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□君影草
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青く広い空に、入道雲が浮かび、夏特有のジワリとした暑さが気だるさをよぶ。
蝉時雨の中、剣心は庭で洗濯をしていた。
「よし、真っ白になったでござる」
暑さを感じさせないような、涼やかな笑顔を絶やさず、剣心は次の物に取りかかろうとし、ふとその手を止める。
「おろ?」
ついの紅い目が庭の片隅を捉えた。
「このような所にも、咲くのでござるな」
どこから種が飛んで来たのだろう。微かな白に、顔を綻ばせる。
鈴蘭。いつの日か、薫が嬉しそうに教えてくれた、自分が知っている数少ない花の一つだ。薫が好きな花でもあるそれは、強い香りを振り撒きながら、恥ずかしげにうつ向いていた。
薫殿のようだ。
白は清廉さを連想させ、自らが香りを放っているにも関わらず、誘われて行くと、恥じらう姿を見せる。
その甘美さに、幾人落とされたのか。本人の自覚がないままに、数えきれない人数が甘い罠に掛かってしまったに違いない。
「剣心?」
思いを馳せていた当の本人に声をかけられ、顔にこそ出さないが、心の内を読まれるのではないかと逡巡する。
「おかえり。どうしたのでござるか?」
それでも、長年体に染みついてしまった癖は容易には治らないものだ。剣心はすぐさまいつもの笑顔を作り、振り返った。
「もう、どうしたのは剣心よ」
出稽古帰りの姿のままで、洗濯桶の前にいる剣心の隣へしゃがむ。
「せっかく急いで帰ってきたのに、剣心ったら呼んでも返事してくれないんだもの」
その言葉の通り、急いだという証に少女の頬は上気し、項には汗が浮かんでいた。
「それはすまなかった。少し花に見とれていたでござる。」
自分のためにかは分からないが、それでも早く帰ろうと思ってくれた薫に目じりが下がる。
「花って?」
「ほら、あそこに咲いているでござる。」
少女にいとおしさを感じつつ、剣心は庭の一隅を指差す。
「わぁ、鈴蘭。綺麗ね」
薫は、さっきまでの膨れっ面は何処へやら、はじけんばかりの笑顔で花の元へ走り寄った。
「ねえ、知ってる?」
鈴蘭の花を指で掬うようにしながら、薫が言った。長いまつ毛が顔に影を作る。
「なにをでござるか」
剣心は洗濯物を置き、薫に近寄った。
「鈴蘭には別名があるの」
少女の姿を一変させ、目元を赤く染める様は艶やかで、女性を思わせる。
「君影草って言うんだけどね。綺麗でしょ」
薫は立ち上がり、剣心に向き合うと、男の頬に手を伸ばし、そこにある傷跡を撫でた。
その姿に息を飲む。
「花言葉は、幸福が帰ってくる」
蝉時雨が止み、互いの鼓動だけが高鳴る。
「ねえ剣心。幸せになろう」
微笑んだ薫の手を優しく包み、剣心が頷いた。
「そうでござるな。幸せになろう」
二人で。
その言葉は口から出ることはなく、まるでお互いの存在を確かめ合うように抱きしめ合う。
「ありがとう、薫」

庭の一隅で白が風に揺れた。


END
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