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□家路
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 風には微かな芯があった。四月の末、花の匂いと緩やかな斜めの陽射し、午後三時を過ぎた頃。暖かいな、と呟いてはみるものの剥き出しの部分には少しの鳥肌が立っている。矛盾を内包した曖昧な陽気に隣に腰掛けている彼は豪快な欠伸を捻っている。投げ出した手足も無防備に、豚面の潰れた鼻を軽く擦って、如何にも眠そうな雰囲気で。
「あんまり大きな口を開けると、今に顎が外れるぞ」
「そうしたら、テリーが閉じてくれれば良いわい」
「人任せか」
 呆れて、溜息を吐く。
 日曜日の公園。住宅地から大きく外れたこの小さな憩いの場には今、喧騒の欠片も人影も無く、アメリカ在住の超人と本来ならば遠い銀河の果ての星の王子様である超人が、四人掛けのベンチを窮屈に感じさせる程の距離感で密着して座り、ただ緩慢と、何をするでもなく、要するに、暢気に、欠伸を捻っている。
 来る途中にコンビニエンスストアーで購入した小さなシュークリームを摘んで、タラコ唇の大き過ぎる口に幾つか放り込むと、キン肉マンは手探りに缶珈琲を求める。テリーはそれを察して彼の指先が届くところにさり気無く缶珈琲を押してやると、体幹を思い切り伸ばして背凭れに体を預けた。
 広がる薄い青は遠く淡く、鳥の囀りさえ聞こえない。静寂の視界の端にふと介入したのは寅猫の尾。赤いトタン屋根の上を我が物顔で歩き回る野良猫が、テリーの視線を掻い潜るかのように敏捷な動きで屋根から塀へ、そして青木の向こう側へと姿を消した。それから、不意に、豚が。
「豚?」
「声に出とるぞ、アホ」
「キ…キン肉マン」
 仏頂面の親友の特徴的なその顔が、自らの上空を覆っている状態。隆々とした筋肉の稜線が太陽を背負い、それは眩しい。思わず眼を窄めたが、何を勘違いしたのかその親友は唇を突き出してくる。
「お…おい!」
 慌てて掌を翳して、彼の顔面にピシャリと置いた。ブーブーと、今度は拗ねた子供の表情で唇を突き出して、キン肉マンは大袈裟に痛がった。
「時と場所を考えろよな」
「…だからっていきなり実力行使とは、心優しいテリーマンのする事か?」
「お前だから、だ。…お前、豚の鳴き真似上手いな」
「ブーブーブーブー!お主、今日は意地悪だぞい」
「お前が変に絡むからだ」
 肩を竦めて、再びベンチに沈黙する。ちらりと左隣を盗み見れば業とらしく膝を抱え背中を丸めた、如何にも落込んだ風の超人が風景を患わせている。二人きりの時に限り、テリーはキン肉マンに意地が悪く、キン肉マンはいつに無く殊更に我儘になる。解っているからこその、駆け引きで、大抵の場合はキン肉マンが負ける。けれど、折れるのはいつも、テリーの方だ。
 テリーは俯いてしまったキン肉マンの背後で、細心の注意を払い音を立てぬようにビニール袋に手を突っ込むと、シュークリームを指に摘んだ。それから、彼の方に向き直って、立ち膝になる。
 頭上から、声を落とした。
「キン肉マン」
「なんじゃい」
 釣られて顔を上げれば、落下してくるシュー生地を、咄嗟に唇でキャッチする、流石の反射神経にテリーは満足そうに笑った。
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