鏡花水月草子

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天に高く昇る、完全に満ちた月。
それが…もうここ何日も続いている。



第十九話「刻を止める五芒星」



「……今日も満月だね…邪見さま」

阿吽の背でゆらゆらと揺られながら、りんは呟いた。
茂る木の葉の間から見え隠れする、つい先日まで朔であった夜空には今、満月が煌々と光り輝いている。
それも、朔の翌日から毎晩…だ。

「むぅ……そういえば…確か五十年程前にも一度このような事があったような……?」
「……五十年前にも?」

腕を組んで唸りだした邪見を蒼羅は驚いて見下ろした。

「うむ。その時はあまり長く続かず、何日か後に元に戻っておったんじゃが……ですよね?殺生丸様?」
「………」

確認するように邪見は訊ねたが、殺生丸はやはりいつものように何も言葉を返さなかった。
蒼羅には、彼が「私には関係無い」…と、背中で意思表示しているように見えた。

「やっぱり妖怪の仕業なのかな〜?」
「…だと思うよ…有り得ないもん、こんな事…」

だが、こんな事をして一体何の意味があるというのか。

「まさか…術をかけてる妖怪の自己満足とか?」
「んな事の為にここまでするか!」
「だって毎晩満月にしたって何の得も無いでしょ?…目の保養にはなるけどさ…」
「綺麗だもんね〜……なんかりんお月見団子が食べたくなっちゃった」

はふぅ…と小さく溜息をつく。
その様子を見て蒼羅はクスリと微笑った。

「な!?なんじゃ!!あれは……!!?」
「!?」

突然、空を見上げて叫んだ邪見にはっとして、蒼羅は弾かれたように彼の目線の先を追った。
するとその方角の遠方に、強い閃光…例えるならば、光の柱のようなものが地面から真っ直ぐ天に向かって突き出していっている様が見て取れた。
呆気にとられる間もなく、次々と似たような柱が更に四本…天に伸びる。
それらは瞬く間に上空で交差し合い、一つの形を形成していった。
…陰陽で見られる、五芒星の文様だ。

「…殺生丸さま…何?あれ…」
「………」

殺生丸も足を止め、それを見やる。

「富士の山の…方角…か?」
「……富士山?」

ぽつりと呟いた邪見に、蒼羅が眉根を寄せる。
闇と木々に阻まれて見えないが、富士山の近くだということなのだろうか。
その麓で何かが起きている?
考えた瞬間、思わず蒼羅は走り出していた。

「殺生丸様!私ちょっと見てきます!!」
「え!?」
「んな……っ!?これ蒼羅!!勝手な行動は……!!」
「邪見」
「は!?」
「…好きにさせておけ」
「………えぇえぇぇ!!?」

邪見の情けない声が、周囲に響き渡った。



木々の間をすり抜け、五芒星の麓を目指す。
何故こうして勝手な行動に出てしまったのか、自分でも良く分かっていない。
ただ、自分の目で見て確かめたい。
そんな衝動に駆られたのだ。
…もしかしたら、無意識のうちに殺生丸の行動を意識してしまっているからなのかもしれない。
気になる事には自ら足を運んで解決に勤しむ、あの姿勢を。
…その上、最近では妖怪と戦ってる時も、なんとなく自分の思考が殺生丸に似てきている気がするのだ。
思考というより、考えているときの心の中の口調が、と言うべきか。

「……そういえば小さい頃もお父さんの真似とか、してたな…」

尊敬する人物に対して、ついそうしてしまうのだろうか。
そんな思考になんとなく苦笑いを零すと、蒼羅は目標の位置を確認する為に視線を少し上に上げた。
すると、だんだんと間近に迫ってきていた五芒星が急激に近付いて来ている事に気付く。
…違う。
速すぎる。
近づいているのではない…!!

「大きくなってる…!?」

もう少しで、光の帯が蒼羅の上空に差し掛かってくる。
あれの下に入っても…平気なのだろうか?
脳裏にそんな不安が過ぎった。
だが、今更引き返しても逃れることは出来ない。
そう判断した蒼羅は、意を決して先へと飛び込んでいった。

「……あれ?」

五芒星の下に入ったが、特に変化も感じられなかった。

「……余計な心配だったか…な…?」

ほっと、胸を撫で下ろす。

「………ん……?」

蒼羅は、自分の足元に何か不自然な物がある事に気付いた。
気の根元に何か…石でもなく、瘤でもないものがある。
毛が生えた…。

「……栗鼠…?」

そう。栗鼠が、根元から駆け出そうとしている不自然な体制のまま、固まっていたのだ。
辺りを良く見回してみると他の物もぴくりとも動かない。
時が…刻む事を止めてしまったように。

「…なんで…私は動けるの…?」

己の手の平を見つめ、呆然と蒼羅は呟いた。
だが、いつまでもそうしている訳にはいかない。
とにかく原因を突き止めよう。
そう思い、再び蒼羅は地を蹴った。

―――フハハハハハハ………―――

またしばらく進んだ頃だろうか。
ふと、前方から女の高笑いのような声が聞こえてきた。
少し遠くに、森の出口が見える。

―――…これが合わせ鏡の夢、幻。…鏡の中の夢幻城!!―――

森の外はすぐに湖になっていた。その水面も固まってしまっている。
その真中には、赤い衣を纏い、たっぷりとした銀の長髪を持つ青年が一人。

「……犬…夜叉……?」

幹の陰に身を潜め、蒼羅は呟いた。
遠すぎて顔は見えない。

「犬夜叉―!」
「!」

彼の元へ、仲間が三人…いや四人と一匹。舞い降りてきた。
邪見から話に聞いていた風穴を持つ法師と、妖怪退治屋の娘。
そして彼女の猫又と…子狐妖怪。
それと…知らない男の子…ん?
……一人足りない。
自分と似たような服を着ているという、霊力を持った娘が。
彼らの様子から見て、置いて来たというわけではなさそうだ。
攫われてしまったのだろうか。

「……助けに行こうとしてるんだ…でも……」

なぜ犬夜叉達も動けるのだろう…。
何やら相談している彼らを見つめながら、蒼羅は先程から気になっていた疑問を思い出した。
特別彼らが何か結界を張っているようにも見えない。
…というか、何もしていない自分が動けているのだから違うだろう。
彼らと自分の共通点は…?
観察するようにじっと見つめると、法師の頬に何か淡く発光している白いものが付いているのを見つけた。
他の仲間にも、腕や他の部分に白いものが付いている。

「包…帯…?と……え?湿布??」

なぜこの時代に湿布が?

「あぁ…霊力を持った子って…現代の子だから湿布使ってるのか…」

と、言うことは?

「時代が違う物を身に付けてたから動ける…?それで…私は自身がこの時代の人間じゃないから…?」

そういうものなのだろうか…?
だが、そう考えでもしなければ説明が付かない。
とりあえずそう考えようと納得していると、仲間と一頻り話を済ませたらしい犬夜叉が持っていた鉄砕牙を振り上げた。
その瞬間、刃が真紅に染まる。
赤く染めた鉄砕牙で、犬夜叉は足元の水面を切りつけた。

「穴?」

現れたのは、湖の中とは到底思えない次元が歪んだような穴。

……―――これが合わせ鏡の夢、幻。…鏡の中の夢幻城!!―――……

…そうか。
毎夜満月を出現させ、今時を止めている妖怪は鏡の向こうにいるのだ。
そして鉄砕牙の何らかの力を使って、今そこへ乗り込もうとしている。
蒼羅が納得している間にも彼らは穴の中へと飛び込み、消えていってしまっていた。
きっと、しばらくすればこの現象を引き起こしている妖怪を倒してくれるだろう。
殺生丸の弟なのだから。
ふ…と口元に笑みが零れる。
原因を突き止めた蒼羅は、主の元へと戻るべく踵を返した。



「…あ〜あ…」

一行の下へたどり着いた蒼羅は、間の抜けた声を洩らした。
五芒星の力は、この場所にまで影響を及ぼしていたのだ。
邪見も、りんも、阿吽も……そして、あの殺生丸すらも、その瞬間のまま固まってしまっている。
驚いた表情で止まってしまった彼らを、蒼羅は苦笑いしながら順順に見渡した。
顔色を変えていないのは、やはり殺生丸だけである。
どんな状況でも変わらない彼を、蒼羅は正面に立ってじっと見つめた。

「………」

考えていたよりも更に長い睫毛。
瞳孔が鋭い金の瞳。
通った鼻筋に薄い唇。
そしてきめ細やかな白い肌。
「綺麗」という言葉しか思い浮かばない殺生丸の顔。
あまりにまじまじと見てしまっては今の状況で不謹慎だと思うのだが、こんな時でなければ滅多に出来ない事だ。
だからこそ余計に、見入ってしまう。

「綺麗だな…ほんとに」

人間には絶対に有り得ない美しさだ。
もしいたら、誰もが騒ぎ立てるどころか言葉を無くすだろう。

「お父さんも格好良かったけど…ここまでは…」

蒼羅の父親は、彼女の贔屓目もあったと思うが、周りよりも際立って美しかった。
男性的な力強さはもちろんだが、女性のような憂いも時折覗かせていた。
蒼羅よりも更に色素が薄い髪の毛が短くなかったら、多少は間違われていたに違いない。
だからこそ、彼の外見も内面も全てが蒼羅の誇りそのものであった。
殺生丸はそれらをほぼ全て、遥かに上回っている。
…ちょっとした短気な部分だけを除いて。

『蒼羅ちゃんって本当にお父さんばっかりだよね〜』
『確かに蒼羅ちゃんのお父さんはすっごく格好良いけど、そればっかりじゃ駄目だよ〜っ』
『……どうして?いいもん、私はお父さんがいれば。お父さんよりも凄い人なんていないんだから!!』

昔、友人達とよくしていた会話を思い出す。

「……確かに…いなかったよね……」

“人”は。
まさか、父親以外に尊敬し、それどころか忠誠まで誓ってしまうような人物が自分の前に現れるとは思っていなかった。
それも妖怪の。

「つまりお父さんは並みの人間じゃなかったって事かな?」

ははは〜…と小さく笑う。
きっとこの場面を邪見が見たら親馬鹿ならぬ「子馬鹿だ」と呆れただろう。
この妖と自分の父親を比べるのだから。
だって、触れたら呪われてしまいそうなくらいに美しい。
…触れたら。

「…………」

蒼羅の胸に、不思議な感覚が生まれてきた。
どうしてだか分からないが、彼に触れてみたいと…そう思う。
いや、いくらなんでもそんな事までしては駄目だ。失礼だ。
頭を振りながら、俯く。
一体何を考えているのかと自嘲しながらも、ちらり…と彼を盗み見てみる。
まだ時が動きだす気配は無い。
……ちょっとだけ。
好奇心に負けて、蒼羅はゆっくりと彼の頬に向かって指先を伸ばした。

「!!??」

触れるか触れないかのその時だ。
空がカッと光り輝いたのは。
驚いて手を引いた蒼羅は、目を見張るようにして天空を仰いだ。
先程まで天空を覆っていた五芒星が、いつの間にかあの湖の方向へと退いて行っている。
それと同時に、いつ終わるとも知れないような夜も更け初めていた。

「……倒したんだ……?」

白んでいく空を見上げたまま、蒼羅はぽつりと呟いた。

「…何をだ」
「………っ!?」

突然背後から振ってきた声に、蒼羅は思わずギクリと身を硬くした。

「おお!?蒼羅!?いつの間に戻ってきた!!?わしらは一体…」
「お空に浮かんでた星がまた元の場所に戻ってるー!!」

先程まで静かだった周囲が、邪見とりんの声で騒がしくなる。
時が、また元のように刻み始めたようだ。
あまりに突然で、蒼羅は彼らに振り返ることが出来ない。
ついさっきまでしようとしていた行為が行為だけに、余計にだ。
心臓に悪い…。
胸元を押さえて、蒼羅は項垂れた。

「……それで?」
「…え?」

口を開いた殺生丸に、蒼羅はちょっとだけ振り返った。

「…何があった。蒼羅」

はっと彼の意図を理解し、蒼羅は背筋を正して事態を説明しよう向き直った。

「はい、それ…が……」

………あれ?

「―――…」
「……どうした」

言葉を途切れさせた蒼羅に、殺生丸は不審そうな目をした。

「え、あ…すみません。それが実は…」

……勘違いではない。
彼らに事情を説明しながら、思った。

今…初めて彼が自分の名前を呼んだ。




―刻を止める五芒星<終>
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