書庫-弐-


□襟直シノ刻
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午の刻。

花街の昼は閑散としていた。
妓たちといえば、夜の仕事を終わらせ、朝には客をおくりだすと、そのまま仮眠をとる。
丁度昼過ぎになると、食事をとったり、風呂へ入ったりと日常生活が戻り、今度は昼見世にむけての準備を始める。
基本的には、昼見世は2時間しかないものだから、あまり客の出入りもないが。
どちらにしろ、この時間は、どこの郭も慌ただしくなり、中居女や男衆も掃除や支度に余念がない。

「幸村が水揚げされたってホント?」

花街の昼には不似合いな派手な格好の男が一人、椿屋の入り口に腰をおろしていた。
女物の薄紅色の生地に、大柄な牡丹の刺繍の入った長着、腰まである長い髪を頭の高い位置で結っている。
花街で彼を知らないものはいない。
実家は大地主、その息子でありながら、花街で暮らしている歌舞伎者。

前田慶次。

慶次は派手な振る舞いをするためか、花街に暮らす様々な人間と交流があり、面識があった。
もちろん、椿屋でも誰もが見知った顔だ。

「ねぇ、教えてよ。相手って誰?」
「言う必要ないでしょ、前田の旦那には」

椿屋の番台で夜見世の勘定を行っていた佐助は、ぶっきらぼうに答える。
濃緑の長着で、台帳に目を通す姿は真面目な好青年、といったところだが、時折見せる目の奥の光に、花街の男衆とは異なる独特な雰囲気を持っていた。
佐助は、慶次と特に親しい関係ではなく、むしろ慶次を食えない男だと思っている。
しかしこうやって花街に何か噂がたつと、いちいち報告に来たり、椿屋の様子を伺いにくるものだから、自然と話をするようになってしまっていた。
はぁ、と大きな溜息をつくと、座っていた番台から降り、慶次の前へやってくる。

「あのね、花街の妓が水揚げされるなんて毎度のことでしょうが」



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