宿屋回顧録

□シンアリ
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ヴァン曰わく、ボクの強さはマイナスの強さらしい。何にも価値を見いだせないがゆえに、壊すことに躊躇しない。何も持たないがゆえに何かを奪わる心配がなく、自分すらも守ろうとしないゆえに厭われる手段さえも選択肢に含める。
だから、強い。

なら…今のボクは、弱くなりつつあるのかもしれない。

「アリエッタ」

「なに? シンク」

師団長として与えられた部屋、その机と椅子と棚しかない簡素な空間の中でアリエッタはブラブラと揺らしていた足を止めてボクを見た。机の上に腰をかけているため椅子に座って書類を片付けているボクより視線が高い。
紙の上をペンが走る音と2人分の息遣いだけが部屋を満たしている。それに対して何かを思う前にボクは口を開いた。

「いい加減にしたら?」

「…なにがですか?」

「ここに来ること」

シャカッと自分のサインを記し、その最後になった書類を横に寄せる。そして、そこでやっとアリエッタの視線を真正面から受けた。
少しだけ不機嫌な色を含んだ柘榴色の目が仮面を介してボクを射す。

「シンクが仮面外してくれたら、今日は帰ります」

アリエッタは表情で意地になってますと訴えつつ、依然としてここに来続ける意志表示をしてきた。
アリエッタがここにくるようになってから今日で34日目だ。しかも任務が入っているときを除けばほぼ毎日のように机の脇陣取って腰かけている。
それ自体は大した問題じゃない。無視できる範囲だ。話しかけてくるのもあしらえる。ただ、『仮面の下が見たい』となると話は別だった。この仮面の下は誰にだって知られたくはない。

「ふうん」

そう言ってボクはボクは椅子から立った。不思議そうな眼を遮るように、仮面に手をやりながらアリエッタに向かって歩きだした。

「なら、みせてあげるよ」

「えっ?」

ボクの言葉を聞いたアリエッタは、何か信じられないものでも見たかのような表情だった。今からそんなに驚いていたら身が持たないよとボクは心の中で呟き、アリエッタの前で止まる。
仮面の下は誰にも見せたくはない。でも、ボクの素顔をみたときのアリエッタがどんな反応をするかに興味があった。呆然とするのか、パニックを起こすのか。今は亡き導師と、勘違いするのか。

いや、今はそれすらもどうでもいい。ボクは、アリエッタにこれ以上ボクの中に入ってきてほしくなかった。
気づいていた。アリエッタがボクの机を少しだけ占拠してきた34日間。その間に、まるで乾いた土が水を吸うような早さで、それでいて一滴ずつの水が岩に窪みを作って溜まるような静けさで、ボクはほんの少しだけ変えられてしまったことに。
それは些細なことで、ボクが何時の間にかアリエッタがこの部屋に来ることを半ば黙認していたり、アリエッタがいないとパズルのピースが足らないような気分になっていたりする、そんなたったごくごく微細な変化。それでもその変化は、ボクの存在自体を揺るがしかねないものだった。
ボクは世界に必要とされなかった。だからボクも世界を必要としなかった。ただ『駒』として必要とされたから、ボクはここに存在するだけだった。
それが、全てだった。
それなのに、その全ての中にアリエッタが入ってこようとしていた。
だからーー

「後悔しても知らないからね」

ボクはここに在る理由を崩されないために、教えなくてもいいことを教えるために、目を瞑って仮面を外した。
口元がつり上がるのは自嘲のせいか、それともーーー。



FIN.
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