始まりの場所

□再会
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そこにいたのは、間違いなくあの時会った老婆だった。

今はうつ伏せに倒れていて顔は見えないとしても、特徴あるその姿は、はっきりとあの時の老婆と一致する。
荒い呼吸と苦しそうな喘鳴を繰り返している老婆は、大怪我でもしているんだろうか。よく見ると、老婆の腹部あたりから地面に大量の血が広がっている。
鼻をつく血の臭いと地面に広がる血に、さっきの光景がちらついた。


さっきの、瀕死状態のあの男の姿が。


取り乱しそうになるのをぐっと抑え、目の前にいる、私と六道くんが元の世界に戻るための鍵となってる人物をじっと見据えた。
でもそんな人物を前に、私は何をすればいいのか分からない。何かを問いただせばいいのだろうか。六道くんは老婆と会ってどうするつもりだったのだろう。

何をするべきか考えてもはっきり分からないけど、とりあえず、六道くんをここに連れて来た方がいいのは確かだった。


耳をすましても銃声は聞こえない。
銃声が聞こえなくなるほど遠くに来てしまったのかもしれないし、それか、もう終わったのかもしれない。もしそうなら、今六道くんは私を探してくれているのかも。

それとも、もしかして……と、そこまで考えて頭を横に振った。

何を考えているんだろう、私は。六道くんがやられてしまったかもしれないなんて、縁起でもない。

彼がやられるわけがないと、自分に言い聞かせる。悪いことを考えてしまうと、本当にそうなってしまいそうで嫌だった。

とりあえず、早くこの老婆から離れないと。
そう思ったまさにその時、今までこっちを向きもしなかった老婆が口を開いた。


「貴…様、またとどめを刺さないつもりか……!」


私に向けられたその言葉にビクリとする。慌てて老婆から離れようとしても、体が上手く動かない。
ほとんど這うようにして離れようとした瞬間、その細くシワシワな指でガシリと足首を掴まれた。


「…っ!」

「貴様の せいで、生き地獄を味わった。貴様が、あの時、とどめを刺さなかったせいで…!」


明らかに私に向かって言っているのに、内容は全く身に覚えがないことだった。
何のことを言っているのか分からない。
私の足首を掴んでいる手は震えていて、それでも力が強い。最初にこの老婆と会った時と同じように、焦点の合ってないような目には敵意がこもっている。
そう、焦点の合ってないような目──とそこで、ふと思った。

……そうだ、この老婆は、私がちゃんと見えているのだろうか。


「あの時、とどめを刺してくれれば 良かったものを……あれから、わしがどれだけ苦痛を味わったと 思っている…!」


ギュッと更に強くなる力と、荒い呼吸の間に紡がれる言葉。やっぱり、内容は私には分からない。
あの時とは一体いつのことだろう。そもそもとどめを刺す刺さないということ自体、私には無縁のことだった。

たぶんそうだ、老婆は私と誰かを間違えているに違いない。

そしてもしかしたら、この人は目が見えないんじゃないだろうか。

ごくりと唾を呑み込んだ。
もし、もしそうなら、誤解を解かないと。私は貴女の探してる人物とは違う、そう誤解を解けば、もしかしたらこの殺意がなくなるかもしれない。


「あ…の、もしかして、私と誰かを、間違えていませんか…?」


かろうじてしぼり出した声は、震えたものにしかならなかった。それでも私の言葉はちゃんと老婆に届いたようで、老婆は私の声を聞くなり目を見開き、眉を寄せた。


「こ え……貴 様、何故、声が違う」


驚いたように見開かれた目はキョロキョロと視線をさ迷わせ、でもその視線が私と合うことはない。目の前にいるのに誰かを探すように動いている眼球は、やっぱり私の姿が見えてないようにも見える。
そして、さっきの言葉。
声が違うと、老婆は確かにそう言って驚いている。

やっぱり、この人は私を誰かと間違えているんだ。

ギュッと拳を握った。誤解を完全に解くには、今しかない。
そう思って私が口を開こうとしたそれより先に、老婆は鋭いものに戻った目で私を睨みつけ、言い放った。


「声を、変えたところで、わしの鼻は誤魔化せんぞ! 貴様のその気配と におい、わしが 間違えるはずがない!」


息を更に荒くしてそう怒鳴りつけた老婆は、息を整える暇もなく、一度ビクリと体を震わすと激しく咳き込んだ。口から血が吐き出され、体は大きく痙攣し始める。
私の足首を掴んでる手も同時に震え、それでも掴む力は弛めない。
喉を通る空気の音がはっきり聞こえるほどの喘鳴と、地面にうずくまる姿はとても苦しそうで、それでも下から睨みあげる目には怨念がこもっている。

体がすくんだ。
呪ってやる、と言ってるような瞳で見られているから、というわけだけじゃない。

目の前で、人が死に近づいているその姿が、とても怖かった。

何も出来ず、ただ見ていることしか出来ない。
苦痛に歪む顔と速い呼吸、痙攣する体は、あの時の男と全く同じだった。
死へと、一歩一歩近づいている、あの男と。

老婆は尚も私を睨み続けている。何かを言いたそうに口を開くも、そこから声が出てくることはない。

そして突然、大きく痙攣した後、全てが止まった。

荒かった呼吸も、震えていた体も、全て。

元々定まっていなかった焦点は、ゆっくりと、更に私から離れていく。
ぐるりと眼球が動き、そして老婆はそのまま、吸い込まれるように地面へと突っ伏した。目は見開かれたまま、もうビクリとも動かない。

しん、と辺りが静かになる。


「……あ…の…」


恐る恐る声をかけても、返事はない。
私へ殺意を向けていた人物は、全ての機能を停止した塊となってしまった。

自分の心臓が早鐘のように鳴り出す。

初めて、人が目の前で死んだ。

苦しみながら死へと近づく老婆の姿が、頭の中で何度も再生されてしまう。
それは次第に、あの男へと変わっていった。
私が、撃った、苦痛に悶える男の姿。

焦りと恐怖が、再び私を支配する。


広がる血

散らばる肉の塊

切り取られた皮膚

子供の頭蓋骨

骨の松明


ここで見た、異常な光景全ても、波のように一気に頭の中へと押し寄せてくる。
鼻の奥では、腐敗臭と生臭さまでもが、まだこびりついているような気さえした。


もう我慢なんて出来なかった。胃の奥底から込み上げてくるものは抑えられず、食道を焼くように逆流する。
胸の奥が、喉が、熱くて痛い。


全て吐き出しても、楽になんてならなかった。



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