御伽噺の本棚

□選択を迫られる、その前まで
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翌日の朝。あたしは彼の朝食が乗ったトレイを運んでいた。
導師守護役というのは導師の護衛だけではなく身の回りの世話も仕事に含まれている。運んでいる朝食は自分が想像していたものよりひどく質素だが、ココアやトーストの匂いが素朴でなんとなく好感がもてる朝食だった。そのおかげか、はたまた昨日のお茶会のせいか幾分か緊張が抜けた状態で教会の廊下を歩いていた。彼が突然開いたお茶会は少しの間でしかなかったけれど、『目』と違わない優しい人柄だということは感じさせてくれた。
だが、当たり前だがそれだけではやはり緊張は抜け切らなかった。教わったばかりの合い言葉を使って導師の部屋に行く頃には結局ほとんど前日と同じほどまで緊張してしまっていた。
あたしは気休めとは思いつつも一度深呼吸をしてからノックをした。ドア越しに「どうぞ」という声が聞こえる。失礼しますと一言断ってから少しぎこちなくドアを開けーーー

「…なっ」

椅子に座る彼の背を抜かんばかりに机の上に山積みにされた書類に驚いた。驚いた拍子にトレイの上のココアの入ったマグカップにスプーンがぶつかって陶器特有の高い音がする。

「おはようございます。アニス」

「あ、おはようございます」

そして驚きのあまり普通に挨拶を返してしまった。

「っじゃなくて…これはなんですか?」

目でその紙でできた山を指すと彼はにこやかに言い放った。

「書類です」

「いや、それは見ればわかりますっ」

彼の少し抜けた発言に肩すかしをくらう。しかも書類の山に気をとられて気付かなかったが、もう一つ机の反対側にも山の半分くらいの高さの書類の束が鎮座している。とりあえず朝食を置くために彼の近くまで歩くと、高い方の山は自分の顎が乗るほどで改めて驚いた。

「…うっわ、文字ちっさ。目が痛くなりそう」

「大丈夫ですか?」

しかも気遣われた。

「それはわたしの台詞ですっ。この異常なくらい詰まれた書類はなんなんですかっ。明らかに多すぎですよ!」

またしてもズレた回答を返した彼にもう一度質問を繰り返すと、彼はまるでなんでもないことを話すように平然と言い放った。

「そうなんですか? 確かにいつもより多めですが」

片手では持てないほどの書類を「いつもより多め」と言われたときの気持ちはもう絶句としか言いようがない。おそらく普通なら少し口ごもり「そうですか」と言っておしまいだっただろう。
それでもあたしが言葉を紡げたのは、彼があたしが持っていた朝食を視界に入れて「あぁ、それは空いてるところに置いておいてください」と言って何やら書きかけだったらしい書類に筆を向けたからだ。…あまり自分で言いたくはないが、あたしの所謂『肝っ玉母さん』な部分が、その言葉を受け入れるのを拒否した。
そして彼曰わく「まるで子供に注意する母親のような表情」で、あたしは言った。

「それ、端に寄せてください」

「…は?」

あたしが何を指してそれと言ったのかがわからなかったのだろう。きょとんとした目であたしを見てから、すぐに思いついたように書類に目を向けた。そして苦笑しながらもう一度あたしを見て口を「あ」の形に開いた瞬間に、あたしにはもう何を言うのかが読めていて先回りして言葉を発していた。

「『あとで食べます』なんて聞きません! 朝が一番栄養が必要なときなんです。だから朝食は早いうちにちゃんと食べておくことに意味があるんです。だいたい置いておいたら朝食冷めちゃうじゃないですかっ。美味しく頂く方が栄養の吸収がいいんです!」

「いや、で、ですが僕は導師として」

「導師としてもへったくれもありませんっ!! 執務よりカラダが大事です、つべこべ言わずに食べてくださいっ!」

ここまで一気に言うと、彼はなぜか驚いた顔をしながらコクコクと頷き、書きかけの書類と筆を端に寄せた。あたしは書類がなくなって空いたその場所にマグカップやらトーストやらを置いていった。
そうして彼の目の前に並べられたまだ熱をあまり失っていない食べ物たちを少し黙って見やってから彼は「いただきます」と言ってトーストをかじった。
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