遙葉書
□蒼翠浪漫
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秋晴れの空に、大地の草木が爽やかに凪ぐ昼下がり―…
薬草摘みの為、那智山まで足を運んでいた弁慶の後を、覚束無い足取りでトコトコと付いて来るのは、熊野別当の息子、藤原湛増…もとい、ヒノエである。
「ベンケ…っ 待ってったら!」
背後から大きな声で呼び止められて、弁慶は徐に振り返る。
そこには、肩で息をして弁慶を睨みつける可愛い甥の顔。
「…弁慶の、いじわる」
「別に、そんなつもりないんだけど」
クスクス笑って、歩行を再開する。
すると、またトコトコと早歩きで後を追ってくるから可愛くて仕方が無い。
「ヒノエ、この先に丘があるから、そこで少し休憩でもしますか?」
「…うん!」
“休憩”と聞いて、途端に顔を輝かす甥っ子に、籠を持っていない方の右手を差し出す。
嬉しそうにその手を握るヒノエは、あまりにも無邪気で、時折弁慶は高鳴る鼓動を抑え切れなくなる。
純粋に、甥を愛しいと感じるのは、罪なのだろうか。
そんな疑問が時たま弁慶の脳裏を掠めるが、屈託のないヒノエの笑顔は、そんな思いまで吹き飛ばしてしまうほどの力がある。
「おぉーっ すっごぃ良いとこじゃん!景色もソーダイだな!!」
坂道を登りきったところで、ヒノエは丘の頂上に駆け上り、弁慶を手招きする。
「さっきまで、あんなにヒーヒーしてたのに…」
ついつい笑いがこみ上げてきて、弁慶は片手で口を覆う。
その様子を見て、ヒノエはぷくっと頬を膨らませるが、爽やかに丘を吹きぬける秋風に、すぐに笑顔に戻る。
「オレ、ココ好きだな…ひょっとして、弁慶のお気に入りの場所?」
「そうですよ。僕とヒノエだけの、秘密の場所です」
「二人だけの…」
そう呟くと、ヒノエはさも嬉しそうに弁慶に笑いかける。
弁慶はヒノエの隣に腰掛けると、眼下の景色を眺めて呟いた。
「…ヒノエは熊野が好き?」
「あったり前じゃん!オレの生まれた場所だよ?弁慶の、育った場所じゃん!…なに、弁慶は、好きじゃないの…?」
「勿論、好きですよ。ヒノエが笑顔でいられる場所だもんね。…でも、時々この熊野に、後ろから押されている様な感覚に陥る時がある」
「…どういう事?」
「ヒノエは、熊野が他の名前でなんて呼ばれているか、知ってる?」
「知らない。熊野は、くまのじゃん」
「“常世の国”、“根の堅洲国”…何れも、黄泉の国、という意味です。地底深く、若しくは海の彼方など遠くにあり、現世とは別に在ると考えられている国です。大祓の祝詞では、現世のあらゆる罪、穢れの集まる所とされています…まるで、僕が此処に居る事が、其れを象徴する様に」
静かに物語る弁慶を見つめ、ヒノエが小首をかしげる。
まだ幼いヒノエにとって、弁慶の暗に意味したことを完璧に理解する事は出来なかった。
けれど、何と無く心にきゅ…っと痛いものを感じ、ヒノエは俄かに弁慶に抱きついた。
「…ヒノエ?」
「なんか…セツナイな」
最近覚えたばかりの言葉で、ヒノエは自分の心を表現しようと努めた。
自分がこうして抱きとめていなければ、弁慶の儚い横顔が、消えてしまいそうで…