始まりの場所

□辛苦
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男が一歩、足を踏み出す。獲物に忍び寄るかのように、ゆっくりと。暗闇の中ギラリと血走った目で捉えられ、体が動かない。
逃げないと。早く、逃げないと。捕まったら殺される。
心臓が速い。冷や汗が全身からふき出す。ギュッと拳を握った瞬間、銃の存在を思い出した。
そうだ、これを使わなきゃ、じゃないと殺される──!

男が奇声を上げた。持っていた腕を投げ出し、地面を蹴りあげ、こっちに向かって突進してくる。体が恐怖で大きく震えた。咄嗟に銃を構える。トリガーを引くが、弾丸が出てこない。
な、なんで…! カチカチと、トリガーからむなしい音が聞こえる。男が近づいてくる。そうだ、安全装置!
六道くんに言われた通り、安全装置を外そうとした。早く早く、そう思えば思うほど手が震える。男が迫ってくる。安全装置が外れた。再度、男に向かってトリガーを引いた。

手元から大きな爆音。それと同時に、反動で手が上に跳ね上がる。予想もしてなかった衝撃に、体がよろめいた。
でも、そんなことに気を取られてる場合じゃない。弾は当たってない。男は、怒っているかのようなかん高い叫び声を発する。
怖い。どうしよう。恐怖に駆られて叫び出し、もう一度トリガーを引く。爆発音が耳をつんざいた。でも弾は当たらない。だんだんと間近に迫ってくる男に、焦りと恐れでパニックになる。
そして、もう一度銃を構えようとした瞬間、男が飛びかかってきた。

体に大きな衝撃。次の瞬間、背中を地面に強く打った。
男は私に馬乗りになり、瞬時に、私の首を片手で絞めつける。気管を押し潰されるような苦しさに、一瞬目の前が霞んだ。男の体重も腹部にかかって苦しい。
視界が霞む中、男の狂気とした顔が目に映った。

ぎらついた目を見開き、口は大きく弧を描いている。殺される。嫌だ…!男の手が振り上げられる。鈍く光る包丁。全てが、まるでスローモーションになったかのように、ゆっくり視界に映る。死にたくない。私の手には、まだ銃が握られている。男が、包丁を振り下ろした。


破裂音のような物凄い音が、鼓膜を貫くように鳴り響く。
死にたくない一心だった。咄嗟に引いた引き金は弾丸を弾き出し、目の前の人物へと衝撃を与える。
振り下ろされた包丁が私へと届く前に、男は大きく後ろへ跳ね返った。
至近距離から銃弾が当たった威力。私の手元から、火薬の臭いが漂い始める。


「…っ!」


圧迫感が無くなり、男から離れようと何とか体を動かした。
力の入らない体に鞭打ち、腕に力をこめて男から遠ざかる。

さっき私に襲いかかってきた男は、今は私の目の前で倒れ、苦しそうに呻いている。

胸部に広がるシミ。

それは止まるところを知らないように、どんどん広がって服を染め上げていく。




撃って、しまった…






人を、撃ってしまった。






血の気が引いていくのを感じた。汗が滲み出し、体全体が私の意図と関係なしに震え出す。
男の喘鳴が耳につく。激痛に耐えるように、苦しそうに、浅く速い呼吸を繰り返している。
焦りが胸の中で渦巻いた。それと同調して心臓が速くなっていく。


そして、気づいたら私は走り出していた。


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