「イサト、これを見てください」
春の木漏れ日が暖かい、穏やかな午後。
自室に面した庭に降り立った彰紋が、簀子に腰掛けていたイサトを手招きした。
周囲を気にするイサトに、
「大丈夫ですよ。周りに人影はありませんから。それよりも、早く」
と、苦笑する彰紋。
そう、2人の逢瀬は極秘中の極秘。
それもその筈、彰紋は東宮、イサトは単なる僧兵見習い…身分が違い過ぎるから。
偶に、この明らかに離れた立場をどうしようもなく恨めしく思う時がある。
イサトはなおも警戒しながら彰紋の元に降り立った。
彰紋が見上げる先には、まだ開花こそしていないものの、可愛らしく蕾を付けた桃の枝。
彰紋はうっとりとソレを見つめながら、
「早く、咲いてほしいな…きっととっても綺麗だと思います」
と呟いた。
その横顔が綺麗過ぎて、思わず頬に唇を落とすイサト。
「…っ イサト…」
「お前の方が、綺麗だよ」
恥らう彰紋を見つめて、自分も恥らいながら桃の蕾に目をやった。
「まだ、咲いてないけどさ…来年もお前と一緒に見れたら良いな。…って、気が早過ぎか」
彰紋は首を横に振って、玲瓏たる声でこう詠った。
…――咲く花を
愛で眺むれど
君なくは
誰にか見せむ
にほへる桃を――…
そして、イサトの顔を見つめながら、
「咲いた桃を愛しんで眺めていても、あなたがいなければ、誰にこの香り立つ桃を見せたら良いんでしょうか…と言う意味です…イサトがいなければ、桃の開花を待ち望む事も、きっとこんなには嬉しくないと思います」
と、微笑んだ。
その笑顔が余りにも愛らしくて、イサトは不意に彰紋を抱き締めた。
2人の吐息が混ざり合い、今にも唇が重なりそうになった時…
「東宮様〜」
すぐ近くで、彰紋を呼ぶ声がした。
不意の声に喫驚して、慌てて身体を離す。
すると、声はすぐ近くまで迫ってきていた。
「…イサトッ こちらの植え込みから裏へ廻って逃げて下さい!」
そう言って彰紋はイサトを促した。
「…あ、あぁ!分かった…また、絶対来るからな!」
慌てながらもそう言い残して、イサトは隼の様に駆けていってしまった。
後に残された彰紋は、安心する気持ちと寂しい気持ちが混ざった複雑な心境で、イサトの逃げ帰った方向を見つめていた。
すると、声の主はやっとの事で彰紋の姿を見つけ、傍に歩み寄ってきた。
「東宮様、此処におられましたか。春とは言え、まだ風は冷とうございます故、御部屋にお戻りなさいませ」
東宮傅は、穏やかに彰紋を嗜めると、部屋の中へと促した。
「…それで、何の用ですか」
室内に腰を下ろした彰紋は、少し拗ねた様に東宮傅に声を掛けた。
東宮傅は畏まって正座をすると、静かに語りだした。
「実は、帝が東宮様に大切なお話をされたいとの事で、蔵人より東宮様を帝の殿舎へとお連れしろと仰せ仕りまして…」
「兄上が、僕に?…一体何のお話でしょうか…」
彰紋は不思議に思ったが、取り敢えず帝のおわす殿舎へと向かった。