俺が悪い。
忘れていたとはいえ、恋人同士になったんだから少しは考えるべきだったのかもしれない。
こういう所が、大地や旭に思ったよりも抜けていると言われる部分なんだろうな。

「うん、ごめんな。ちょっと忘れていたのもあったし、自分から言い出すのも祝ってくれって、催促してるみたいだろ?」

なるべく、言外に影山に悪いと事はないんだとやんわりと含ませる。
お前は悪くないんだよ、と言い出すのも罪悪感を助長させるというのは、旭と西谷の時に痛いほどわかっている。
わかっているからこそ、どうしようかなと悩む自分が居る。
何と言えば、俺は影山の心から祝ってもらうことが出来るんだろう。
はくはくと、唇はわずかに開いては閉じてを繰り返して、言葉は出てこない。
試合中は考え込んでしまうことはあっても、相手にかける言葉はすぐに出てくるのに。
と、瞬間、視界が一瞬黒くなる。

「っ?!」
「なっ?!」

勢いよくやってきたトラックが、タイミング良く側溝に流れ切らずにたまった水たまりを跳ね上げて、これもまたタイミングよくそこを歩いていた俺と影山に泥水が降りかかった。
水たまりは思ったよりも深く、トラックは思ったよりも勢いがよかった。
頭は傘を被っていたから無事だけど、制服は悲惨なぐらいずぶ濡れだ。
突然の事に驚きは隠せず、言葉は二の句を告げず、影山と呆然とする。
顔を見合わせれば見たことないぐらい、困惑した顔をしていて、それが可愛くて、吹き出した。

「ふっ、く…あははは!影山…すっごいかお…っ」
「菅原さんだって、その…!」
「はー…もう、難しい事考えているの面倒になったな!」

傘を持たない手で影山の手を握る。
自分よりも少しだけ大きいのを知っている影山の手を取りそのまま歩きだす。

「すっ…菅原さん?」
「なぁ影山。誕生日プレゼントでさ、欲しいものあるんだよ」
「!な、なんですか!」
「お前」

手の平の中、納まりきらない影山の手がびくりと、筋肉が震える感触がした。
怯えにも似た感触は、じわじわとお腹の底から湧きあがって、俺の中で愛おしさに昇華される。

「今日、家に誰もいないんだ」

口にするとそれは思ったよりも、出来過ぎた台詞だった。






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